第1話

文字数 1,057文字

 長年、外来診察や特定健診で患者さんの胸を聴診していると、いろいろな音が聴こえたり聴こえなくなったりする。
 秋から冬への季節の変わり目に、気管支喘息(ぜんそく)が悪化したお爺さんが外来を受診した。
 「先生よぉ、胸こぇ(庄内弁で「胸に置きどころのない辛さがある」の意)。」
 「そうですかぁ? では胸の音を聴きますから、胸を出して息を吸ったり吐いたりして下さい。」
 「あぁ、んだか、えっぺい着てっからのぉ~。」
 お爺さんは、何枚も重ね着をした服をひとまとめに(まく)り上げた。
 聴診器を左前胸部から側胸部に当てる。
   ブリブリブリ、ブリブリブリ、ブリブリブリ、ブリブリブリ、…
 呼気(吐く息)に合わせて、聞いたことのない呼吸音がした。喘息に特有な
   ヒュ~ヒュゥ~~
という喘鳴(ぜいめい)ではない。(何だ???)
 謎の呼吸音の正体は、(まく)り上げた洋服の胸ポケットに入っていた、スマホのマナーモードの振動音だった。ふ~。

 「はい、胸の音を聴かせて下さい。」
 応援先のとある病院の外来で、聴診器を借りて心不全の患者さんの心音を聴いた。
 (ん? 心音が聴こえない。)
 慌てて注意を集中して聴くと、(はる)彼方(かなた)(かす)かな心音がした。まさに心音を探し当てる感じだった。
   トントトン、トントトン、トントトン、…
 一瞬、どちらかの耳が突発性難聴になったのかと、我が耳を疑った。
 実は、聴診器の耳管部(じかんぶ)(聴診器を耳に掛ける二股に分かれた部分)の右側が、耳垢(みみあか)綿埃(わたぼこり)で詰まっていた。診察後、外来の看護師に
 「この聴診器、右側が聴こえないよ、詰まってない?」
 「ええ~っ?!」
 看護師たちが集まってきた。
 「 どれどれ?」「あっ! ホント、聴こえないよ、これ。」
 「でもさぁ、昨日も先生たち、この聴診器使って、『異常ありません』って言ってたよ。」
 「……。」(沈黙……。)
 「まっ、いいんじゃない。」

 ホント、いろいろなことが起こる。人相手の臨床の奥は深い。
 んだんだ。

 さて写真は、羽越本線小岩川(こいわがわ) - 鼠ヶ関(ねずがせき)間の新小岩川(こいわがわ)トンネルに入ろうとする、下り観光列車「海里(かいり)」である。

 トンネル越しに向こう側の列車を超望遠レンズで撮影する「トンネル抜き」という撮り方だ。
 列車がいつ来るかは分からない。写真で観ると望遠レンズの圧縮効果によって列車はすぐそこに見える。が、この新小岩川トンネルは全長が 860 m あるのだ。約1㎞先のトンネルの向こう側のわずかな風の音の変化、列車の気配に注意力を集中する。
 列車が相手ではあるが、撮り鉄の奥も深い。
 んだ。
(2024年4月)

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み