第2話

文字数 3,367文字


チャイムが鳴り、教室が一斉に騒がしくなる。
「起立、礼」教員に一礼して授業が終わり昼休みが始まった。私は机の上に広がった文房具を筆箱にしまう。目線を斜め右前に向けると、席に座っている一人の女子生徒の周りを何人かの女子が囲んでいる。座っている生徒は、泣き虫ちゃんだった。
「ねぇ~、ノート見せてよ。この前のテストで6位だったの、知ってる。普段どんなこと書いてるの」と聞き耳を立てずとも聞こえてくる。その口調は威圧感に満ちており、断ったら最後何をされるか分からない、そんな空気をはらんでいた。田所さんだ。田所さんは机の上のノートをひったくってパラパラとページを眺める。
「へぇー、すご~い。めっちゃ書き込みがあるぅ。さすがぁ、優等生は違うね」と相変わらずの音量だ。田所さんとかかわるとき、プライバシーは担保されない、これは常識である。
「ねぇ、これ貸して。すぐ返すからさぁ」多分、返ってこないんだろうな。彼女結構えぐいことするから… 私は、泣き虫ちゃんの顔を覗く。
泣き虫ちゃん、誰が言い出したかは覚えていない。けれどそれは彼女を指す蔑称だった。彼女がトイレで泣いているのを聞いたとか、泣きそうな顔がおもしろいからとかだったはず。いずれにしても酷い名前だ。でもこのクラスでは当たり前のように通じる言葉になっている。彼女を憐れむ声はない。だって彼女は悪いことをした、だから罰を受けて当然。教室にはそんな空気があれから一か月たった今も蔓延している。  
泣き虫ちゃんに対してのいじりが始まってから、彼女は昼休みになると消える様に教室から出ていく。「見てあの子、ぼっちじゃない」「かわいそうじゃん、入れてあげなよ~」「やだ~、泣き虫が移るかもしれないでしょ」と女子たちの笑い声を何度か耳にした。まだ陰口程度ならよかったかもしれないが、何人かの生徒は彼女がいないのをいいことに彼女の私物にやりたい放題やっていた。思い出しただけで身の毛がよだつ。
そんな状況が少しだけ変化するイベントがあった。期末テストだ。泣き虫ちゃんはそのテストでかなりいい点を取った。解答用紙の返却の際、どの教科でも教員は彼女のテストの出来を褒めた。高校生にとって、学力は絶対的な正義であり相手が勉強できると言うだけで尊敬の目で見られる。一部ではまぐれとか、教員と寝たとか言う生徒もいたが、全体的に見て彼女に対する評価は、ちょっと改善されたように思えた。
話を今に戻そう。私は泣き虫ちゃんの表情を覗いていた。
「いいよ」彼女は微笑んで言う。意外だった。なんで笑っていられるんだろう? あんな仕打ちを受けてるのに。
「さんきゅぅ~、まじ感謝だわ」と田所さんは言う。田所さんも少し驚いた表情をしていた。彼女としてはもっと惨めな顔を想像していたのだろう。笑顔を返されるとは思ってもいなかったはずだ。田所さんたちから解放されると泣き虫ちゃんはいつもみたいにペットボトルと水筒を手に教室から風のように出て行った。あれ、そういえばなんで私、彼女のことばかり見ているのだろうか?


「このブログってあなたのだよね」田所さんがにたにたと笑って私に聞いてくる。その目はサディスティックで残虐な野獣の目だ。私は首を横に振った。だが一度明らかになると、もう逃げられなかった。どうやら田所さんにとってのおもちゃが泣き虫ちゃんから私に代わったようだった。


「なにこのセリフ、まじでウケる」「小説書くのが趣味とか、まじ陰キャじゃん」私はじっと息を殺して存在を消すしかなかった。トイレは陰口の発表会場としては最適だ。私は彼女らが完全に立ち去るまで待つ。でも彼女たちはまだまだ留まる雰囲気で陰口も一向に収まりそうにない。その話題の対象が個室にいることも知らずに。彼女らの言葉はナイフのように鋭利で、私の体中に突き刺さる。やめて。私は耳をふさいだ。


私のブログのことはクラスメイトはもう知っているようだった。と言うのも、田所さんが私のブログを言いふらしているのを偶然聞いてしまった。私は翌日から学校に行くのを止めた。



 
 3日後、学校から来てほしいという連絡があった。私に直接聞きたいことがあるらしい。私は体調が悪いと言ったが、それなら直接、家まで行くとのことだった。
ピーンポーン
夕方になって、インターホンが鳴った。私は掛け時計を見る、予定の時刻ぴったり。玄関の戸を開けると目の前には学年主任と見知らぬ女性が立っている。女性はスクールカウンセラーだと名乗った。
私はリビングに案内する。親は共働きでこの時間はいない。私と大人たちは机を挟んで椅子に座る。
学年主任が訊いてきたのは、私のブログについてだった。
「これは君が書いているので間違いないか」と私にブログのトップページの写真が印刷されたプリントを見せる。私はただ小さくうなずいた。
「そうか…」学年主任は呟いた。
「実はだな。君がクラスの一部の生徒から誹謗中傷を受けているという報告があってね。誹謗中傷の音声データもある。あとは被害者である君自身の証言が聞きたい。君は誹謗中傷を受けたという自覚はあるかい」
私は何も言えなかった。陰口を言われて実際に傷ついたが、ここで認めたら彼女たちからの反撃が怖い。恐怖で手が震えていた。
「安心してくれ。彼女たちにはそれ相当の処罰が学校から下される。君とかかわることはもうないだろう。私たちが保証する」


家庭訪問の翌日、私は久方ぶりに学校に赴いた。三日休んだだけで世界が変わったように見えた。教室に入るのは勇気が必要だったが入ると普段と全く変わらない感じだった。私がいてもいなくても世の中はまわっている。田所さん達は停学になっていた。追加の処分が今後下ると学年主任は昨日言っていた。私はカバンから教科書類を取り出す。そういえばお礼を言わなければならない。私は斜め右前に目を向ける。いた。私は彼女の席に行く。彼女は授業の予習をしていた。こちらのことは気が付いていない。
「今いい?」私は恐る恐る聞く。彼女は私に気が付き顔を上がる。
「昼休み少しいい? 話したいことがあるんだ、2人で」彼女は微笑む。「いいよ」



 昼休みになり、私と彼女は空き教室に座っている。
「それで話ってなに?」彼女が訊いてきた。
「ほら、田所さん達の件」
「ああ、彼女たち。停学になったらしいね。でもそれで?」
「あなたが助けてくれたんでしょ。私を」
「なんでそう思うの」
私はファイルから10数枚のA4のルーズリーフを取り出す。A4のルーズリーフには授業の内容、板書が書かれていた。とても丁寧にまとめて合って分かりやすい。しかも一教科だけじゃない、3日分のすべての教科の板書が書かれていた。学年主任は、告発した生徒から渡すように頼まれたと言っていた。
「これ、昨日先生に渡されたプリント。この筆跡って私知ってる。これあなたが書いてくれたんだよね」
彼女は黙ったままだった。
「本当にありがとう。助けてくれて」
「別にあなたのためにやった訳じゃない」彼女はそっけなく言う。「だから私が感謝される義理はないよ」彼女は微笑を浮かべる。
「でも…」
「私はあなたたちを許してないから。あなたたちから受けた理不尽は許さない」
優しい口調だったのが余計に怖かった。当たり前か、私は見て見ぬふりをしてきた、泣き虫ちゃんと罵って来た。今更許される訳がない。
でもならなんで… なんで私を助けてくれたの?
「あなたたちから受けた理不尽は許さない。でも… だからといって私があなたに理不尽を行っていい理由にはならない。ただそう思っただけ。あなたのためにやったんじゃない。ただ目の前で行われる理不尽が許せなかっただけだから」
彼女は腕時計をちらっと見た。「私まだお昼食べてないからもう行かないと」彼女は立ち上がる。
「あっ、待って」私の言葉に彼女は立ち止まる。「あ、ごめん。やっぱりいい、ごめん」言えるわけがない、あなたと友達になりたいなんて。私はただ目線を床に向けた。
「小説、読んだよ。続編はもう書いてるの?」彼女は柔らかい声で言った。私はただ伏し目がちに頷く事しかできなかった。
「すごくおもしろかった。もし続編ができたらまた読ませてね。私、楽しみにしてるから。じゃあね」そう言うと彼女は教室から出て行った。私は顔が熱くなるのを感じた。

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