第13話 妹のこと

文字数 2,059文字

 お絹が浮丸に囲われてから、約半年ほどが経った。そのお絹が浮丸の所へ来たのは、親の借金の返済のためであり、 女郎屋に自らを身売りをする為に或る人に依頼したのである。

 それは亡き父親が、仕事上で溜めてしまった膨大な借金の為なのだが、お絹自身が出来ることと言えば、それしか方法が浮かばなかったからである。

 おぼこ娘の自分が出来ること、それは自分自身を売ることだった。それはお絹が考えたすえに出した結論である。聡明なお絹には分かっていた。
 自分を売るという意味が……そんなことは、家が豊かだった頃には考えてもみなかった。
 その頃の多くの貧しい家では、そういう身売りが頻繁に行われていた。

 いわゆる口減らし、と言って家計が苦しい為に、家族の者を他へ奉公へやったり、 泣く泣く郭へ売ったりして、養うべき人数を減らしたりしていたからである。
 そして、郭へ身を売ることが、一番金になることもお絹は知っていた。そこで何をされるのか、おぼろげながらも或る程度は理解していたつもりだった。

 (くるわ)では、色々な男達に媚びを売り、身体を任せることも、一度、遊郭(ゆうかく)に入ってしまうと戻れない覚悟が必要だと言うことも……。
 しかし、お絹は心に決めたのである。

 亡くなったとは言え、大好きだった親の名誉回復の為に、お絹は自分でそれを果たしたかった。そして、自分自身も借金で苦しんで死んだ親の娘と思われたくなかったし、自分がそれに耐えられなかったからである。しかし現実には、お絹に手を貸す人などは誰もいなかった。
 口では可愛そうな姉妹、と言いながらもそれ以上に面倒を見るという者はいない。

 奉公人達は、危ういと思うといつの間にか店からいなくなっていた。人の世ほど薄情という言葉に虚しさを感じるものはない。お絹は自分を売った身請けの金できちんと借金も返し、 親の葬式もそれなりに上げて、どうにか親の体面を保つことができた。

 運良くそんなお絹の切たる思いを知り、世話を焼いた人がいたのも、お絹が心優しい娘であり、人一倍の美しい娘だったからである。
 それがお絹以外の娘だったら、これほど熱心に膨大な借金の穴埋めに奔走する人は恐らくはいないだろう。
 その時に、二つ下の妹は親戚の家に預けてきたが、それがいつも気になっていた。
 自分が郭に入れば一人残された妹は路頭に迷うことになる。お絹はそれだけが気がかりだった。
 叔父である父の弟の家に、お絹は頭を下げ、妹を引き取るように頼んだ。叔父の家も余裕があるわけでなく、苦しいのは分かっていた。しかし、せめても妹だけは、と妹のことを思わずにはいられなかった。

 自分が働いて、いくらかのお金が堪ったら送るからと涙ながらに訴えたのである。叔父夫婦は仕方なく妹を引き取ることだけは承知してくれた。しかしお絹は、叔父夫婦に自分が吉原へ行くとは言えなかった。
 それを言えば、引き留められるかも知れないという思いがあったからである。遠い所に奉公に行く、とだけ言ってある。

 そうしなければ、お絹は安心して郭に行くことが出来ない。お絹は、妹のお園にだけは、自分が郭に売られていくということは話してある。ただそこでは一生懸命に働くだけ、と言ってある。
 いずれ妹のお園が成長すれば、本当のことを理解するだろう、お絹はそう思っていた。
お絹が、自分の身体を売ってそれを金にすること以外には思いつかなかった。当時としても、その方法が一番に妥当だったようである。

 その頃、様々な女が私娼に成り下がり、自ら客を引いて糧を得ると言う女達もいた。莫大な借金を背負ったお絹には、それだけではとても足りなかった。その為には、華やかな吉原で身を売るしかなかったのである。

 そこで、浮世絵師の浮丸から、若くて綺麗な女がいたら連れてくるようにと、依頼されていた男に出会ったのは、せめてものお絹にとっては幸運だったのかもしれない。いよいよ、お絹と妹のお園が別れるときには、二人は抱き合って泣いた。涙が枯れてしまうほど、二人はいつまでも別れを惜しんで泣いていたのである。

「お園、お姉ちゃんは行ってくるね、お園のことはよく叔父さん達に頼んでおいたから」「お姉ちゃん、行っちゃ嫌だ」
「もうそんなこと言わないで、お園、姉ちゃんだって……」

 愛するお園をしっかりと抱きながら、お絹は眼に涙を溜めて抱きしめた。涙が後から後から溢れ、眼が涙で曇って見えなかった。ひょっとして、これが二人の最後になるかも知れない……お絹の心の中には、そう言う思いが過ぎっていた。

「うん、わかった」
 べそをかき、自分を涙の眼で見る妹がお絹はいじらしかった。
「しっかり働いて、おじさん達に可愛がって貰うのよ」
「う、うん、お姉ちゃんも、お姉ちゃんも……身体には気をつけてね」

 お園は涙声になっていた。
「いつか必ず、お姉ちゃんは帰ってくるよ、約束する」
「うん、お園は待ってるね」
 二人は涙に咽びながら、別れを惜しむようにいつまでも抱き合っていた。

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