嘘と逆光

文字数 1,249文字

 公民館の屋根の下で、真依が来るのを待っている。
 突然の夕立で雨宿りする僕のところへ、傘を持ってきてくれるのだ。
 好きな人を待つ時間は苦にならない。

 幼少期を海外で過ごしていた僕は、この国に来た頃、言葉が通じなかった。
 そんな僕を周りの子はからかい、馬鹿にした笑いを浴びせ続けていて、意味がわからずとも僕は孤独を感じた。
 でも真依だけは違った。
 真依はいつも僕に寄り添ってくれた。
 真依が僕に言葉をくれた。
 曇りのない彼女の笑顔に連れられて歩きだすと、光が広がっていった。
 ただ暗がりでうずくまっていた僕にとって、それがどれほど嬉しかったことだろう。
 いつしか真依自身が、僕の光になっていた。

 ……でも最近は、影が落ちるイメージばかり頭をよぎる。一雫の影がたちまち広がり、光を閉ざしてしまう。そうなるとしたら僕のせいだ。
 クラスの男子のうち何人かは声変わりをはじめた。これから段々と大人の男へ成長していくんだろう。
 だけど僕にその機会は訪れない。
 雨が激しく打ちつける音を聞きながら、僕は上半身を手でなぞった。
 何度触っても同じ。胸が膨らみはじめている。
 嫌だ嫌だ嫌だ。
 嫌だ嫌だ嫌だ。
 自分の身体が女になっていく。僕はそんなこと望んでない。女に生まれたからといって、女になりたいと思ったことなんてない。なんでこの身体は望まない姿になろうとするんだ。なんで。どうして。
 朝起きた時が一番怖い。また一つ変化が進む気がして。取り返しのつかないところへ行くような気がして。
 でも真依は、きっと喜ぶだろう。
 僕と同じように成長していくことを、大人の女性になっていくことを、真依は無邪気に微笑むだろう。
 その時僕はどんな顔をしているのか、まだうまく想像できない。

 小降りになってきた頃、真依が現れた。大きな赤い傘を差して、屋根の下までやってくる。
「いやー雨すごかったね」
 傘を閉じた時、飛沫が首筋に垂れて、服の中に入っていくのが見えた。また少し真依は綺麗になった気がする。
「ありがとう、来てくれて」
「ん、いいって」
 はにかんだ笑みを見せた真依は、手に持っていたもう一本の傘とを並べて、僕に問いかけた。
「どっちにする?」
 赤い傘と青い傘だった。
「私は」
 本当は「私」なんて言いたくない。
「こっちがいいな」
 僕は赤い傘を選んだ。
「だと思った。赤いの好きだもんね」
 本当は青い方が好きだ。今まで女の子らしい方を選び続けてきたから、未だに誤解されている。でもそうしないと怖くていられなかった。
「じゃあ帰ろっか」
 歩きだした真依の後ろをついていく。傘で距離があるせいか、二人とも口数は少ない。
 ……僕はいつか真依に打ち明けることができるのだろうか。
 心と身体がちぐはぐな僕のことを。
 嘘ばかりなこの恋のことを。

 やがて雨がやむと、雲間から日が射し込んできた。
「ほら、おひさま」
 振り向いた真依の顔は、逆光で暗くなっていた。
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