独白【3】

文字数 1,733文字

私はアルバイトをしていましたが、大した収入はありません。彼も何の仕事をしているのか今いち理解していませんでしたが、それほど多くの金額は稼いでいないでしょう。一応、彼の亡骸から財布を抜き取り、中身を確認しましたが、やはり大した額は入っていませんでした。もちろん口座の暗証番号も知らないので、これ以上のお金を手に入れることはできませんでした。数万円を握りしめ、最小限の荷物を手にして、ついに私は半年ほど住んだこの家とお別れすることにしました。

外に出ようとすると、ココが私の後をついてきました。結局、私にはココを殺すことはできませんでした。ココを殺してしまうと、逃亡の旅という決意の炎が簡単に消し飛び、二度と灯ることはない気がしたのです。牢屋で廃人となるまで捕らえられることを考えると、この炎は絶やしてはいけませんでした。家を出る前に、今ある分の全ての餌を用意し、扉や窓も少し開けておきました。どちらにしてもココにとっては地獄かもしれませんが、せめてもの罪滅ぼしでした。もしかしたら早期のうちに発見されて保護されるかもしれませんし、外に出て奇跡的に野良猫としての人生を歩めるかもしれません。結局はじわじわとココを殺しているだけに過ぎないかもしれませんが、決断できなかった私は、非常に薄い望みに賭けました。

家を出る前に、最後にココを思いっきり愛でました。しかし、ココの顔にはしっかりと失望の色が浮かんでおり、私は苦しくなって逃げるように家を飛び出しました。いえ、逃げるようにではなく、実際に逃亡の旅が始まったのです。

厳しい寒さが身体の内側にまで入り込み、ゆっくりと命を奪っていくような、そんな凍てつく夜でした。安物のコートを出来るだけきつく身体に巻きつけ、ガタガタと震えながら歩きました。やっとの思いで高速バスのターミナルにたどり着き、直感で行き先を決めました。南に行けば少しは寒さを遠ざけられるのではないかと考えたのです。少ししてバスに乗り込み、ついに私は十八歳に家出してから約十年間住み続けた町を後にしました。初めて夜行バスに乗りましたが、私は何となくバスの中は温かいものだろうと思っていました。しかし、バスは風こそ遮ってくれるものの、決して身体と心を慰めてくれるほどの温かさは持ち合わせておらず、ただ無機質に十数人の人間を遠い場所へと運ぶだけの機械にすぎませんでした。出発して少しすると周囲からちらほら寝息が聞こえてきましたが、私はちっとも眠くありませんでした。身体を蝕む寒さを必死に遠ざけながら、すれ違う車を窓から眺めていました。

思えば、何とも意味のない二十八年間でした。実の父はまだ物心つく前に蒸発し、一人娘として母に育てられました。母は酒と男に寄りかかることでしか自分を支えられない人間でした。一応食べるものは最低限用意されていましたが、一緒にご飯を食べたり遊んでもらったりした記憶はほとんどありません。母は毎日夕方まで寝て、夜に家を出ては酒の匂いを撒き散らしながら朝方に帰ってくるのでした。

ある程度大きくなってから、母はスナックで働いていることを知りました。同級生の父親がスナックの常連だったらしく、母のことは学校中に知れ渡りました。別に私は母に対して家族としての愛を受け取ったことも、渡したこともなかったので、母の仕事などどうであってもよかったのですが、まだ幼い同級生たちはそうはいきませんでした。彼らは親が私の母を見下し蔑む様子を見て、その娘である私を下賤の女だと判断したようでした。それからというもの、私はいわゆるイジメを受けるようになりました。最初は辛くて泣いていたような気もしますが、私はどうやら環境に適応して馴染むことに長けているようで、すぐに慣れました。どうせ人間一人がこの広大な世界に与えられる影響など、微々たるものなのです。それならば川の流れには逆らわず、かといって川から上がろうともせず、ただ流れに身を任せればいい。反撃もせず、逃げることもしない。何も決断せずにただ目の前の現象を受け入れることが、環境に適応するコツでした。いくら攻撃しても一切動じない私に怯えたのか、同級生たちは無視こそすれど直接的に何か仕掛けてくることはなくなりました。
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