第1話 復讐の始まり

文字数 1,642文字

 松田成之はある日曜日の正午、パソコンのあるページを見つめていた。
 (中井、尾村、草田・・よし、間違いないな。)
 思惑通り事が進んだ事を喜ぶ松田は7年前の事を思い出していた。


 松田成之は32歳の国家公務員である。現在は人事院給与局というところで働き、毎年、民間企業の給与を調査し、国家公務員の給与が社会一般の情勢に適応するよう、国会・内閣に対して必要な勧告、いわゆる人事院勧告を作る仕事をしている。公務員の給与は手当の種類も多く、政治的な事情も相まって極めて複雑でありながら、やっとの思いで決定された公務員給与は、それを参考に決定される、独立行政法人の給与や民間企業の労組の春闘等で動きが活発になるにつれ、人事院へ問い合わせや対応が多発する。
 挙句国民からは「公務員の給与が高過ぎる」という声が上がり、その批判に対応する間もなく、次の給与策定に向けた動きが始まる。頑張りを認めてもらうことや、顧客満足度という観点から見ると、いくら頑張っても結果の出ない、なんとも虚しい仕事である。
 仕事の性質からか、給与局のメンバーは須らく温厚な人間が多く、松田もその内の一人である。特に公務員給与の類は、性質上、質問する記者や外部からの問い合わせは、ほぼ悪意を持って行われ、一度でも人事院側が悪態をつけば、皆一斉にその言動を取り上げ、攻撃されてしまう。温厚な人間が多い人事配置も、それを意識したものだろう。
 そんな松田が7年前に配属となった、中小企業庁は、人事院の対極のような場所であり、上司はおろか同僚ですら敬語を使う人間はほとんどいない上、少しでも資料に不備等があれば必要以上の大声で、全員に聞こえる様に怒鳴りつけるのが日常茶飯事だった。
 しかし、業務上での指摘はどんなに酷い言われようであっても、省庁文化も多分に含まれているものだと納得していた松田には罵倒の類は特段気にならなかった。しかし、ある日、野田という課長補佐が、飲み会に参加しない松田について業務中に指摘を行った時、松田の中で何かが切れてしまった、そしてそれが松田の復讐が始まった瞬間でもあった。

 「お前の資料さ、全体的に字が多いんだよね。これ読むの本省の政策局長だよ?忙しすぎてこんな量の文字は読めないよ、読む人の事考えないと、いくら資料作ってもしょうがないよ、それわかってる?人の事を考えないっていう話で言うと、1年目の君嶋ちゃんがセッティングしてる課の飲み会に、お前いっつも来ないじゃん?よくお前に断られるから、お前も来れるように調整できる様、スケジューラー確認してお前の空いてる日とか探してんだよ?別に来て欲しい訳でもないだろうにさ。そういう人の視点でモノを考えられないのが、資料にも出てんだよ。」
 と、笑いながら少し大きめな声で言った。同時に野田と普段から仲良くしている課員が少しニヤニヤしていた。恐らくそうした話題が課の飲み会で出たのだろう。
 松田は野田の目を見ながら、はっきりとした口調で答えた。
 「資料に関しては要点を絞ります。課の飲み会は我々が設定する給与に含まれておりませんので、そうした場での協議が必要なら、会議費の申請等を通じて業務時間内に呼びかけいただけますか?」
 野田は、「は?」と一瞬固まって、その後話し出したが、それを聞かずに松田は席に戻り、資料の修正を始めた。
 その後、給湯室で顔を合わせた君嶋が、「あれは、私がそんな風に言ったんじゃなくて・・」と弁明をしていたが頭に入ってこず、松田は心底怒りを覚えていた。
 今までも人間性が否定される言葉等、もっと散々な罵倒を受けた経験があるが、それはあくまでも業務の中であった。恐らく野田にそこまで悪気があったとは思えないが、業務外の事まで職場に持ち込まれた事が、どうしても許せなかった。何故、自分がこんなに腹立たしいか不思議な程、相当に頭に来ていた。人生で、そこまで頭に来た経験も無かったために、その捌け口も分からなかった。
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