第9話

文字数 3,191文字


華岳に戻ったアキヒトは浮かない顔であった。
心配顔の佐竹に、正直に正月の話をした。
館か佐竹なら佐竹のほうが合理的な答えを得られそうだ。
館は「黙って2号店やれ」と言うだろう。
武藤に相談したら世俗を離れて出家しようと言い出しかねない。

「公平に判断するなら、親族経営とは言えしっかりした会社に入ることは悪く無い
 どんなところでもラーメンの知識は活かされると思うよ」

工芸品とうま味がどう関係してくるのかは分からなかったが、素材の管理や工程手順は関係ありそうな気がしてきた。

「まあ、館君の2号店を振ったところで館君の問題なんだから、彼がどうにかすることだよ」

その通りだが、きっかけは館のお節介気味なところから始まったのでむげには出来ない。

「選択と決断 贅沢を言えば後悔しかしない 
 今、出来ることを大切にするなら上等な選択ばかりになるよ
 社長候補も工夫が必要さ」

味覚障害があっても、まだ味の研究を続けている佐竹の言葉には説得力があった。

味の無いラーメンに納得いく結論を出してから考えよう。
アキヒトは、その日も味の無い試食を繰り返した。


その日、佐竹は新聞を読んでいた。
”びっくり!味の無い水ラーメン新発売”の広告が出ている。
アキヒトがやってきた。新聞を見て佐竹も知っていることを理解した。

「青木君の会社だねえ」

青木は最初の試食会にもいた男である。
そこからアイデアを盗用したのは間違いない

「佐竹さんの案を盗んだんですよね」
「今まで相談は無かったなぁ、無味に特許は無いだろう どっちかというと商品化まで通したことに感心してるよ よくやったね さすが青木君だ」

味の無いラーメンで最初のインパクトを与えようとしていた目論みはもろくも崩れ去った。どう考えてもメーカーの真似をしたとしか思われない。
腹が立つと同時に、館が気になった。

館も華岳にやってきた

「あー、ふざけんな」

訴えるだなんだと息巻いていたが、それは無理だと佐竹に説得された。
荒れ狂う館が収まったところでアキヒトは切り出した。

「館さん、お披露目は予定通りやりたいです」
「ああ? 野間 おまえ……度胸が付いたな」

この後どうなるにしても、館には華岳に連れて来て貰った成果を納得してもらいたい。
その後のことはそれから考えれば良いとアキヒトは思った。


佐竹とアキヒトの”味の無いラーメン”は意外にもマスコミの食いつきが良かった。
お披露目にはグルメ番組のプロデューサーもいた。水ラーメンブームになるかもしれないと言われると、続くことが大事と言われると館も怒りようが無かった。
試食会常連の中には青木もいた。

にらみつける視線に気がついた青木はアキヒトに近づいた。

「ここの取り決めでね 店で出す 商品化するのは早い者勝ち
 佐竹さんには事後報告で良いってことになってるんだ」
「そうだねえ そのとうりだねえ
 今度から、事前相談ってことにしようかなぁ」

佐竹はのんきに答えた。
佐竹が許しているならアキヒトは怒れない。
これは佐竹のラーメンだ。

試食会が始まった。
アキヒトは佐竹の希望をどう叶えるかを考えた。
アイデアを出して検討した
試作を重ねた
佐竹の舌の代わりにレシピを決定したのはアキヒトだ

目の前にあるラーメン これが答えだ。

佐竹が挨拶した。

「では、待たなくて良いです 着いた順番からお食べください
 ただし、だれかが食べてる最中は感想は言わないようにお願いします」

静かな店内にラーメンをすする音がする。
青木が一口食べた後「ふん」と鼻で笑ったのをアキヒトは見逃さなかった。
館は眉間に縦皺を寄せて悩んでいる風だった。
他の参加者も頭にはてなマークが浮いていた。
最初の試食会と同じ反応だ。

半数は残していたので明白な結果だ。

沈黙が続く。
TVプロデューサーが最初に話し始めた

「引き算のラーメンであることは納得してましたが 実際口にすると思った以上の違和感がありました 
麺を水で煮ただけならまだ麺の味がしますが、これは無というか食感がある分マイナスな感じがしました」

「やはり固定観念のほうが大きいのはしょうが無いですね」
「素麺でない分たちが悪い気が」

不評である。
その様子を青木はニヤニヤと笑みを浮かべて見ていた。

「すまん、俺は濃い味に慣れすぎている」

館までも白旗を揚げた。


「野間君、質問は良いか?」

青木が最後に話し始めた。

「うちの会社に来る気は無いか 中途採用で掛け合おう」

ここにきて、また一つ進路のあてが増えてしまった。
大手食品会社だが、青木の部下は躊躇する。

「とりあえず 考えさせてください…」
「じゃあ、私からこれを説明しよう 間違っていたら野間君補足してくれ」
「ああ……はい」

「皆さんが美味しくないと感じたのは当然で、健康な人間向きでは無い
 食が細くなった人向きに特化しているラーメン どうかな」
「そうです その通りです」

青木は横柄だがただ者で無いことは感じた。
自分で言うより、言い当てられた方が嬉しい
これは、心を閉ざした人に食べて欲しいラーメンだ。

「精神的なもので食欲が減退したときに、栄養が取れるようにと考案しました
 お湯だけにはしていません 少しだけ米粉を使って重湯にしています。これで濃い味に似た食感を作りました。米は日本人の常食なのでご飯を食している人なら味を感じないと思いました。 麺も米粉です これは見た目よりカロリーがありますので栄養補給になります。
スープと麺同一素材にすることで、アレルゲンは絞れます。
縮れ麺はまだ難しかったので切り干し大根を使ったダブル麺にしました、揚げごぼうでトッピング食感も作りました」

「なるほどね うちの水ラーメンは徹底的にゼロキロカロリーにこだわったからコンセプトが逆だ 
野間君のはラーメンに味が無いというより、味を感じない人間が食べられるように作ってある」

「うん、青木君さすがだね その通りだよ」
「佐竹さん、まだレシピがある」
「ふふふ、それを教えるほどじゃあないよ」

佐竹に注目が集まる

「みなさんが感じたのは、味覚に障害が出た人間の反応ですよ。
 自分の舌に裏切られて信じられなくなる絶望感。
 でもねラーメンは食べたいのですよ 堂々とラーメンと名乗ってくれればそれはラーメンです これは僕が食べたいラーメンです」

一同が、口々に佐竹を賞賛した。
仕上げたのは佐竹なので当然だとアキヒトは思った。
館が近づいてきた

「いけるんじゃねえか 病院に卸す会社つくれ 俺も一口乗る」
「考えておきます。 とりあえず2号店よろしくお願いします」
「まかせておけ」
「会社を作るなら 一つ条件が」
「なんだよ」
「本社は盛岡に置きたいです」
「……まあ、いいんじゃないか」

アキヒトの覚悟は決まった

エピローグ

アキヒトは館の手配した蕪弦2号店の店長になった。
同時に食感に特化した食品会社の起業準備を始めている。

佐竹の店には毎週のように相談に行き
慈閑院の繁忙期には店を任せてヘルプに行っている

輝児の会社の件は、輝児が解決すべきことだと断った。
勝手な期待や陰口で母 由美を追い込んだことに対するささやかな復讐であったが、
結果、筆頭職人が渋々後を継ぐことになったので結果的には良かった。

青木が商品化した水ラーメンはごく薄味需要でロングラン商品となっている。
醤油一滴でも満足する層は意外と多かった。
おかげで蕪弦2号店の「味のしないラーメン」も注目されることになり取材が定期的に来るようになった。 
青木は中途入社の誘いに度々2号店を訪れているが、アキヒトは断り続けている。



季節はそれから二度目の春。アキヒトは盛岡の駅に降り立った。
由嘉里が迎えに来ている。
これから本社予定地を二人で下見に行く。
由嘉里へのプロポーズは下見の場所でするつもりだ。

アキヒトは自分の選択に満足している。
自分はこれを選んだのだ これからここで生きていこうと思った。
何でも上手く行くとか図々しいことは考えない
それでいい。


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み