第3章 陰謀論、斬り捨て御免! その壱

文字数 7,780文字

 読者はなんのためにこのような苦行を強いられているのか? さして重要でなさそうな枝葉末節まで長々と読まされ、いい加減ライフポイントもゼロに近づいていることでしょう。
 そんなみなさんに朗報。苦行は終わりました。第3章はみなさんお待ちかね、公開処刑のお時間であります。世に出回る陰謀論を片っぱしから斬り捨てる! しかも科学的な理論武装のうえでですよ。1~2章に辛抱強くお付き合いいただいた読者、もしくは始めから1~2章程度の内容なら十分知悉している読者であれば、本章でカタルシスを得られることをここに保証いたします。では早速いきましょう。

1 マイクロチップ埋め込みの恐怖
 一部若者のあいだでワクチン投与と同時に、マイクロチップなるしろものが体内へひそかに注入され、個人情報が管理されてしまうという(真実であれば)恐るべき情報が出回っているそうです。
 読者の言いたいことはよくわかります。こんな低俗でバカバカしいものまで取り上げる必要があるのか? むろんないとは思うのですが、序文で差別はしないと誓ったのでしぶしぶ続けましょう。
 まず根本的な疑問なのですが、そもそもマイクロチップとはなんなのでしょうか。おそらく三流SFあたりから拝借したナノマシンを想定しているのでしょうが、わたしは実用レベルのナノサイズ生体機械が開発されたという話を寡聞にして知りません(一言申し添えておきますと、著者は海外SF小説が大好きです。ですからこうしたくだらない、ありふれた、なんの独創性もないネタを得意げに持ち出してくる輩に厳しいのであって、SFそのものにではない点にご留意ください)。
 もしそれがひそかに開発されていたのだとしても、最先端技術なのはまちがいないでしょう。そんなものを全ワクチンへ入れたとして、いったい製造コストはどうなるのでしょうか。天文学的な赤字を叩き出して、得られるものが個人情報? で、個人情報を盗んだとしてなにか得があるのでしょうか。製薬会社は全部外国企業でしょう。日本人の個人情報がアメリカやらイギリスでなんの役に立つのでしょうか。
 百歩譲って生体情報がファイザーとかアストラゼネカとかに漏れたとしましょう。彼らがそれを使って自社製品の販売戦略に供するとしましょう。でもそれって非常にありがたいことなのではないでしょうか。だって頼んでもいないのに身体の悪いところを見つけてくれて、あまつさえそれに効く薬を売ってくれるんですよ。わたしには至れり尽くせりの大サービスのように思えますが。
 最後にマイクロチップとやらが免疫に見つからないのも不思議です。ウイルスもナノレベルのサイズですけれども、免疫はちゃんと見つけて働いていますよね。妙な機械が入ってきたらそれはもう猛烈な反応があると思うのですが、いかがでしょうか。それこそ接種者に例外なくアナフィラキシー・ショックが起こりまくるという、悪夢のような薬害地獄になりそうなものです。

2 ビル・ゲイツ氏の世界制覇計画
 1節の亜種として、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏がマイクロチップ、およびそれに類するナノマシンの製造に協力したというものがあります。これはおそらくゲイツ氏がワクチン製薬研究に多額の寄付をしたからでしょう。
 わたしは本当に不憫に思うのですが、善意の寄付を下種の勘ぐりで世界制覇だの独占への足掛かりだのと言われるのは我慢ならないと思うのですよ。ケチな日本人と異なり、アメリカではむかしから寄付がさかんに行われております。こういうイチャモンをつけている人で、少しでも世のため人のためにお金を投じた経験をお持ちのかたがいるのか疑問であります。
 そりゃゲイツ氏にもなんらかの意図はあるでしょうよ。自社のイメージをよくしたいとかね。でもワクチン製造を一刻も早く進展させ、人びとの役に立ちたいという想いも当然あるはずです。世界制覇はいくらなんでもひどすぎるでしょう。
 大富豪への不当なやっかみ以外に、当陰謀論が指し示しているイデオロギーはないように思えます。日本ではゲイツ氏だと求心力が得られないと思ったのでしょう、若干の変節を受けて以下のように魔改造されているようです。

2-1 資本家による搾取の道具としてのワクチン
 本筋はなにも変わりません。ゲイツ氏が資本家という抽象概念に置き換わっただけです。わたしは当陰謀論を見つけたとき、それはもう心の底からおったまげたのであります。
 資本家という言葉、これはカール・マルクスの共産主義思想からきている用語でして、それによれば有産階級である資本家(ブルジョワジー)は、無産階級である労働者(プロレタリアート)を使役して搾取し、不当に利益を得ている許されざる人非人である、ということらしいです。
 共産思想が流行ったのは戦前~戦中、それに戦後もけっこうトレンドになりました。1960年代の学園闘争、連合赤軍によるハイジャック事件、浅間山荘事件などなど、共産系勢力のやらかした大騒ぎが世を席巻しましたよね。
 現代人の感覚からするととうてい信じがたいのですが、当時は共産圏が天国であるとされており、連合赤軍が

などという事態が実際にありました。北朝鮮から日本へ亡命するのではなく、その逆ですよ。情報開示の重要性がよくわかる一例でしょう。
 さて共産系勢力は冷戦の終結とともにほぼ駆逐されました。もはや資本家がどうたらいうのは完全に時代遅れ、極左勢力は人権、平等(それも結果をも含めた)、所得分配などのより穏健な分野へ散っていきました。マルクス・エンゲルスの資本論は19世紀の異物として完全に葬り去られたはずでした。
 ところがこうしていま、まったく無関係であるはずのワクチン論争に当思想が紛れ込んでいる。冷戦が終結して30年以上経つ21世紀にですよ。わたしは日本という国家はたぶん、共産主義とまではいわないまでも、社会主義にどっぷり浸かった、まことにいびつな資本主義国家なのだろうと結論いたします。いつか中国・ロシアの領土にならないことを祈るばかりです。

3 妊娠期の接種は胎児に影響がある?
 作用機序から類推すると、ウイルス粒子がいっさい介在しないmRNAワクチンにおいて、胎児になんらかの影響がある可能性は極めて低いと考えられます。
 苦痛に満ちた1~2章でお話しした通り、mRNAとは単なる情報伝達物質です。それは役目を終えればリソソームなどの細胞内小器官に分解されますし、製造されたエンベロープもご同様。
 いっぽうはしかウイルスなんかは母体が罹ると、胎児に重大な影響があるようです。詳しくはお調べいただきたいのですが、そうした事例からも母体がコロナウイルスに罹患するよりしないほうがよいに決まっています。母体だけではなく胎児のことも考えて、ワクチンを接種して予防するという選択肢もあるのではないでしょうか。
 ちょっと話はそれますが、妊娠期の胎児への影響というのはかなりデリケートなようです。葉酸の不足、喫煙、飲酒、無理なダイエットなど、ダイレクトに胎児へ悪影響をおよぼすファクターが目白押し。胎教とか効果の怪しいようわからんことをやるより、上述した常識的な対策を意識したほうがよかろうかと思います。その最たるものがワクチン接種でしょう。

4 コロナウイルスは武漢で製造された生物兵器
 まずはっきりさせておきましょう。発祥の地が中国であるのは事実です。残念ながら中国が国ぐるみでウイルスを作り上げたというのは事実ではありません。
 そもそも病原性のあるウイルスを合成するというのがどれだけ精密な作業であるか、それをご想像いただきたい。既存の生きものの遺伝子がどう働くのかすらひとつひとつ(遺伝子ノックダウンマウスとかで)解析しているというのに、いきなり猛烈な感染力を持つウイルスを意図的に作り出すというのはもう、オーバーテクノロジー以外の何物でもありません。
 科学技術水準の到達度もさることながら、中国がそのような暴挙に出るというのも信じがたい。生物兵器の製造・使用は国際条約で厳格に禁止されています。条約を破棄して先制攻撃しようものなら、他国から報復されるのは目に見えています。日ごろから中国が目障りだと感じているアメリカにとってはこれ以上ない朗報でしょう。敵性国家指定ののち、NATOを引き連れて「大量破壊兵器」を理由に即開戦であります。
 好戦的な大統領だったとはいえ、アメリカは本当に大量破壊兵器なるものがあるのかどうか確証もないまま、敵対的だったイラクと戦争するような国家です。もし本当に中国が(世界を攻撃する目的で)生物兵器を作りでもすれば、問答無用、戦術核の使用すら検討に入れるでしょう。中国はああ見えて打算的な首脳陣ですので、さすがにそこまで愚かではないはずです。
 それだけではなく、中国は科学分野に相当力を入れておりまして、ウイルス学でも幾多の優秀な科学者が在籍しています。同じく中国発祥のSARSコロナウイルス(コロナウイルスというのは形状から分類された総称)出現の際、いち早く終息に貢献したのも中国人科学者でした。
 そんな彼らが兵器製造に加担するとはとうてい考えられません。わたしは国家の方針が軍備拡大、覇権国家推進であるからといって、科学者たちもそうであると断ずるのは早計だと思います。特定の国家に所属しているだけで個人の人格を攻撃するというのは、あまりにも稚拙なやりかたではないでしょうか。

5 ワクチンは人口削減の手段である
 だんだんバカバカしくてしんどくなってきました。接種者はほとんど誰も死んでいないのですが、これをどう説明するのでしょうか。遅延効果があるという詭弁に逃げるのなら、わたしはもうこれ以上なにも言うことはありません。
 10年、20年後に接種者が亡くなったとしましょう。それは果たしてワクチンの効果なんですかね。広島・長崎の原爆被害者と同じです。当時5歳で被曝し、今年81歳で白血病により病没した人がいるとします。それは果たして原爆の放射線被害なのでしょうか。恐るべき核兵器の犠牲者だ! と言い切るのはさすがに牽強付会でしょう。
 それと人口削減を企図したのは誰なんでしょうか。ファイザーなりモデルナなりが画策したのか、それとも各国政府なのか。まだしも武漢ウイルス兵器説のほうがしっくりきます。なんらかの致命的効果のあるワクチンを配布したとして、どの国家もなにも調べずに使うはずないでしょうが。治験の過程で露見するに決まっています。
 本計画には非常に不安定なところがあります。ワクチンに人類抹殺のファクターを入れるというのはどうにも他力本願のきらいがある。だって先行してなんらかのパンデミックが起こらなければならないわけでしょ、それに便乗するかたちで薬害をばらまくというのがしっくりこないんですよね。世界規模の大虐殺計画にしては片手落ちな雰囲気をぬぐい切れません。それとも武漢ウイルス製造説との合わせ技一本なんでしょうか。でもウイルスを自在に製造できるのなら、それ自体に致命効果を発揮させたらよさそうなものですが……。
 1光年ほど譲ってどの政府も人口削減計画に加担しており、殺人ワクチンはかくして一般大衆に接種されるのだという筋書きであるのなら、わたしはジェイムズ・ティプトリー・ジュニアの「エイン博士の最後の飛行」、もしくはグレッグ・イーガン「道徳的ウイルス学者」あたりをお勧めします。世界を破滅させるならこれくらい考えないと。ガバガバすぎて話にもならん。陰謀論者はもっとSFを読んで勉強してください。

6 ワクチンはサタンの地上支配ツールである
 あえてキリスト教系のたわごとを取り上げたのは理由があります。さすがにこんな話を真に受けているかたは(少なくとも無宗教の日本人のなかには)いないと思いますが、欧米ではけっこうウケているようで。とくに原理主義傾向の強いカトリック系が震源地のようです。
 わたしは筋金入りの無神論者でして、神、仏、幽霊などのいわゆる怪力乱神のたぐいは全否定している立場です。信仰の自由は尊重しているけれども、この手の与太を信じている人間をはっきりと差別しています。なぜか。
 宗教はろくなことをやらないんですよ。古くは十字軍遠征のいざこざから最近のパレスチナ問題まで、宗教がなにか人類に対して恩恵を施したことがあったのでしょうか。争いの種しか生んでいないとしか思えない。本論からちょっと外れるけれども、ここで少し脱線することをお許しいただきたい。

⑴ 宗教は道徳の規範となる
 よく引き合いに出されるのがこれ。天国や地獄、千年王国といった概念で子どもを教育することにより、善悪をスムーズに教えることができるという主張ですね。
 みなさんこれについてどう思われますでしょうか。率直に言ってこんなの脅迫以外の何物でもありませんよ。いかにもおっかない地獄などという与太をでっちあげ、子どもをビビらせておとなしくさせる。いったいこれのどこに道徳的な要素があるのでしょうか。こんな手段を使う教育者のほうにこそ、道徳教育が必要なのではないですか。

。これは彼らの学習能力を軽んじた態度でしょう。
 安易な宗教教育に走る親というのは結局、私有財産権や法治理念をかみ砕いて教える自信がないか、もしくは親自身がそうした社会通念を理解していないかのいずれかであると断定せざるをえません。そうでなければこんな人をバカにしたやりかたを採用するはずがありませんからね。
 わたしの敬愛する無神論者のリチャード・ドーキンスは、幼少期の無批判になんでも受け入れる時期に宗教的観念をすり込むのはもはや、子どもに対する虐待であると述べております。わたしもそう思います。その瞬間、子どもは「キリスト教徒の子ども」、「イスラム教徒の子ども」、その他いろいろのなんとか教徒の子どもになってしまうのです。たった一世代、親が子どもに宗教的な教育をやめれば世界で起きている無用な殺し合いの、いったいどれだけが消滅するのか。正確な数字はわからないけれども、決して少なくはないでしょう。

⑵ 宗教は人びとに救いを与える
 わたしにはここのところがわからない。メトセラが900歳まで生きたとか、あちこちの町を徹底的に包囲殲滅したという血なまぐさい虐殺譚、与太、性差別オンパレードのラノベ(=聖書)をありがたがることのどこに救いがあるのでしょうか。
 誰か人とつながりたいということであれば、テニスサークルでもお料理教室でも類似の共同体はいくらでもあるでしょ、どうして宗教だけ特別視されるのでしょうか。宗教は消費財であるべきだとわたしは思っています。現に日本ではそういう使われかたですよね。
 神社のおみくじとか仏教の法要とか、いらない人は日常生活においてまったく不必要だけれども、ほしい人はそれらを都度消費する。どっぷり教義に浸かって般若心経を毎日写経するなんて人はまれです(まあ祖母がそういう人でしたが)。
 仏教、神道、その他新興宗教らが顧客をめぐって競争している。顧客の獲得に成功した宗派はお賽銭や法要に対する〈お気持ち〉、お布施などのかたちで収益を得る。通常の資本主義市場となんらちがいはありません(ただ仏教はやりかたにフェアでない点が散見されます。お墓の戒名なんかは典型例でありましょう。「なんとか居士というダサいニックネームを掘ってもらわないと地獄へ落ちるぞよ」。ここでも宗教は脅迫を商売に取り込んでいます)。
 それを非課税やらなんやらで区別するから「俺たちは特別だ」と増長するのです。法的優遇はすべて撤廃し、ふつうの資本主義市場で競争させる。こうすれば中絶クリニックの医師殺害とか進化論教育妨害とかはおのずから減っていくでしょう。

⑶ 宗教は奇跡を起こす
 起こしません。手をかざしただけで病気を治すヒーラーはMMO RPG世界にのみ存在します。もし奇跡がプラシーボ効果のことを述べているのであれば、なんとなく許容できそうな気がします。でもよく考えるとそれもおかしい。
 仮にAという病気があるとしましょう。病院へいっても不定愁訴として扱われ、通り一遍の効きそうもない薬しか出されない。そこで宗教の出番と相成るわけです。奇跡の水、奇跡の治療者、奇跡の聖骸布。なんでもよろしいけれども、それらを投与すればたちどころに治ってしまうという触れ込み。
 むろんそんな効果はないのでよくてプラシーボ、たいていはたまたま回復期に投与されたというタイミングの問題でしょう。プラシーボでもなんでも治ればよいではないか。以前はわたしもこの意見でした。ところがプラシーボを考慮してすら、通常の医学のほうが(若干ですが)効果があるようなのです(このあたりは参考文献に挙げる予定)。
 もしそうであるならば、もはや宗教的奇跡になんらの正当性もないことになってしまう。ただ適正な医療への道を閉ざしているだけの阻害要因になっているのではないか。わたしにはそう思えてなりません。

 以上長々と宗教について論じたけれども、今回の陰謀論騒動でまたもやその有害性が浮き彫りになったかっこうであります。たぶんなんですけど、ワクチンはサタン地上支配の橋頭保ではないと思いますよ……。
 証明してみろよという主張についてはご容赦いただきたい。科学は証明しようのない事象(神とか幽霊)を取り扱いません。これが世にいう「科学では解明できない現象がある」という俗説の意味です。解明できないのではなく、科学の領分ではない――もっといってしまえば

のであります。神やら幽霊やらいうのはその程度の価値しかないと換言しても差し支えありません。
 たとえばこんな実験がありました。祈りの効果を検証するため、おおむね似たような病状のA病院の患者集団、B病院の患者集団を対象にキリスト教徒が一生懸命治るよう祈ったそうです。もちろん実験群・対照群をわけるため、祈りはA集団にしかなされず、B集団は祈ってもらえなかった。
 結果はどうなったか。もちろん両集団の病状にはなんらの相違も見られず、祈りは通じないことがわかりました。でもこの実験から即座に「神は死んだ」などとニーチェ的な中二病発言をするわけにはいきません。
 キリスト教徒たちはいくらでも弁明できます。自分たちの祈りかたがまずかったとか、祈った対象の人びとに救済される価値がなかった(!)とか、しまいには「神さまの意図はわれわれ卑小な人間ごときに推し量れるものではない」とか、なんぼでも言いわけできてしまう。 
 特定の法則がなく、再現性のない事象はいかようにも後出しじゃんけんが可能であります。ですからいくら神さまの存在可能性を否定するように見える証拠を出し続けても無意味です。いるとかいないとか以前に、もうこんな話題にかかずらっていること自体が時間の無駄なのです。
 したがってサタンがどうとか言っているワクチン陰謀論なんかは、ご紹介してきたほかの陰謀論のなかでも最上級のジャンクであると結論いたします。
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