その五・「敵」

文字数 1,481文字

 はいどうも。
 前回は「ほろ苦い恋のお話」の感想を書きましたが、今回は「華やかながら業の深い」掌編をとり上げようと思います。
 この話のヒロインは「キネマ女優」。彼女は出だしからぽろぽろ涙を流しています。自分が主役をつとめる映画を、映画館で見物しているのです。
 スクリーンに映っているのは、彼女の演じる「少女」が親の手から男に「売られてゆく」シーン。どこに売られるのかは明記されていませんが、「少女が処女を喪失する悲痛な場面」であるという描写で、お決まりの「色街へ売られていく」パターンなのだと分かります。
 スクリーンの中の「少女」と同じように、「キネマ女優」の過去も明るいものではなかったようです。
『――彼女の過去では、二親(ふたおや)が最初の敵であった。兄がその次の敵であった。だから、それから世の中の人間は(ことごと)く敵に見えた。とりわけ、男という男は皆敵であった。そして敵が一人ふえる度に彼女は暗い底への階段を一足ずつ下りた。』
 そこからどうやって「はい上がった」のか、現在は女優で映画の主役にもなれる「彼女」。彼女はしかし今、自分の演じる少女に感情移入して、映画館の薄暗がりでぽろぽろ涙を流しています。
 スクリーンの少女と同じように、彼女も「親の手で男に売られ」、処女を喪失したのです。
『彼女は過去のあの恐ろしい時を思い出すのでなくて、今自分のからだで味っているように感じる。このシインを撮影した時にも、彼女は芝居をするのでなくて過去のあの恐ろしいことを自分のからだで繰返しているように感じたのであった。』
 つまり彼女は「現実の喪失」と「このシインを撮影した時」、そして今「こうして映画を観ている時」の、三度処女を奪われたと、この掌編は表現します。
 そしてその「三度目の悲しみ」の最中に、ある男と女が席に案内されてきます。女は同じ撮影所の女優、そして男は監督なのです。思わず声をかけようとした「彼女」の前の席に座り、(おそらくは「彼女」よりずっと若い)女優は監督にささやきます。
「それごらんなさい。やっぱりうぶな処女には見えないことよ。からだがくずれてしまっているわ。ほ、あの胸のあたりでも――。」
 女優にとって最大級の侮辱に、彼女は「あ! 殺せないのか!」と思わず口走りますが、それ以上反論のしようもありません。今改めてスクリーンを見てみると、そこには前の席の若い女優の白い横顔ごしに見える、歳をとってくずれてしまった自分の裸体――。
 おそらくは、この若い女優と監督は「男女の関係」なのでしょう。だから女優は「ですます口調」ではなく、くだけた言い方で監督にささやいているのです。
 そして監督本人も、おそらく「この映画は失敗だ。主役はトウが立ちすぎている」とうっすら思っていたのでしょう。だから「映画の最初から」ではなく、「途中のシーンから」映画館に入館したのでしょう。
 その上監督のとなりには若い女優。彼女は映画館に来る道々、ずっと監督に話しかけていたのでしょう。
「あの女優はもうだめよ。映画の主役をはるのには、歳をとりすぎているんですもの。今度の映画を撮る時は、必ず私を使ってね。私のからだの若いことは……(小声になって)身に染みて分かっているでしょう?」
 この掌編は、こういう言葉で終わります。
『彼女は生れて初めてほんとうの敵に出会った。
 この女優はこの時四度目に彼女から処女を奪ったのだ。そして今度こそはもう影も形も残さずに――。
 ――男は決して女から処女を奪わないものだ。』
「若さ」という大きな武器を奪われて、一体この後この女優は、どうして生きていくのでしょうか。
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