8 涙色のシャツ

文字数 2,178文字

 流れ流れてこの街へ
 たどり着いた晴れ舞台
 待っててください、愛しいあなた
 錦を飾ったら帰ります

「それでは歌っていただきましょう!当店ナンバーワンホスト、ミチルちゃんで『涙のくしゃみ』!」

「歌うかぁっ!」

 ミチルはマイク、もとい掃除用モップの柄を叩きつけた。

「ノリが悪いぞぅ。店長命令なんだぞぅ」

 アニーは口を尖らせながらも、笑顔満面だった。
 逆にミチルの方は顔が怒りで醜悪に染まっている。

「客もいないのに歌えるかっつーの!オレ一人しかいないのに、ナンバーワンもあるかっつーの!」

「なるほど。ミチルちゃんはナンバーワンよりもオンリーワンになりたいんだね、俺の!?」

「混ぜっ返さないでください!」

 ミチルはその場で地団駄を踏む。古びた床板がミシミシと悲鳴をあげた。

 国民の彼氏級イケメン、アニー・ククルスが経営する酒場で給仕(ウェイター)として雇われることになったのが午前中のこと。
 
 それから二人で開店休業だった店を大掃除したのが午後。
 
 アニーが用意した衣装は脛が見える短いズボンと薄手の白いシャツに赤い蝶ネクタイ。チャームポイントは太めの赤いサスペンダーだと言う。それに申し訳程度に腰エプロンをつければなんちゃって給仕(ウエイター)の出来上がり。

「うちはお触り禁止にするから安心していいよ。ミチルは清純派で売っていくからね!」

 だったら下着も支給してくれ!
 素肌に白シャツは透ける!
 何、この上級者プレイ!

 アニーの用意した衣装もさることながら、いざ陽が落ちて開店したのはいいけれど相変わらず閑古鳥が鳴いていた。

「全然、客来ないじゃん!散々その気にさせてぇ!」

 ミチルは泣きそうだった。
 おじさん専門ホストと言われて、この世界にはそういうジャンルがあるんだと信じてしまった。

「隣の店は女の人がキャッキャうふふして繁盛してるでしょうが!やっぱり男のホストなんて需要ないんだよ!」

「うーん、おっかしいなあ……」

 ミチルの訴えに、アニーは真面目に困惑していた。

「俺だったら、隣のケバい踊り子よりもミチルがいる方に行くけどなあ……」

「あーはいはい、自分で立てた計画ですもんね。意地がありますよね」

「──やっぱり、ミチルの魅力は俺にしかわからないかぁ!」

 キラリンと白い歯を輝かせて笑いかけられると、ミチルは怒りを忘れてドキドキしてしまう。
 クソォ、イケメンはいいなあ……なんでも笑えば帳消しだよ。

 そしてアニーはカウンターを乗り越えて、テーブルに酒瓶をどんと置いた。

「まあいいや、今日は飲もう!俺がミチルの初指名ってことで!」

「バカか、あんたは!オーナーが売り物に手つけてどうすんだ!」

 ミチルは急いでその酒瓶をひったくった。アニーはがっかりした表情で見つめてくる。

「ええー、ミチルのお酌で飲みたいのにぃ」

 ちょっと、何そのおねだり顔!可愛すぎるんですけど!あーたがホストしなさいよ!オレがボトル入れたらぁ!
 ……などと言う心の声を振り払って、ミチルは酒瓶を棚に戻した。

「まったく。そういうどんぶり勘定だといつまでも儲からないんですよ!てか、ほんとにどうやって生活してんの!?」

 ミチルは午後、掃除のために一階の酒場部分に下りてきて驚いたのだ。
 
 開店休業だなんていいものじゃない。ほとんど廃業状態。
 椅子もテーブルもとっ散らかって、所々には蜘蛛の巣が張っていた。
 
 一体、最後に営業したのは何年前なんだとツッコミそうになった。

「んー?んふふ。実は酒場経営は仮の姿でね、本業は別にあるの」

「そうなの?何して稼いでんの?」

 この街に働き口などないと言い切っておきながら、アニーは別の手段があるだなんて。きっとそれもいかがわしいものに違いない。
 ミチルのアニーに対する評価は少し下がっていた。イケメンアドバンテージがなかったら大暴落していたかもしれない。

 しかしそんなミチルの心中に気づくことなく、アニーはミチルの鼻先をチョンと三回優しく叩いて言う。

「ひ・み・つ!」

 ああああ!ちょん、ちょん、ちょんってされたあああ!ありがとうございまあああす!
 ……などと言う喜びをミチルは、それはもう血が滲むかのような努力で顔に出すのを我慢する。

 そして、言わずにおれない事を確認した。

「あの……と言う事はだよ?酒場で金を稼ぐつもりは元から無かったってこと?」

「そうだねえ。けちなおじさんから少額巻き上げるよりも、依頼一つこなす方が何百倍も儲かるからねえ」

 依頼?何、探偵でもやってんのかな?
 ていうか、そうなると──

「じゃあ、オレの今の状態って……?」

「ええ?えへへ?ミチルの可愛い姿が見たかったからかな!」

「オレで遊ぶなあぁ!」

 おじさんに少しくらいなら触られても我慢しよう、お金のためだもの。
 ミチルは少し悲壮感を持ってそんな覚悟を決めていた。それなのに、嗚呼それなのに。

「うわーん!ばかぁあ!素肌に白シャツはお前のシュミかあ!変態ぃ!」

「あっははぁ!ごめんごめん!」

 ミチルは怒りのやり場を持て余してアニーにくってかかった。
 両手でその胸をポカポカと殴る。何故かアニーはさらに笑顔になっていた。

「うわあ!」

 しかし、じゃれ合いも束の間、二人はバランスを崩して床に倒れこんだ。

「──!」

 そう、ミチルは偶然にもアニーを押し倒してしまったのである!
 視線と視線が絡んで、二人は身動きが取れなくなった。
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