終焉・Ⅱ ・・そしてカワセミ
文字数 1,921文字
虜囚を囲った馬車が草原を行く。
その後を、黄緑色の馬が舞うように付いて行った。
馬上には、馬とバランスの取れていない、長い巻き髪の少女。
城壁の戦神の部屋の窓から人目に付かぬよう、王は黙って見送った。
この部屋の干からびた植物も、石の星空も、そのままにしてある。
気紛れな妖精がいつ遊びに来ても良いように。
バヤンは草原の、見えるか見えないかの地平で、馬車を眺めていた。
見送るってこんな気持ちだったのかと、今更のように想いながら。
バヤンは、シリギから預かった二つの品物を持って、旧王都の西の小さな森に分け入った。
言われた通り、遅咲きの花を咲かせた蜜柑の大木があった。
その根元を掘って、金鎖の付いた銀の石を埋め、土を盛った上に赤い石の付いた剣を置いた。
辺りは高い草に覆われて、ここが何のどういう場所なのか、見当も付かない。
ただ、某(なにがし)かの息吹が息づいていた。
風が吹いて振り向くと、剣はもう消えていた。
風が剣の帰るべき場所に運んでくれる、シリギはそう言っていた。
「分かった、ここは護ろう。シリギ……」
バヤンはその後帝国の重鎮となり、フビライと共に様々な改革を行うが、この森だけには手を付けなかった。
そうして百眼の闘将は前線を離れ、国土はゆっくりと分裂して行くのだった。
季節は旅人のように忙しなく過ぎ去って行くが、天上の天の川は変わらずゆるゆると横たわる。
天から見たら地上なんて、妖精の一生さえも、一瞬の瞬きなのかもしれない。
ユユは思いの外早くに戻って来た。
淡栗毛の彼の命は、もうそんなに残っていなかったのだろう。
丁度与えられた命を使い切って、彼はキッチリ生き終えた。
里へ戻ったユユは、シリギの事はあまり喋らなかった。
短期間ですっかり背が伸びて面長になったその横顔で、何かをシンと秘めていた。
水色の妖精の傍らで、王サマの手の内で、小さいままコロコロと甘えていたかった子供はもう居ない。
そういった呪縛から解かれると、この娘は皆の息を呑ませる姿になって帰って来た。
「当然ですよ。母親の子供の頃と瓜二つでしたからね、ユユは」
大長はシレッと言って、また西の地へ発って行った。
AD・・・不詳
夜闇に息が白い。
もう冬が間近なんだ。
旧王都も今は焼け落ちた無人の廃墟。
その西の森の蜜柑の木のてっぺんで、カワセミとユユは並んで腰掛けていた。
「それでねぇ、ヘラクレスに倒されたネメアの獅子は、空に昇って星になるの」
「何で?」
「何ででもよ。そういうお話なの。ソルカ妃のお母さんの生まれ故郷の、遠い西の国のお話」
「シリギはよくそういうのを覚えていたね」
「ソルカ妃がね、毎晩、話してくれたんだって。ランプの灯りで蜜柑の輪切りを作りながら。西の国の神々の物語や、星のお話。ソルカ妃も、そうやってお母さんに話して貰ったんでしょうね」
「そうか……」
カワセミは、蜜柑の木の下で寄り添うように佇んでいた二人を思い出した。
「ソルカ妃だけが唯一の、心許す家族だったものな」
ユユはカワセミの横顔をチラリと見てから、正面向いて囁いた。
「シリギはねえ、子供の頃ずっとカワセミ様の事、お父さんとかお兄さんとか、思っていたんだって」
「…………」
「あれがレグルス」
ユユは宙天の、ネメアの獅子のたてがみに光る蒼い星を指差した。
「そろそろだわ」
獅子のたてがみの中にチロチロと星が煌めき、一つまた一つと流れた。
「シリギの教えてくれた通りだわ。この季節のこの時間に、獅子座のたてがみに星が一杯流れるの」
ユユは嬉しそうに星を数え出した。
碧眼の獅子は……本当は、星の物語を語り、流れ星を眺めながら穏やかな人生を送る人物だったのだろう。
その彼が、この少女によって、人生の最後に本来の生活を送れた事に、カワセミは救われた思いだった。
(いつもいつも、救われていたのは自分の方だった……)
天上の流星はピークを迎え、ユユは星を数えきれなくなった。
「ねえ、獅子のたてがみであれだけ星が流れたら、ひと房くらい地上に落ちて来るかしら?」
「どうかな」
「シリギの髪みたいに綺麗でキラキラしているかしら」
「そうだな」
「何だかさっきから生返事」
「ユユ」
「また、このお喋り娘がどうやったら黙るかとか、考えているんでしょ」
「ユユ」
「……なあに?」
「ボクの、妻に、なれ」
「……………………うん……」
カワセミが上を向いたまま差し出した手に、少女も上を向いたまま指を添えた。
そうして一緒に昔話の星空を旅する。
彼の背中の翡翠色の羽根は、ほとんど生え揃って回復していたが
目だたない内側に、一房だけ違う色
獅子のたてがみ色の、淡・栗・毛・・
~ネメアの獅子・了~
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