第2話

文字数 21,185文字

 あるいは私は人生に飽いているのかもしれない。

 こんな風にして、無為(むい)に時を過ごして、だんだん歳を重ねていく。もちろんそれは私の望んでいたことじゃない。もっと若い頃の私は、人生にそれなりに希望というものを持っていたのだ。いつか自分はもっとずっと自由になれるのではないか、という根拠のない確信のようなものを持っていたのだ。しかしそれもいつの間にか消えてしまった。私は今なんとか生きているけれど、それはただ単に「生き延びている」というだけのことに過ぎない。中身のない空っぽの容器が、脚を持って歩き回っているだけのことだ。

、と私は思う。いろんなことが、私のちょうど一メートル上空を通り過ぎていくような感じ・・・。何かに触ろうとしても、それは本当には私には()れない。なぜなら本当の私はここにはいないから。どこかもっと別の場所を彷徨(さまよ)っているのだ。何かを探して・・・。

 二十五歳になって、休職して、ただこんな風に歩き回っている。目的地も持たずに。こんな風に長く散歩をしたのはずいぶん久しぶりのことだ。学生のとき以来かもしれない。あのときはこうやってぶらぶらと当てもなく歩き回るのが楽しかった。友達と一緒のときもあったし、ボーイフレンドと一緒のときもあった。でも一人で歩いているときが一番楽しかったかもしれない。孤独を愛する女、というわけでもないのだけれど・・・やはり一人で歩いていると、いろんなことを考えられた、ということが大きかったのだと思う。物理的に身体を動かしていると、自然に頭を空っぽにすることができた。そこにあくまで勝手にどこかから想念が流れ込んでくるのだ。私はそれを()分けしたりせずに、ただ受け入れていた。そしてまたどこかへと押し流す。それはちょうど透明な空気を吸って、そして吐き出すような作業だった。しかし、にもかかわらず、確実に静かな心の高揚(のようなもの)がある。あのとき私は自然に私自身であることができた。ほとんど努力すらせずに。

 でも今ではそれが、ある意味では小さい世界の内部で生きていたからこそ、可能だったことなのだと分かる。私は一種のファンタジーの中で生きていたのだ。見たいものだけを見て、見たくないものからは都合良く目を逸らして生きていた。両親と一緒に暮らしている限り――実は今でも一緒にいるのだけれど――経済的に本当に困ることはない。雨風もしのげるし、食べ物だってたっぷりとある。ときどき喧嘩はするけれど、彼らは基本的には私を甘やかして育ててきた(それは私自身認めざるを得ない)。困ったときに見捨てるような人たちではない。

 もっとも今思うと、そのようなぬるい環境が私を駄目にしてしまったのかもしれない、と感じなくもない。まあ今さらそんなことに文句を言ったって始まらないのだけれど、とりあえず。私は大学の文学部を出て(英文科だった)、結局は専門的な仕事に就くのをあきらめて、ある中堅どころの保険会社に就職した。その後二年間というもの、脇目も振らずに働いてきた。休日出勤も(いと)わなかったし、急な残業にも文句を言わなかった。私はあるいは

自らを社会の歯車にしようとしていたのかもしれない。今思うとそういう部分も結構あったような気がする。私は自分の背後にある何かにひどく怯えていて、その事実から目を覆い隠すために仕事にひたすら励んでいたのだ。それは両親には決して見ることのできない何かだった。私にはそれが分かった。彼らは良い人たちだけれど、逆にいえば「良い人」という枠組みの中から出ることのできない人たちだった。もう終わってしまっているのだ。いや、より正確に言えば、

人たちなのだ。肉体的に生き延びることはできる。でもその精神は、あるポイントで、永久に動きを止めている。ときどき(かす)かに震えることはあっても、その先にある壁を越えることはない。たぶんそのまま死ぬのだろうな、と私は思う。そんなこと実の両親に対して思うべきじゃないのかもしれないけれど、きっとそれが事実だろう。というか世間のほとんどの人たちがそうじゃないか? 見るべきものを見ないで、見たいものだけを見て、狭い世界で汲々(きゅうきゅう)と暮らし、やがては

死ぬ。あるいはそれは本当は幸福なのだろうか? 私がおかしいだけなのだろうか?

 まあいずれにせよ、当時私が逃げていたのは――今ではその正体がある程度は分かっているのだけれど――自分自身の死だったのだと思う。もちろん人はいつか死ぬ。そんなのは当たり前のことだ。ずっと前から人々はその事実を知っていたし、それは今現在でも変わらない。人が死んだらお葬式をやって、

へと送る。哀しいことではあるけれど、そんなこと誰に文句を言ったって変わるわけでもない。受け入れるしかないことなんだ。むしろ今生きていることの方を感謝すべきなのではないか?

 しかし一方で、自分自身の死を受け入れている人はほとんどいないんじゃないか、と私は最近感じている。彼らは他人の死は見える。もちろん。でも自分の死は見ていない。なぜなら怖いから(その気持ちはよく分かる)。あるいは死んだあとのことが分からないから(その気持ちも痛いほどよく分かる)。しかし死を受け入れなければ、私たちの人生は、どこか間違った方向に進んでいってしまうのではないか? どうもそう思えてならないのだ。「狭い世界」と私が言うのはそういった意味合いにおいてだ。死があれば、本当に価値のあることが見えてくるはずだ、と私は思う。たとえば時間。たとえば時間。時間がこうして流れている状態は、決して当たり前のものではない。最近私はひしひしとそれを感じ取っている。このように世界が――自分自身が――動き続けている、ということをリアルタイムで認識することができる、というのは、決して自明の状態ではないのだ。そう思うに至ったのにはいくつかの直接的なきっかけがある。

 その最初のものは、つまり、今年の春にかつての同級生の男の子が自殺したことだった。ある朝、突然、中央線に飛び込んだのだ。彼は同級生ではあったけれど、一浪していたから歳は私よりも一つ上だった。英文科のゼミで一緒になって、卒業後は就職を拒否して、アルバイトをしながら小説家を目指していた。不思議な顔をした、不思議な男の子だった。おっとりとした顔をしているのに、書く文章はナイフのように切れた。彼はヘミングウェイについての秀逸な卒論を書いた(私はカーソン・マッカラーズについて書いた)。基本的にいつもニコニコしていたのだけれど――よくつまらない冗談を飛ばしていた――時折ふっとその顔に暗い影が差し込むことがあった。今思えばそれが(きた)る死を暗示していたのかもしれない、と感じなくもない。彼は明らかに何かに取り()かれた男だった。その「何か」を有効に文章に移し替えることができれば、あるいは有能な作家になったかもしれない。なんとか賞を取って、もしかしたらベストセラーなんかを書いたかもしれない。しかしそんなことは起きなかったし、もしかして始めから彼自身もそのことを予期していたのかもしれない、と思うこともある。というのも彼は、さほど生きることに執着しているようには見えなかったからだ。「俺はさ、たいして文芸業界に興味がないんだ。実のところ」と卒業したすぐあとに彼は言った(私たちはある駅でばったりと顔を合わせたのだ。彼はアルバイトの帰りで、私は仕事の帰りだった。慣れないスーツを着て、慣れない化粧をして、慣れない営業用の微笑みを浮かべていた。それが彼に会った途端、ふっと昔の自分が戻ってきたのだ。私は心からほっとすることができた。自然に肩の力が抜けていた、というか・・・)。

「でも小説家を目指しているんでしょ?」と私は訊く。

「まあそれはさ・・・つまり・・・」

「つまり?」

「ほかに道がないから」

「ほかに道がない?」

「そう」と彼は言って頷いた(その瞬間、かつて見せたあの影がふっと姿を現した。それは心持濃くなっているように、私には思えた・・・)。「いろいろ考えたんだけどさ、全部嘘っぽいんだ。就職も、あるいは編集者になるとかいう道もね。翻訳家も駄目だった。というかまだチャレンジもしていないんだけど・・・それってなんとなく分かるんだ。ああ、これはただの

に過ぎないなって」

「なんだか耳が痛くなる話だね」と私は言った。「私は嬉々(きき)としてシステムに呑み込まれている。安定した生活。自由の欠如。こうやって時は過ぎていく・・・」

「いや、君はすごいよ」と彼は言った。全然嫌味のない口調だった。「本当にそう思う。ねえ、俺は正直に思うんだけどね、システムに反抗したってどこにも行けないんだ。まあ前から分かってはいたけどさ。反抗してもね、結局はシステムに呑まれることになる。だとしたら大人になって、それを有効に利用してやるほかない。そうしないともっとひどいことになる」

「でもあなたはアルバイトをしながら小説を書いている」

「そう」と彼は言って言葉を探した。それはやがて見つかる・・・。「そうなんだけどさ、なんか俺に関してはこれしか道がないみたいだ。心底そう悟ったんだよ。ねえ、君だけに言うけどさ、俺は実は火星人なんだ」

「私は驚かないけど」と私は言って微笑んだ。「あなたは地球人っぽくないから」

「まあ君ならそう言うと思ったよ」と彼は言った。「でもさ、これって冗談抜きの話なんだ。ついこの間悟ったんだよ。ああ、

だ、って。たぶん地球人の肉体に寄生したんじゃないかな。それで意識を動かしているんだ。まるでブルドーザーの操縦席に座っているみたいにさ。右を向け、と指示を出せば右を向く(彼はそこで実際に右を向いた。そこには太ったおばさんがいた。驚いた顔をしてこちらを見つめている・・・)。左を向け、と言えば左を向く・・・」

「火星人のあなたは何を目指して生きているのかしら? それとも何も目指していないの? 私たちと同じように、ただ生き延びることだけを考えている?」

「まさか」と彼は言って笑う。「なにしろ火星人だからね。物質的なことには興味がないんだ。彼らが愛するのは自由だ。というかそういう気がする、ということだけれど・・・。だから俺は火星人の一員として自由を目指すことにするよ。あくまでその手段が小説である、というだけのことなんだ。俺が言いたかったのはそういうこと」

「なんか分かったような分からないような・・・」

「いずれにせよ、さ」と彼は口調を変えて言った。「とにかくいつかは俺も君も、生きているという事実を祝福できる日が来るかもしれない。それを辛抱強く待とうじゃないか。今はきっとトレーニング期間なんだ。ずっとこれが続くわけじゃない。というかそう思って、なんとか自分を保っている」

「じゃあ数年経って芽が出なかったら、正社員になって、結婚して子どもを持って、幸福にニコニコと暮らそう、という意思はないのね? あなたには?」

「先のことなんか分からないさ」と彼は言う(また影が差し込む)。「未来が分からないのは火星人も地球人も一緒さ。だから今自由になるしかない」

「うまく行くといいね。いろんなことが」

「君も」と彼は言った。そして留保のない微笑みを浮かべた。



 彼は結局その二年後に死んでしまった。ある意味では綱渡りをしているような状態だったのかもしれない、と今では思う。あちら側と、こちら側。そういう観点で言えば、彼は自分が思っているよりもずっと貴重な人間だったのかもしれない。私たち通常人の固まった意識に、何か真に重要なものを見せることのできる、鋭敏な精神を持っていた。問題はその「鋭敏さ」に――あるいは鋭敏さが要求する

に――彼自身が耐えられなかった、ということにある。今では私にもよく分かるのだけれど、人間の意識というものは、常に発達を目指すものらしい。昔からそうだったし、きっと今でもそうだ。問題は

、というところにある。そう、それは可能なのだ。心の真の声を聞かず、むしろ周囲の人間の声を聞いて、体裁(ていさい)を取り(つくろ)う。形だけ立派な振りをして、善悪の判断すら何か別のものに委ねて、そして今ここにある透明な時間をやり過ごす・・・。そのようにして生き延びることは可能なのだ。というか私自身心のどこかでは――それはだいぶ弱い部分なのだが――それを求めているのではないか、という気さえする。それでももっと深い部分においては――その声はときどき浮かび上がってくる――執拗にそのような流れにノーを唱えている。寝ているときも、起きているときも(もちろん退屈な仕事に精を出しているときも)、私は実は本質的にはその声に気付いていたのだと今では思う。というのもそれは、私の真の声だったからだ。本当の意味で生きられるべき声だったからだ。私はある意味ではそこから逃げようとして、日々を生きていたようなものだったのだ。

 さて、それで彼のことだ。彼はたぶん綱渡りをして生きていた。それはつまり、普通の人々のように、

をして生き続けることに耐えられない、ということを意味する。彼にとって肉体的生存は――

肉体的生存は、という意味だが――決して善を意味するわけではなかったはずだ、と私は確信している。それは本当に単なる手段に過ぎなかったのだ。彼の言葉を借りれば、「ブルドーザー」の部分だ。ブルドーザーの維持はもちろん必要な作業だ。油を差したり、燃料を補給したり、ちょっとした部品を付け替えたり、塗装を直したり・・・。でも本質的には、それは「手段」でしかない。方向性と目的を与えるのは、操縦席に座った火星人としての彼の「意識」である。そしてその意識が、常に発達することを求めている。ある種の芸術家と同じように――彼はその手前までは行っていたと思うのだが・・・――一つ所にずっと留まっているわけにはいかなかったのだ。なぜなら「今」が生きることを要求するからだ。私にはただ想像するしかできないのだけれど――なにしろ「通常人」だから――それでもきっとそんな感じだったんだろうな、という気がする。そんな彼にとって、毎日退屈なアルバイトに時間を取られるというのはすごく苦痛だったはずだ。本当は小説を書くという行為に心血を注ぐべきだったのだ。

 しかしそこでふと、彼のあの影のある微笑みが頭に思い浮かんでくる。あるいは彼は最初からこの運命を予期していたのではなかったか・・・? 私はそれを信じたくはなかったけれど、なんとなく雰囲気から、そういった可能性も導き出されてくるのだ・・・。彼は実は最初の段階から、自殺することを決意していたのではなかったか? 地上で生きるよりも、どこか別の世界で自由になることの方を――本当にそれを「自由」と呼べたら、の話だが、とにかく――選んだのではなかったか? だからこそあんな風に影のある表情をしていたのではなかったか・・・?

 私はできることなら人生に希望を持って生きたかった。本当の希望だ。大学生の頃のような、単なる都合の良いファンタジーではなくて、真に広い視野で見つめた、死を越える可能性を持った、本当の希望だ。でもそれを獲得するためには、私はもっともっと強くならなければならないのだろう。今はまだ自信がなさ過ぎるし、経験もなさ過ぎる。私の頭の中にはいろんな本の受け売りが整理されないまま散らかっている。尊敬している作家もいるし、尊敬している画家もいる。好きなミュージシャンだっている。彼らはちゃんとした自分というものを持って、きちんと――少なくとも傍目(はため)には、ということだが――この世を生きている(生きていた)ように思えた。でも私は・・・まだ

だ。自分というものを持っていないのだ。将来の道筋も見えない。個人的なルールすらない。ただの受け売り。体裁を取り繕っている。毎日働いてはいるけれど、そんなのはただの肉体的生存に過ぎない。周囲の人間の退屈さにはほとほとうんざりさせられるけど――同僚も、顧客も、みんな――でもいつの間にか、私自身がその一部になっているような気がする。いや、間違いなくその一部だろう。一番ひどい部分かもしれない。なぜなら自分を信じることができないからだ。(おり)の中を、グルグルと歩き回っているに過ぎないからだ。そのようにして、一歩一歩、確実に死に近づいているのだ。時間を無駄に押し流しながら・・・。

 その中でもなお私はかろうじて「希望」のようなものを心のどこかでは信じていたのかもしれない。それは明確な形を持たなかったけれど、もしかしたら(彼が言ったみたいに)今のこの状況は一種のトレーニング期間みたいなものであって、いつかずっと先には、自信を持って自由に生きられる自分自身が現れるかもしれない・・・。そこにつながる淡い光のようなものが――それは青い光で、(かす)かに震えている。私はそんな(あか)りを、心の奥で想像していた――

、どこかに存在しているのかもしれない・・・。そう思うことでかろうじて自分を保っていたのだと思う。

 それでも彼が実際に死んだと聞かされたとき、私の中の何かがポキンと折れてしまった。英語の慣用句でラクダの背中の上の最後の(わら)、という言葉があるけれど、まさにそんな感じだった(まあ「藁」と呼ぶには大きな事件だったけれどね)。私をかろうじてこの世の「正常な」生活に結び付けていた(たが)のようなものが、急に(ゆる)んでしまったのだ。実は話を聞かされてすぐには涙は出なかった。「もしかしてそれが決まっていた流れだったのかもしれない」とさえ感じていたからだ。でも三日後くらいに、真夜中に目が覚めて――本当に暗い時刻だった。何時かも分からなかったくらい――突然滝のように涙が溢れ出てきた。彼とはあのとき以来一度も顔を合わせていなかった。共通の友人からときどき話は聞いたけれど(相変わらずアルバイトをしながら小説を書き続けている、ということだった。さっぱり賞は取れていないけれど・・・)、それ以上の情報は私の耳には入ってこなかった。まあみんな忙しかったし、正直自分のことで手いっぱいだったのだろう。それにもし会ったとして私に何ができた? 彼は自らの暗闇と向き合おうと悪戦苦闘していたし(たぶん、だけれど・・・)、私は私で、地上に自分の生活を確立するために悪戦苦闘していた(みんな悪戦苦闘しているみたいだ。いろんな場所で)。他人のことに構っている暇など、私たちにはなかったのだ。

 それでもなお、彼の存在は私の心の奥の特別な場所に、いわば特別な印象を残していたみたいだった。ほかの誰を持ってしても埋められることのない穴が、彼の死後そこには空いていたからだ。決して男性として好きだったわけではなかったのだけれど(たぶん・・・)、彼の中にあった、ある種の影を含んだ

が、私の心を切ないやり方で震わせていたのだ。そう、それは弱さだったのだ。彼の強さではない。彼の中にはどこかあきらめ切ったような部分があって、それがかつて私をイライラさせたことがあった。「俺はどうせこの程度の人間だからさ」というような部分だ。でも私は腹を立てたりするべきではなかったのだ。なぜなら彼もまた弱い生身の人間だったからだ。その事実に私は彼が亡くなってからようやく気付いたのだ。私は勝手に彼は自分よりもずっと先に進んだ人間なのだと思い込んでいた。そのようにして、一種の希望を託していたのだ。心のどこかでは。しかし彼だって私とほとんど変わることのない――あるいは私よりもさらに弱い――一人の(おび)えた子どもだったのだ。今ではそれが分かる。しかし何かが彼を孤独な道に連れ込んだのだ。そして発達を要求した。

、と彼の中の何かが要求していたのだと思う。お前にはこの道しかないんだ。おい、進め! 立ち止まるんじゃない!

 彼はその孤独に――あるいは恐怖に、あるいは私の想像できない何かに――耐えることができなかったのだと思う。八王子の狭いアパートの一室で真夜中に目が覚める。闇が自分の身体に充満しているのが分かる。自分は先に進みたいが、かといって具体的にどうしたらいいのかが分からない。なぜなら道標(みちしるべ)というものがどこにもないからだ。明日も早く起きてアルバイトに行かなければならない。そのようにして肉体的生存を維持するのだ。でも何のために? 

? 一体何のために俺は生きているのだろう? 火星人としての俺は・・・。

 そのとき心の奥でずっとくすぶっていた死への思いが再燃してくる。あるいは「再燃」してきたのではなくて、いつも頭の中でその妄想を(もてあそ)んでいたのかもしれない。その可能性は十分にある。時折見せる暗い影は、そういった暗黒の想念を暗示していたのかもしれなかった。彼は働いているときも、文章を書いているときも、電車に乗っているときも、食事をしているときも、ベッドに横になっているときも・・・ずっと常にその想念を(もてあそ)んできたのだ。なあ、いっそ死んだらいいじゃないか? そうすれば全部終わる。面倒なことは何も考えなくていい。どうして生に固執(こしつ)する必要がある? まわりを見てみなよ? みんなクソみたいなものじゃないか? 生きれば生きるほど人は駄目になっていく。ごく(わず)か例外はいるが、それはまあ天然記念物みたいなものさ。俺は違っている。俺にはどうせ駄目なんだ。一生アルバイトのままさ。自分の文章なんか書けっこない・・・。だとしたらどうしてこれ以上生きる必要がある? 肉体的生存なんかただの手段に過ぎない。歳を取って、頭が()けて、くだらないことをやって、くだらないことを言って、飯を食ってクソをして、子どもをもうけて、それにまた時間と手間をかけて・・・。まあそんなところだろう。何の意味もない。どこにも行き着かない。いや、行き着くべき場所はあったな。それは死だ。死がすべてを解決するはずだ。だとしたらどうして長々と時間をつぶす必要がある? 今すぐに死んだらいいじゃないか? 手元に適当なロープがないから、明日の朝一番に電車に飛び込んだらいい。みんなに迷惑をかけるが、まあそこまで考える必要はないだろう。なにしろ俺はもう死ぬのだから。それは前から決まっていた流れだったのだから。そう思うと気が楽になる。みんな本当は今すぐ死ぬべきなんだ。その少数の天然記念物的な例外は除いて、ね。なにしろ役立たずだからな。どいつもこいつも。

使



 これはあくまで私の勝手な想像である。彼が死ぬ間際に一体何を思っていたのか――というかそもそも思考というものを持っていたのかどうか――私には定かではない。でも部分的には合っているのではないかとも思う。なぜなら――これには最近ようやく気付いたのだが――彼と私とは共通の何かを心の奥に有していたからである。この世の通常な流れにそぐわない何か。どうしてもそこから逃げ出そうとする何か。反抗的な何か・・・。問題は私たち二人とも、それを有効な、ポジティブな行動へと持っていくことができなかった、ということにある。いや、私はまだ終わってはいなかった。彼は死んでしまったけれど、私はまだ生きている。でもいまだに、何をどうすればいいのかも分からずにいる。私はそもそも何を人生に望んでいるのだろう? ただ生き延びるだけではなくて、体裁(ていさい)を取り(つくろ)うことでもなくて、もっと本当に価値のあるもの・・・。でもそれは何なんだろう・・・?

 いずれにせよ、それが――つまり彼の死が――私の背中に乗った最後の(わら)の一本だったわけだ。私の背骨は――想像上の背骨は――その重さに耐えきれず、ポキンと音を立てて折れてしまったのだ。正確に言えば、その涙を流した翌朝も、なんとか仕事には行った。習慣の力というものは恐ろしいものだ。いつものように化粧をして、スーツを着て、(かばん)を持って、嫌いな仕事用の靴を履いて、電車に乗って職場に行った。朝食は食べる気がしなかったから、何も食べなかった(白湯(さゆ)だけ飲んだ)。意識がふらふらしていることにすら気付かなかった。私は自分を機械として扱おうと決めていた。正直なところ、それはここ最近ずっとそうだったのだが(感情を持たない機械だ。もちろん)、その朝は

そう決めて仕事に取り掛かっていたのだ。でもくだらない書類をコピーしている最中に、ふっと意識が飛んで、(あお)向けに倒れてしまっていた(らしい)。目が覚めたときは後頭部に(こぶ)ができていた。後ろにあった椅子に頭を強くぶっつけたようだった。ふと気付くと、同僚や上司たちが心配そうな顔で私を見下ろしていた。仲の良い(例外的に仲の良い)同期の女の子が、冷たいタオルを私の(ひたい)に当てていた。「ねえ! 大丈夫? ねえったら!」という声が聞こえた。

「火星人・・・」と私はそのとき言ったらしい(あとでその話を聞かされた。すごく恥ずかしくなった)。

「火星人? 何を言っているの? 大丈夫? 頭を強く打ったんじゃない?」

 私は首を振った(らしい)。「火星人。私は火星に帰るから・・・」

「いいからあなたは眠っていなさい」とその子は言った。「今救急車呼んであげるから」

「火星人・・・」。そこで私は、また深い眠りに落ちた。



 結局二日間入院して――もっと病院にいなければならないと言われたのだけれど、無理を言って出てきたのだ――自宅に戻った。両親はひどく心配していた。でも彼らには本当のことは言えなかった。「私は火星人です」なんて(なぜか私は目を覚ましたときそのことを確信していたのだった。心の奥の方で確信したのだ。

、と。だから地上のものごとに興味が持てないんだな、と)。「きっと頑張り過ぎて疲れていたのだと思う」と私は言った。「少し休めば、すぐに復帰できると思う」

 無理をしないで、と口々にみんなは言ったけれど、私としては本当にあと数日休めば復帰できると信じていたのだ。何のために自分が生きているのかは分からなかったけれど――それは実は今でもそうなのだが、とにかく――それでも簡単に仕事に穴を空けるような人間にはなりたくなかった。つまらないし、退屈だ。嫌なこともたくさんある。でもこうして一人の社会人として――いわば立派な「大人」として――生きていくというのは、そういうことなのではないか? 私はもう子どもではないのだ。そんなに簡単に、嫌いなことから逃げているわけにはいかないのではないか? なぜなら完璧になにもかもがうまく行っている社会などどこにも存在しないからだ。私はこの数年間でひしひしとその事実を思い知らされていた。そんなものは若者の未熟な頭の中にしか存在しない。私たちは一人一人(もろ)い魂を持った、不完全な肉の(かたまり)に過ぎないのだ。間違いも犯すし、調子が悪くなるときだってある(ちょうど今の私みたいに、ね)。でもそんな中で、なんとか生き延びていかなければならないのではないか? 生きる意味を探求するのはそのあとだ。まずは手段を、システムを、きちんと確立しなければ・・・。この地上において・・・。

 でも頭でどれだけそう思っても、身体の方が付いていかなかった。倒れた一週間後くらいに無理矢理仕事には行ったのだけれど、そこでもまたひどい貧血を起こして、危うく倒れかけた(そのときは背後にいた誰かが助けてくれた。きっと最初から警戒していたのだと思う。まあ顔色は(すこぶ)る悪かったから・・・)。それでこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない、と思って、その場で「仕事を辞めます」と上司に言った。でも彼は――中年の太った、温和な、それなりに人柄の良い上司だった――今はまず休んで、それから考えればいい、と言ってくれた。

 と、いうことで、私は休職扱いになり、それ以降実家で、ただ肉体的生存を保っている。一カ月休めば復帰できるだろう、と最初は思っていたのだけれど、それがいつの間にか二カ月になり、三カ月になり・・・そろそろ半年になろうとしている。なんだか休めば休むほど復帰するのが億劫(おっくう)になってくるみたいだった。やっぱり私は火星人だったのかもしれないな、と私は思う。そもそも地上の重力に合うようには作られていないのだ。みんなはみんなのルールの下で、ただ生き延びていればいいじゃない。でも私は・・・。あれ? 私はそもそも何を求めていたのだったっけ? ただ逃げること? そうじゃない。そうじゃなくて・・・。



 結局どれだけ考えたところで答えは出なかった。仕事を辞めることは簡単だったけれど、辞めたところで次に何をすればいいのかも分からなかった。両親は「しばらく休んでいたらいい」と言ってくれたけれど、私だっていつまでもこんな風にぐずぐずしていたくはない。でもまたあの職場に戻るとなると・・・。その想像は私を怯えさせた。空気が(よど)んでいるのだ。出口が閉じられてしまっている。しかし、その内部にいる人々にはそれが理解できない。たぶんあのとき私の首を絞めたのは――少なくとも絞めたように感じられたのは――そのような停滞した空気のようなものだったのだと思う。私は――火星人としての私は――本能的にそれを感じ取って、身を守るために意識を停止した。そのせいで身体は無防備にも、後ろ向きに倒れてしまったのではなかったか? だとしたら私はどうすればいいんだろう? このままここに逃げ込んでいたってどうにもならない。ただ時間をかけて死に近づいていくだけのことだ(その足音を、私は(じか)に聞き取ることができる。コツン、コツン、という靴音。

靴音だ。あるいは死神の・・・)。でもだからといって、職場に戻ることも、別の職に就くこともできそうにない。なぜならどこに行ったって一緒だからだ。あの停滞した空気は常に付きまとってくるだろう。そして私の首を絞めようとするはずだ。

。どこにも逃げ場というものがない。私はどうすればいいんだろう? この地上において・・・。

 正式な病名は「ストレス性のなんとか障害」といったものだった(本当に忘れてしまったのだ)。でも正直なところ病名なんてなんでもよかった。だって自分ではすごくよく分かっているから。要するに私は火星人で、地上の生活にどうしても適応できないのだ。あるいは逃げているだけなのかもしれない。その可能性は十分にある。私は甘やかされた子どもに過ぎず、本来大人が――立派な社会人としての大人が――負うべき責任から逃れようとあがいているだけなのだ、と。それはたぶんそのまま文字通り今の私の状況に適用されるべき言葉なのだと思う。でもにもかかわらず、こう思っている自分もいる。もしそうだとしたら、今すぐ死んだ方がましじゃないか、と。どうして肉体的に生き延びる必要がある? そんな必要はどこにもない。あると思い込んでいるだけで。だって人間が何を生み出してきたというの? (みにく)い街と、汚染された空気。それだけじゃない? みんな頭がおかしくなっていく。空気が淀んでいることにも気付かない。一生グルグルを続けて・・・そして死ぬ。その流れから逃れようとしている人なんて、本当にいるのかしら・・・?

 でもそんな思いを抱きながらもなお、私は執拗に生き続けていた。あるいは彼の――自殺してしまった彼の――思い出が私をかろうじて生に結び付けていたのかもしれない。重要だったのは彼が決して強い人間ではなかった、という点だった。彼は私と同じような生身の、(もろ)い人間だったのだ。それにもかかわらず、どこかに進もうとして、破れて、死んでしまった。彼の心の震えを、そのままの形で、私は感じ取ることができるような気がした。

、と休職後数カ月経って、私はようやく思うに至った。決して死にたかったわけではあるまい。どうしても自分を信じることができなかっただけで。そう思うと(たま)らなく寂しくなった。彼もまた、私たちのほとんどと同じように、自分自身の狭い世界から逃れることのできなかった、一人の臆病な子どもだったのだ。もしもっと広い視野を持っていたら、自分がそれほど駄目ではないことに気付いたはずなのに。もし(わず)かでも未来の光を感じ取っていたならば、それを一種の希望として孤独を乗り越えられたはずなのに・・・。意識に対する偏見ほど乗り越え難い壁はない、と私の中の誰かがそのとき言った。それが誰なのかは正確には分からなかったけれど、少なくとも私自身ではない誰かだった。あるいは私の心の奥の、目に見えない領域から出てきた人物――あるいは火星人――なのかもしれなかったけれど。私はそれをノートに書き記しておいた。「意識に対する偏見ほど乗り越え難い壁はない」と。

 私は当時薄々(うすうす)感付いていたのだけれど、まさに私がすべきなのはそのことだったのだ。というかそれ以外あり得ないはずだったのだ。意識に対する偏見を乗り越えること。彼がやろうとしてできなかったことだ。あるいは私もまた破れ去って、結局は電車に飛び込む羽目になるのかもしれない。でももしそうだったとしても、トライしてみないことには何も始まらない。日に日にそういった思いが(つの)っていくのが分かった。でもどうしても最初の一歩が踏み出せなかった。そのようにして、私はあの頃の日々を、ただ無為に生き延びていた。火星人として。あるいは目的地を持たない、単なる空っぽの地球人として。


 
 たくさん本を読み、たくさん音楽を聴いた。ネットフリックスで映画も観た。料理もしたし、ちょっとした散歩もした。でも本質的には、ほとんど何も考えていなかったんじゃないか、という気がする。というか考えを一つにまとめることができなかったのだ。私の心は怯えていて、本質的な部分に集中することを恐れていた。それでいろんな――罪のない――日常的なことをやって、ただ気を紛らわせていたのだ。定期的に病院に通ってはいたけれど、それはほとんど役には立たなかった。できるだけストレスのかからない生活を送ってくださいね。あとはいろんなことを深刻に考え過ぎないこと、と医師は言った。そして精神安定剤だかなんだか、そういった薬の処方(せん)を出される。それで終わりだ。この人は頭は良いのだろうけれど――だってそうじゃないと医者にはなれないからね。日本では――本当に重要なことには気付いていないのだろうな、と私は思う。自分が一人の人間で、一つの透明な意識で、やがては死んで闇に消えていくということを、

失念しているのだ。本当は私たちは自分の責任で、自分の人生を生きるべきなのではないか? 休んでいた数カ月の間に、ひしひしと私はそう感じるようになっていた。要するにどこにも正解なんてものはないのだ。肉体的生存はただの手段である。何をどうすべきなのかは、私たちの意識が――火星人としての意識が――自らの責任でもって、決めなければならない。そうしないと・・・そうしないと・・・物語の出口が閉じられてしまうことになる。私はあの停滞した空気を二度と嗅ぎたくはなかった。にもかかわらず、社会のほとんどの場所を、その空気が覆っているのである。私は息苦しくなり、また安全な自分の部屋に逃げ込む。まるで親離れできない小さな子どもみたいに(まあ実際にそうだったのかもしれないけれどね)。

 いろんな夢を見たけれど、そのほとんどがひどいものだった。私一人だけが泥沼にはまり込んでいる夢とか――みんなはすいすいと先に進んでいる――あるいは生きたまま火葬される夢とか((ひつぎ)(ふた)を内側からドンドンと叩くのだけれど、誰も気付いてくれない。熱い火が、周囲を覆っていくのが分かる・・・)。あるいは素っ裸で渋谷の街を歩いている夢とか(私は恥ずかしがるのだけれど、誰も私を見ない。まるで空っぽの容器か何かみたいに・・・)。

 そういえば一度彼が出てくる夢を見たことがある。彼は街角を歩いていて(その後ろ姿には哀愁が漂っている)、私は急いでそのあとを追う。そして声をかける。ねえ! 久しぶりじゃない! 元気してた? 彼はこちらを振り向く。するとそのとき、彼には脚が三本あることに気付く。奇妙な三本脚用のジーンズをはいているのだ。

「やあ、久しぶりだね」と彼は言う。よく見ると、彼には目が一つしかない。おでこのあたりに付いている・・・。「火星にいる間に、ずいぶん姿が変わっちゃってね」

 でも元気に生きてはいるんでしょ? と私は言う。

 すると彼はジロリと私の目を睨んで言う。「いいかい? あそこでは誰も生きてはいない。

。あくまで死にながら動いているに過ぎない」

 私はそこで逃げ出す。なぜなら彼の目の中にひどく暗いものが見えたからだ。闇の世界からやって来る何か・・・。彼が腕を伸ばすのが分かる。私は逃げる・・・。でもそのときふと、もう肉体がなくなっていることに気付く。背後では私の肉体が彼に食べられている。そう、文字通り

いるのだ。彼はむしゃむしゃと私の頭を(かじ)っている。髪の毛を引きちぎっている。目をくり抜いている・・・。だとすると、今ここにいる私は誰なんだろう・・・?

 そのときドクン、という心臓の鼓動が鳴る。私はふと上を見る。するとそこには、赤い火星が浮かんでいる。まるで月みたいに大きい。でも何かがおかしい。それは鼓動を打ちながら――またドクン、と鳴った。その輪郭が(かす)かに震えるのが分かる――どんどん大きくなって、空を覆い尽くしていく。もう少しで衝突するだろう。私は息を呑む。私は死んでしまうのかもしれない・・・。

 

、とそのときどこか遠くで彼が言う(私はすでにそこからかなり離れてきてしまっていた。にもかかわらずその声はすぐ耳元で発せられているように聞こえた。なぜか)。

。そのことに気付いていなかっただけでね。ドクン、とまた鳴る。ものすごい寒気が全身を覆うのが分かる。でもその瞬間、もはや自分には肉体がなかったことを思い出す。あとは

だ。無がすべてを覆った。私は本当の空っぽになって、目を覚ます。しばらく自分を取り戻すことができない・・・。

 意識を取り戻したとき――まだ眠り始めてから三十分くらいしか経っていなかった。夜中の十二時。本当に信じられなかった――私はこの状況を本気でなんとかしなければならない、と決意する。でも具体的にどうすればいいのかが分からなかった。どれだけ決意したとしても、その「決意」を辛抱強く生きなければ何の意味もないのだ、と私の本能的な部分は知っていた。しかし、その勇気をどうしても出すことができない。私は自分が嫌で嫌で仕方がなかったけれど、一方で自分から死のうとはなぜか思わなかった。生きる目的がないのに、こうして生き続けようと本能的に思っている。あるいはそれは、心のどこかでは――自分でも気付かないような深みには違いなかったが、それでも――希望を持っているということなのだろうか? 彼は死んでしまった。自分の、自分に対する狭い偏見の中で、成長することをやめてしまったのだ。でも私は? 私は成長することができるのだろうか? でもどこに向かって? 私にはそれすらも分からないじゃない?



 その日私はずいぶん長く歩いていた。こんなに歩くのはすごく久しぶりのことだった。大学生以来。気持ち良く晴れた秋の土曜日で、いろんなものの輪郭が普段よりも数倍クリアに見えるような気がした。こうして見ると、いろんなものは本当はそれほどつまらないわけでもないのかもしれない、と私は思う。あくまで私の視界が曇っていただけなのだ。本当の視力があれば、世界は実は面白いものに見えてくるのではないだろうか・・・。

 何かが私を動かしていた。そういった気配を、胸の奥の方に、感じ取ることができた。ドクン、ドクンと心臓は鳴り続けていた。地球人としての私の肉体。方向性は持たないけれど、とにかく生きたいと欲している。それに適切な目的を与えるのが、おそらくは意識の――火星人としての意識の――役割なのだろう。ずっと昔からそうだったし、きっと今でもそうだ。さて、私はこのままこのようにして逃げていたいのだろうか? それともいい加減どこかに進みたいのだろうか・・・?

 夕方近くになって、ある児童公園に辿り着く。初めて来る場所だ。自宅からは相当離れている。それでも脚がだいぶ疲れてきていた、ということもあって、私はそこにあるベンチで一休みすることにする。人影はまばらだ。子どもを連れた母親と、犬を連れた老人(七十代後半くらい)。隅っこの方でおばさんの二人組がいつ終わるとも知れぬ世間話に花を咲かせている。乾燥した風が通り抜け、そっと人々の服の(すそ)を揺らした。私はただそれを見ていた。徐々に夕暮れが近づいてきていることを匂いから悟った。冷やりとする夜の気配が、すでにそこには混ざり込んでいる・・・。どこまでも澄んだ空には、一羽のカラスの姿が見えた。カーカーと鳴きながら、視界を横切っていく。その声は不吉な警告のようなものを含んでいるように、私には聞こえる。一体何を警告しているのだろう・・・。

 そのときヒラヒラと、黒い羽のようなものが――というか羽でしかあり得なかったのだが――宙を舞って落ちてくるのが見えた。そのカラスから落ちたものだろう。カラスそのものはやがてどこかに消えてしまった。最後に「アー」と怒ったように鳴いて。やはり何かを警告していたんだ、と私は思う。一体何だろう・・・(でもその具体的な内容までは分からない。まあ当然のことだけれど・・・)。羽は何度か風に飛ばされて向きを変えたが、結局はヒラヒラと回転しながら私の足元に落ちてきた。それはなんだか、奇跡的な出来事であるように私には思えた。

奇跡的なのかはよく分からなかったのだけれど――だってただの羽だからね。(あぶら)ぎった、カラスの羽――この全体的な光景そのものが、何かを暗示しているように感じられたのだ。さっきの鳴き声。この乾燥した空気。私の精神状態・・・。そのすべてがピタリと合致して、今この現象を引き起こしたのだ。そしてさっきのカラスは何かを警告していた。あるいはその内容がこの羽のどこかに書かれているのかもしれない。地上の言葉ではないにせよ、どこか、別の国の言葉で。たとえば火星とか。

 私はそれを拾い上げる。でも想像していたような、特別な羽じゃないことがすぐに分かる。子どもの頃拾った、何の変哲もない、(あぶら)ぎった黒い鳥の羽と一緒だ。空を飛んでいるときに、一枚抜けて落ちてきた。風に乗って、ちょうど私の足元に。でもそれだけだ。警告の文書なんてものは、どこにも書いていない。私は頭がどうかしていたのだ。こんなものに何かを期待するなんて・・・。

 そのときドクン、と大きく心臓の鼓動が鳴る。私はそれを聞き逃さない。たしかに私の鼓動だ。いつもより長く歩いたのは事実だけれど、こんな風に鼓動が鳴ったことなんか一度もない。あるいは何か心臓に異常が起こっているのかもしれない。まったく。頭だけじゃなくて、心臓も具合が悪くなるなんてね・・・。まだ二十五歳だっていうのに・・・。

 そこでちょうど今やって来たばかりの十二歳くらいの少年と目が合う。ごく普通の格好をした、ごく普通の少年だった。でも目付きが、あの死んでしまった彼によく似ている。ちょっと影があるのだ。紺色のジャンパーを着ている。きっと彼のお気に入りなのだろう。なんとなくそういう気配がある。

、という心持ちが、空気に乗って、私の元まで運ばれてきたのだ。私はすぐに目を逸らそうとするのだけれど――だってずっと目を合わせているのはばつが悪かったから――でもそれができなくなってしまっていることに気付く。彼は何かを知っていたのだ。私の本能がそれを告げていた。ドクン、とまた心臓の鼓動が鳴った。私はとっさに胸を押さえる。それはどうやら、そこから聞こえてきたもののようだった。間違いない。しかしそれとまったく同じタイミングで、少年もまた自分の胸を押さえた。なんだか変だな、と私は思う。そして思わず微笑んでしまう。少年もまた、恥ずかしそうに微笑んでいる。その瞬間、私たちの間に言葉にできない心の交流が生まれる。どうしてだろう、と私は思う。だってただの小学生じゃない?(彼が十二歳であることを、なぜか私は確信していた。彼は十一歳でも十三歳でもない、まさに十二歳だったのだ。どうしてかその事実が特別な意味を持っているような気が、そのときの私にはしたのだ) 彼に私の気持ちの何が分かるっていうの?

 彼はゆっくりとこちらに近づいてきたけれど、その顔が示しているのは一つの(あらが)(がた)い事実だった。

だ。彼の目の影が伝えていたのは、まさにそういった事実だったのだ。彼は誰にも理解されない心を抱えていた。その年齢にして、だ。普通の人が見ることのできないものを見ている。そして死を――勇敢にも――今受け入れようとしている。私はそこから逃げ出そうとばかりしているというのに。

 彼は恥ずかしそうな顔をして、私の二メートルほど前までやって来た。両手をジャンパーのポケットに入れている。「カラス」と彼はぽつりと言った。「の羽。落ちてこなかった?」

「落ちてきたよ」と私は言って――声が予想外に緊張していたことに気付く。まったく。もう大人だっていうのに・・・――彼にその羽を見せる。「これ欲しい?」

 彼は首を振る。「いや、別に欲しいってわけじゃないんだけどさ・・・。この辺に落ちてくるのが見えたから。ほら。さっきさ」

「目が良いんだね」と間抜けな私は純粋に感心して言う。「私は視力が悪いから、きっとどこに落ちたのかなんて見えないと思うな」

「よく見れば見えるんだ」と彼は言う。「みんなよく見ないだけでさ」

「ふうん」と私は言う。そしてちょっと迷ったあとで付け加える。「ええと・・・ちょっとここに座ったら?」。そして少し移動し、ベンチに彼のためのスペースを空ける。でも彼は首を振った。

「いや、ここでいいよ。立っている方が好きだから」

「あ、そう」と私は動揺を覆い隠して言う(大人になるとこれがうまくなる。まったく・・・)。「じゃあいいよ。好きにしていて」

「うん」と彼は言って頷く。そのあと少しもじもじしていたのだけれど――私は辛抱強く待っている――やがてまた口を開いた。「その羽さ・・・。やっぱりちょっと見せてくれる?」

「いいよ。もちろん」と私は言って、さっき拾ったばかりの黒い羽を彼に渡す。彼はそれを受け取り、子細に点検している。まるでそこに何か貴重な文句が書かれているみたいに・・・。でもやはり何もなかったみたいだった。少し経って、彼は私にそれを返した。「はい」と言って。

 私は首を振った。「君が持っていていいよ。私は要らないから」

「いや、これはお姉さんのものだよ。ぼくのじゃない」

 そう言われるとなぜかそんな気がしてくるのだから不思議なものだ。あの、さっきの光景にはたしかに何かがあった。何か奇跡的なものだ。まるで火星と月と地球と太陽が一直線に並んだような――そんなことが天文学的に実際に起こり得るのかどうかは分からなかったけれど、とりあえず――そんな

、という感覚だ。あるいは彼もまた、その瞬間を目撃していたのだろうか・・・。

 私はその羽を受け取った。そしてもう一度(彼がやっていたみたいに)子細に点検してみる。でもやっぱり何も書かれていない。地球語でも、火星語でも。

「お姉さんも見えるんでしょ」と彼は言っている。「つまりさ・・・こう、いろんなことが」

「いろんなことが」と私は言う。やっぱり彼も火星人だったのだ。私はその事実を確信する。でもその若さでいろんなことが見えてしまうというのは、きっと辛いものだろうな、と私は思う。なぜならとことん孤独だからだ。あるいは彼もまた、私の同級生の彼のように、いずれ自殺の道を選ぶのではないだろうか・・・。孤独に耐え切れずに。意識が要求する「発達」を実現できずに・・・。

 そのときまたドクン、という大きな心臓の鼓動が鳴る。さっきよりもさらに大きな音だった。私はそれが引き起こした空気の震えさえ、目に見たような気になった。私たちはとっさに同じタイミングで、胸を押さえた。そして笑った。二人とも。同時に。

「今のはどっちだと思う?」と私は訊いた。「君の? それとも私の?」

「そっちじゃないかな」と彼は頭を掻きながら言う。「でも違うかな・・・」

 そのときカラスがやって来る。それはあの、羽を落とした、警告を発していた、まさにそのカラスだった。カー、カーとそれは鳴いていた。どこからともなくやって来て、死そのもののように黒い肉体を持ち、私たちの意識を揺さぶる。少なくとも「いろんなことを見ることのできる」人々の意識を・・・。そいつは公園の真ん中に下り立って、ピョンピョンと飛び跳ねながら、少しずつ少しずつ私たちのところに近づいてきていた。もう彼(あるいは彼女)は鳴かなかった。その必要がなかったのだろう。なぜなら今その鳥自体が警告と化していたからだ。私はとっさに立ち上がって、その場を離れようとしたのだけれど――私の弱い部分がそれを要求したのだ。まったく・・・――少年の存在がそれを思い留まらせた。いや、逃げてはいけない、と私は思う。これはただの鳥ではないのだ。これは警告なのだ。私たちの心の奥のどこかからやって来た、肉体を(そな)えた警告なのだ。私は大人で、これ以上逃げているわけにはいかない。少年が少しだけこちらに寄ったのが分かった。彼だって怖いのだ。でも勇敢に、あれを見つめたままでいる。私が逃げているわけにはいかないじゃない。

 私は立ち上がった勢いのまま、彼のすぐそばに行って、その左手を握る。お互いに汗をかいているのが分かった。彼は一瞬驚いたような表情を浮かべたけれど、私の手の感触から、すべてを悟ったみたいだった。そう、ぼくらは同類なんだ。火星人なんだ、と彼の顔は言っていた。私は手をぎゅっと握ることによって、それに認証を与えた。私たちは二人とも孤独な火星人。何のために生きているのかもよく分からない。でもこうして、二人して、一つの時を共有している。それは奇跡的なことであるように、私には思えた。

 ドクン、とまた心臓の鼓動が鳴った。それは私たちのちょうど中間で――つまり透明な空気中で――鳴っているようにも感じられた。私たちは空いている方の手で、それぞれ自分の胸を触った。カラスは――死は――ピョンピョンと跳ねながら、こちらにやって来ている。その目は私たちのちょうど中間を睨んでいるように見える。風が吹いた。乾燥した、どこまでもニュートラルな風だった。そう、風はいつも吹いている。時が生まれた瞬間から、それは吹いているのだ。私たちがそれに気付かなかっただけで。ぼくたちがそれに気付かなかっただけで。出口は決して閉じられてはいなかったのだ。



 カラスがもう一度鳴いたとき、私たちは二人一緒に死ぬ。

死ぬ。それを感じ取ることができる。でも原初の混沌の中で、二人の意識は混ざり合い、また分離して、この世に戻ってくる。一度視界が消え、また復活する。私は何度か(まばた)きをする。でもどうしても同じ世界には思えない。いろんなものが更新されているのだ、と私は思う。あるいはこの私自身が。

 よく見ると、カラスが消え去って、ちょうどその場所に、黒い、四角い、小さな箱のようなものが落ちているのが分かる。手のひらにちょうど載るくらいのサイズだ。少年は私から手を離し、それを拾う。そしてはい、と差し出して私に見せる。「ブラックボックスだ」と彼は言う。「これを開封するんだって」

「誰が言ったの?」

「火星人が」と彼は言う。「もう死んじゃったけどね」



 私たちは二人でベンチに戻り、それを一緒に開封する。もう怯えたりなんかしない、と私は決意する。私たちは孤独だけれど、必ずしも不毛なわけじゃない、と信じることができたからだ。それはどうやら少年も同じようだった。

「いっせいのせいで!」と私たちは言う。そして(ふた)を開ける。そのあと何が飛び出してきたのかは・・・もう一冊本を書かなければ説明できないと思う。たぶん。ね。

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