第5話:退社し地元で療養生活

文字数 1,714文字

 その後、平島は、会社に戻ると、総務部で、上司に依頼された文章をパソコンで作成して、指示された部署にメールを送ったりする仕事をする様になった。残業はなく、9時から17時、昼休み1時間の生活となりストレスから解放された。そして、時間ができたので、小説を読み始めて、焦っていた自分の青春時代と振り返った。

 そして先日、来島兵蔵さんから言われた、
「人生まだまだ、長いんだ、短距離走でなく、長距離、マラソンのようなものだ」
この言葉をかみしめるように、思い出した。そうだ、自分なりに、自分の好きな人たちと、好きな所で、好きなように生きて行こうと決断できた。

 その後、この気持ちを鎌田さんにメールした。すると、翌週、横浜で会いましょうと言われ、出かけてカフェで、話をすると、その通りよと、開口一番、語った。
「人生まだまだ、長いんだ、短距離走でなく、長距離、マラソンのようなものだ」って、本当に素敵な言葉と笑顔で話した。

 平島が、今年の12月のボーナスをもらったらNECを退社して実家に帰って横須賀で進学塾でも開いて、自分たちが食べて行けるだけ稼いで、君と一緒になって、長生きしようと静かに語った。すると鎌田さんが、何も言わないと思ったら、涙で、顔中がくしゃくしゃになり化粧も落ちてしまった。そして周りを構わず号泣した。

 その後、平島は、鎌田さんの勤める横須賀市民病院の循環器内科の外来を受診するようになった。そして1997年4月20日、横須賀のホテルで結婚式をあげた。新婚旅行は、夏休みにした。この頃、平島の預金は300万円、鎌田さんの預金が300万円であった。来島兵蔵さんが、平島にアパートを探そうかと聞くのでお願いした。

 すると、横須賀市民病院まで徒歩15分の長坂アパートを紹介してくれた。築20年の横須賀市営住宅、鉄筋コンクリート5階建て、3DKで、平島の本籍が、ここだから、家賃が5万円で、空くと知らせてくれる様にした。横須賀市民病院まで徒歩15分位だと話した。平島と雅恵さんは、7月29日から2泊3日で北海道へ新婚旅行へ出かけた。

 北海道では、小樽の海の見えるホテルに2泊し名物のお寿司や焼き鳥の店で、食事をした。観光は、余市のニッカウヰスキー工場へ行き、工場内を散策し、ウイスキーの試飲を楽しんだ。天狗山ロープウェイで頂上からの景色を眺め、小樽水族館、ニシン御殿を訪問した、その他、運河通りの旧日本銀行跡、日本郵船小樽支店跡を見学した。

 バイクで横須賀中央駅へ行き、貸会議室を探すと1時間千円程度で、30人位は入れる部屋であった。1997年9月1日から中学生と高校生に週1回、土日、祭日、月謝、中学生2千円、高校生3千円で募集をかける様にポスターを制作した。そのポスターに連絡先を書いて市役所、市の公民館、地区の集会所などに次々と貼って回った。

 すると高校生を中心に電話がかかって来て9月中に24名、集まった。そこで、8人単位で、質疑応答形式で、家庭教師の様に教えていくことを考えた。日曜の14~15時、15~16時、16~17時の3時間に振り分けて、個々に連絡をした。9月7日、集まると、自己紹介を各自3分で、お願いし、その後、各自から質問を受け、答えていった。

 回答は、1人5~10分としたが、重複した質問もあり、充分にこのペースで行けることが分かった。しかし、3時間、終了すると、浸かれたのは事実だった。しかし、2度目からは、慣れたせいか、それ程のストレスは感じなった。一方、結婚して、奥さんの雅恵さんが、雨の日や遅くなった時に送迎してもらえる様に、中古のスズキワゴンRを折半で購入。

 そして、送迎を始めたが、車で数分の距離であり、余り負担にならなかった。それに、酒を飲む習慣もなかく、両親の買い物にも付き合える様になり、非常に重宝した。やがて12月となり1998年を迎えた。

 この時、横須賀の証券会社の口座に300万円を送金した。1998年8月15日、朝、証券会社からの担当者から電話が入り東京エレクトロン株の気配値が2960円で安いので買いと言われ、千株を成り行き買いを出すと、296万円で買え、残金が4万円となった。
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