Episode1 街と歌 §2
文字数 5,312文字
ユアとヴァルカメルガと名乗った悪魔のような姿の少女は荒れた道を注意を払いながら進んでいた。
イストリアス同士は互いに引き合うという。
ユアは何となく同じ
しかしユアもまだイストリアスとして生まれて間もないせいか、慎重に辿らなければ見失いそうだった。少しでも近づきミスティーや他のイストリアスに見つけてもらえることを期待するしかない。
「ダーリン、一旦休憩しない?」
ヴァルカメルガが言って腕を取る。
「あ、ごめん。疲れた?」
立ち止まるとヴァルカメルガは首を振った。
「疲れてるのはダーリンの方でしょ。ほら、あの辺座れそうだよ」
言われて疲労を自覚する。
あの一戦のあとしばらく身を休めていた二人はイストリアス特有の再生力で傷を癒し行動できるまでに回復はした。
だがそれはあくまで存在力が修復されただけに過ぎない。
人の形を取る以上、人と同じ理を持つと母が言っていたのを思い出す。
どんなに怪我が治ろうと疲労が取れるわけではない。
現にユアは青い顔をしていた。息の乱れはないがこれ以上探索を続けるのも危うかった。
「というかダーリン。存在力を回復するリソース、ルカに少し回したでしょ」
ヴァルカメルガに腕を引かれて先ほど示されたスペースにふらふらとついていくと、恐らく喫煙所だったのだろう。設置されたベンチが壊れずに残っていた。
「ほら」
「……うん。少しだけ休もうかな」
腰掛けたヴァルカメルガの横に座ると急激に体が重くなり睡魔が襲ってくる。
戦闘経験の乏しいユアの体に短時間の連続戦闘は強く響いているようだった。
「そういえば」
「うん?」
「ヴァルカメルガはなんで僕のことダーリン、って呼ぶの」
耐えられず目を閉じるが睡魔に負けないようにヴァルカメルガに尋ねる。
彼女は胸に手を当てて答えた。
「ダーリン、
「うん」
「ルカたちを形作るもの、設計図でイストリアスの核でもある何処かの世界の
まだ完全ではない。けれど目を閉じたヴァルカメルガはその輪郭を視ることができた。
――それはどこかの世界。
世界を脅かすはずの傷ついた悪魔とその悪魔を助けた人間の物語。
悪魔は人間に恋し、その人間のために世界を救うため同胞を裏切り死力を尽くした。
ヴァルカメルガはそんな人恋し魔物の因子から生まれた。
「イストリアスの性格や生き方は時に因子に引っ張られる。ルカも多分、そう」
微睡みに落ちかけ、うつらうつらと舟を漕ぐユアの頭をそっと抱き寄せ肩を貸す。
「強くもないのに必死に助けようとしてくれたダーリンにさ、多分一目惚れしたんだと思う。急にだし迷惑かもだけど。でも許してね」
ユアはもはや抗えずヴァルカメルガの体温に誘われるように眠りに堕ちていく。
「ルカがあのとき力を出せたのはダーリンを好きになったおかげなんだから」
目を細めるヴァルカメルガはそっと自身の掌を見つめる。
ユアが彼女を庇い、その腕を引いた瞬間に胸が高鳴った。それと同時に彼女の因子は力を与え馴染み真の姿を与えた。
人恋し魔物の因子は
恋
によってその真価を引き出す。確かにユアに彼女を助けられるほどの力はないのかもしれない。
けれど、ユアとの出会い、傍らに立ち助けようと敵に立ち向かう姿がヴァルカメルガを救うことになったのは確かだった。
だからあの瞬間に彼女はユアを自らの
「だからキミはルカのダーリンなんだ」
その声はユアにはもう聞こえていなかった。
そっと愛おしむように髪を撫でるとヴァルカメルガは空を仰ぐ。
あらかた壊され尽くしたのか黒煙は徐々に数を減らし、風が重い雲をつれて吹き抜けていく。
少しずつ晴れ間が見え白い空に陽の光がカーテンのように差し始めていた。
――その頃。
静かなビルの屋上で街を見下ろす人影がある。
強い風が結んだ金の髪を靡かせる。
女性と見紛うほど線の細いシルエットから不似合いな鈍色が輝く。
拳銃のような弾倉と引き金を持った剣が濃い水蒸気を上げる。
その顔はガスマスクとゴーグルに覆われていて窺い知れない。
(本当に第四世界なんだよね?)
ふと殺気に気が付き振り向き様に剣を振りぬく。
刀身が黒く大柄な獣を捉えてその胸を大きく引き裂く。しかしその断面に血肉はない。
そのまま煤となり風に攫われていく。
一体消えるたびに体が軽くなるのを感じる。
(救済力が戻っていく……やっぱりインテンスキャンサーなんだ)
斬り伏せた一頭に反応するように次々に犬が顔を出す。
ここはビルの屋上。足場は決してよくない。激しく動けば転落の危険もあるだろう。
(でもこれだけ救済力を味方にできれば……)
剣を両手で構えると引き金を引く。
撃鉄が重い音を立てて落ち、弾倉が回転すると刀身が赤く熱を帯びる。
刀身に空いた排気孔から蒸気が噴き出す。それと同時に刃に仕込まれた小さな歯が回転する。
スチームガンブレード。高濃度に圧縮された蒸気を宿す弾により熱と回転刃が殺傷力を生む彼の得物だ。
「次はどちらかな?いくらでも相手になるよ!」
獣たちが吼え一斉に飛び掛かってくる。
一頭を躱し際に斬り捨て、身を低くすると駆け出し回転するようにステップを踏む。回転斬りで三頭をまとめて捉えて斬り飛ばすとそのまま昇降口の壁まで駆け抜けていく。
群れの反対へ抜けると犬は振り返り足を縺れさせながら踵を返そうとする。
「頼んだよ、ミュゼ!」
昇降口の壁を蹴って大きく宙返りするとその向こうで軍服の女性が拳銃を構えていた。
「了解しました」
短く言って直後に銃口から火を噴く事六回。
渇いた音が空に吸い込まれる度に同じ数の犬が頭から地面に倒れていく。
彼が着地したときには舞い散る灰だけが残されていた。
「いいタイミングだよ」
ガスマスクとゴーグルを脱いで彼、ルキオラ・ドミニは片手を挙げてみせる。
「ええ。申し訳ありません。下の敵に少々時間を取られました」
軍服についた煤を払い、彼女ミュゼ・セレナーデも拳銃を仕舞うと片手を挙げて応えた。
「助かったよ。ミュゼが近くで活動してくれていて」
「同感です。しかし突然こうも大量に現れるとは。書斎とも連絡が途絶えていますし」
「そうだね。何かしら問題が起きたと考えるのが妥当だ」
手を振ると剣が虚空に融けるように消える。
ルキオラは改めて街を見下ろす。
「けどこの街にしてもおかしい。こんな短時間でここまで壊滅状態になるとは思えない」
「ええ。私もそれは感じていました。この惨状、異変そのものが
現れた
のではないかと」「だよね。僕らが観測するために活動していた世界はカモフラージュ。いつからかもうこの状況は出来上がっていたんだ。そして救済力が対処できないほど規模を大きくしてカモフラージュを解いた」
「元の世界とまったく同じ構造の
「まあ、そんなので知覚を逃れられるのかって疑問だけど。ハリボテとはいえ世界一つをつくるような力を持っていて、加えてここは第四世界だ」
ミュゼは腕組みして唸る。
「あらゆる世界が地繋ぎに共存している……のでしたね」
「うん。普段はお互いの世界に境界線があって直接干渉はできないってうつる母さんが言ってたね」
「けれど、あらゆる方法で繋がることができる、とも」
ルキオラは第四世界での活動中に手に入れた
「電波は……まだ大丈夫みたいだね。この状況で繋がるものなんて電波って言えるのかわからないけど」
ミュゼの傍らに立つとルキオラは画面を見せる。
ホーム画面には夥しい数の「配信中」のサムネイル。周辺で起きた異変を取り扱い、助けを求めるもの、ルキオラたちと同じように武装し立ち向かおうとするもの、あるいは緊急時の備蓄などの確認を呼びかけるものなど多様な配信が乱立している。
こんな状況でも視聴者は一定数いて、投稿されるコメント緊張感があったりなかったりこちらも様々だ。
「ここ以外でもインテンスキャンサーの被害が出ていますね」
「それも同時多発的にね。第四世界そのものが今の今まで欺かれていたみたいだ」
「やはり伝え聞いていた黒い女……サンサラの仕業なのでしょうか」
「それはなんとも。僕らは教えられてきたものだけしか知らない。実態をすべて把握しているわけじゃないんだ」
「
「母さん、イストリアスを戦わせる気がなかったみたいだからね。第四世界を襲撃されることもないはずだってずっと言っていたし」
情報共有不足だね、とルキオラは苦笑するとミュゼの肩を叩いて昇降口へ向かう。
肩をすくめミュゼはその背中を追った。
「第四世界が襲撃されることはない……とは何を根拠に」
階段を降りながら問う。
「ああ、それはね」
答えようと口を開いたとき階段脇の窓に見知った人影を見つけ、ルキオラは会話を切りミュゼに早く降りるよう急かす。
ビルから飛び出すとそこには
「ミスティー姉さん、ダイス!」
「お二人ともご無事でしたか」
二人の人影がその声に反応して振り返る。
「あら、ルキオラちゃん」
「ミュゼも!こっちに来てたんだ」
姉、妹にあたるイストリアスたちがルキオラたちに駆け寄る。
「うん。元々この辺りで活動してたんだけど姉さんとダイスも?」
「いえ、
ルキオラに事情を説明しようとするミスティーをミュゼが唐突に遮る。
「お互い積もる話もおありかと思いますが」
一同が彼女の視線の先を追っていくとまた犬の群れがあった。
今度は何人か人影も一緒に見える。
「どう見ても飼い主には見えないね」
「ええ!助けましょう!」
四人は頷き合うとそれぞれに武器を手に呼び出して構える。
「事情は後程!」
「了解!」
それぞれ得意な位置取りでフォーメーションを組む。
気が付いて人々を襲うのをやめた群れに入り込むと次々に灰へと変えていく。
イストリアスは守護者であるが故に個体の力が常軌を逸しているが、万能ではない。
お互いの不足を補うことで初めて真価が発揮されるのだ。
もはや反撃の余地もなく周辺に蔓延っていた異様な殺気がどんどん削がれていく。
(これ、インテンスキャンサーから解放された救済力が流れ込んできているんだ)
ダイスは敵を炎撃の魔法で仕留めながら魔力が充実していくのを感じた。
殺気が消えるほど重苦しい空気も浄化され、他のイストリアスたちも力が増していくような感覚を覚える。
それは世界を冒す
意思ある癌
――インテンスキャンサーと呼ばれる異物が世界から消滅することで侵蝕されていた救済力、即ち元に戻ろうとする世界の意思の力が取り戻されている証拠だった。そして同時にこの黒い獣がインテンスキャンサーであることを確固づけるものでもある。
「ミスティー姉さん、後ろ!」
「しまっ!」
死角から不意を突かれる。これだけの混戦だ。注意を払いきるのも難しい。
ミスティーはすぐさま防御態勢をとるが、しかし獣は静止していた。
旋律が聞こえる。音のする方にはミュゼ。
その手には弓が握られ身の丈ほどの弦楽器を奏でていた。
戦場舞踏の軍師。それが彼女のアニマファクター。奏でる旋律にはミスティーの宝石同様様々な支援効果が宿っている。彼女が奏でたのは迅雷の
(ナイスですわ!)
即座に飛びのいてその場を離れると、
「ドロー!」
懐に手を突き入れ宣言する。
その声に応えるように懐が輝き、抜き放つ手には青い宝石。勢いそのままに一瞬前まで立っていた位置に投げつける!
攻撃の動作を開始していた獣にそれを避けることなどできない。
宝石は獣の首元にめり込むと氷結。四方八方に鋭利な棘を伸ばし串刺しにする。
青の輝きはアクアマリン。
氷の魔力を秘めたそれは衝撃に反応し隠した牙を剥き出す一種の爆弾だ。ミスティーの数少ない攻撃手段だった。
「ミッティー姉様、今ので最後!」
「間一髪でしたわね」
ミスティーがミュゼに向かって親指を立てて見せる。
ミュゼも親指を立てて返す。演奏を終え楽器は跡形もなくなっていた。
「Спасибо! ミュゼちゃん!」
「いえ、演奏準備していてよかった。銃弾では誤射する可能性もあったものですから」
四人が集まると身を隠していた人々が恐る恐る顔を出し、怯えた顔でこちらを窺≪うかが≫っているのに気付いた。
「あ、あなたたちは……」
「あー……えっと」
「なんて説明したらいいか」
言い淀むルキオラとダイスを片手で静止してミスティーが歩み出る。
「ここは
「うん」
「お願い!」
三人が一歩下がるとミスティーは頷き、身を隠す人々に向き直る。
「皆さんご安心を!