第2話 天使からの願い
文字数 1,750文字
「な、何で見えないの? ここに、ここにいるのに!」
美亜は羊のような生き物を抱きかかえた手を両親へと差し出した。しかし、茉莉と寄夫に見えるのは、赤ん坊でも抱きかかえるように腕を曲げているだけの娘の姿。娘が何のことを言っているのかもさっぱりわからなかった。
「ごめんなさい、美亜ちゃん。何のことを言っているのか私にはさっぱり」
茉莉が申し訳なさそうに言うと、美亜が抱きかかえた生き物の目が少しずつ開きだした。
「あ、ママ。この子、気がついたみたい」
最初は光を失っていた丸い緑色の瞳が徐々に輝きを取り戻す。
「――おい、汝。我の姿が見えるのか」
「ひぃっ! しゃ、しゃべった!」
「驚くのは後にしろ。我の姿が見えるのかと訊いている。早く質問に答えろ」
「ご、ごめんなさい。――うん、見えるよ」
目を覚ますなり、ぶっきらぼうな口調で質問をする羊に面喰いながらも、美亜は大人しくその質問に答える。
「美亜? どうしたんだ? 何と話しているんだ?」
「パパとママにわかるように説明してちょうだい」
本当に心配そうな茉莉と寄夫の顔をちらりと見上げた羊は、苦虫を噛み潰したような顔をしながら低い声で唱えた。
「汝らが見たこと聞いたことの一切を忘れよ。メモワール・ラディーレン」
そうすると、茉莉と寄夫は小さな呻き声をあげて床に倒れこむ。
「パパ! ママ!」
「心配するな。ただ眠っているだけだ。起きたころには我に関する記憶を全て失うがな」
「ねぇ、一体あなたは何者なの? いきなり家に現れたり、私の名前を知ってたり」
羊は「我は」と言いながら体を起こしかけて、小さな声でうめく。
「じっとしてて。ケガ、治さないと」
美亜は腕から逃れようとする羊を左手のひらで制すると、
「痛いの、痛いの飛んでいけ」
そんなおまじないを唱えた。手のひらからは温かみのある淡いオレンジ色の光がほとばしり、羊の体を包み込んでいく。先ほどから、傷を負った動物が血液を流すように羊の体から流出していた光の粒子は止まり、ところどころ半透明になりかけていた体も徐々に色を取り戻しつつあった。
「驚いた。我のことが見えるだけでなく、汝は他人を癒す力を持っているのか」
「うん。私、子供の頃から小さな傷ぐらいなら治せる力があるみたいで。みんなにバレると大変だから、幼稚園児や動物ぐらいにしか使わないんだ」
「ありがとう。ずいぶんと体が楽になった。本来の力は取り戻せていないが、しばらく休んでいれば問題ないだろう」
「本来の力?」
「ああ。今はこのような子羊の姿になり、たいした高さも飛べぬようになってしまったが、本来は別の姿をしている。よく絵画に描かれている天使の姿を思い浮かべれば間違いないな」
「て、天使!? あなたが?」
実在するとは思ってもみなかったものの名前を言われ、美亜は目を丸くする。
「そう。我の名はミカエルだ。人の子の後継者である汝に頼みがあって、天界よりやってきた。途中悪魔からの様々な妨害にあい、一時は汝に会えぬかと思っていたが無事に会えたようでよかった」
天気の話でもしているかのような気軽さで、謎の生き物ことミカエルは美亜に重大な事実を告げた。
「ちょ、ちょっと待って。『人の子の後継者』って……。人の子って確かイエス様のことでしょう?」
「よく知っておるな。キリスト教を学ぶ学校に通っているだけのことはある。そうだ。汝は後継者として、現在天界にいるイエスの代わりに襲い来る悪魔から地上を守ってほしいのだ。治癒能力があるのと我が見えるのが後継者の証だ。なに、気にするな悪魔に対抗する力は授けてやる」
「そんな、急に言われても……。悪魔が襲ってくるって、何で……」
「それは――」
そう言いかけたそのとき、
「ミカちー、やっと見つけたー」
しゃべるカラスが一羽、ミカエルが開けた穴を通って部屋に入ってきた。
「ラウム!」「きゃあっ、今度は何?」
少年のような少女のような中性的な声でしゃべるカラスは、
「こいつはもらっていくよー」
「美亜!」
「ミカエルっ!」
美亜の顔を翼で叩き、彼女が反射的に目をつぶった隙をついて足でミカエルを掴むと入ってきた穴を通って空へと高く舞い上がっていった。
美亜は羊のような生き物を抱きかかえた手を両親へと差し出した。しかし、茉莉と寄夫に見えるのは、赤ん坊でも抱きかかえるように腕を曲げているだけの娘の姿。娘が何のことを言っているのかもさっぱりわからなかった。
「ごめんなさい、美亜ちゃん。何のことを言っているのか私にはさっぱり」
茉莉が申し訳なさそうに言うと、美亜が抱きかかえた生き物の目が少しずつ開きだした。
「あ、ママ。この子、気がついたみたい」
最初は光を失っていた丸い緑色の瞳が徐々に輝きを取り戻す。
「――おい、汝。我の姿が見えるのか」
「ひぃっ! しゃ、しゃべった!」
「驚くのは後にしろ。我の姿が見えるのかと訊いている。早く質問に答えろ」
「ご、ごめんなさい。――うん、見えるよ」
目を覚ますなり、ぶっきらぼうな口調で質問をする羊に面喰いながらも、美亜は大人しくその質問に答える。
「美亜? どうしたんだ? 何と話しているんだ?」
「パパとママにわかるように説明してちょうだい」
本当に心配そうな茉莉と寄夫の顔をちらりと見上げた羊は、苦虫を噛み潰したような顔をしながら低い声で唱えた。
「汝らが見たこと聞いたことの一切を忘れよ。メモワール・ラディーレン」
そうすると、茉莉と寄夫は小さな呻き声をあげて床に倒れこむ。
「パパ! ママ!」
「心配するな。ただ眠っているだけだ。起きたころには我に関する記憶を全て失うがな」
「ねぇ、一体あなたは何者なの? いきなり家に現れたり、私の名前を知ってたり」
羊は「我は」と言いながら体を起こしかけて、小さな声でうめく。
「じっとしてて。ケガ、治さないと」
美亜は腕から逃れようとする羊を左手のひらで制すると、
「痛いの、痛いの飛んでいけ」
そんなおまじないを唱えた。手のひらからは温かみのある淡いオレンジ色の光がほとばしり、羊の体を包み込んでいく。先ほどから、傷を負った動物が血液を流すように羊の体から流出していた光の粒子は止まり、ところどころ半透明になりかけていた体も徐々に色を取り戻しつつあった。
「驚いた。我のことが見えるだけでなく、汝は他人を癒す力を持っているのか」
「うん。私、子供の頃から小さな傷ぐらいなら治せる力があるみたいで。みんなにバレると大変だから、幼稚園児や動物ぐらいにしか使わないんだ」
「ありがとう。ずいぶんと体が楽になった。本来の力は取り戻せていないが、しばらく休んでいれば問題ないだろう」
「本来の力?」
「ああ。今はこのような子羊の姿になり、たいした高さも飛べぬようになってしまったが、本来は別の姿をしている。よく絵画に描かれている天使の姿を思い浮かべれば間違いないな」
「て、天使!? あなたが?」
実在するとは思ってもみなかったものの名前を言われ、美亜は目を丸くする。
「そう。我の名はミカエルだ。人の子の後継者である汝に頼みがあって、天界よりやってきた。途中悪魔からの様々な妨害にあい、一時は汝に会えぬかと思っていたが無事に会えたようでよかった」
天気の話でもしているかのような気軽さで、謎の生き物ことミカエルは美亜に重大な事実を告げた。
「ちょ、ちょっと待って。『人の子の後継者』って……。人の子って確かイエス様のことでしょう?」
「よく知っておるな。キリスト教を学ぶ学校に通っているだけのことはある。そうだ。汝は後継者として、現在天界にいるイエスの代わりに襲い来る悪魔から地上を守ってほしいのだ。治癒能力があるのと我が見えるのが後継者の証だ。なに、気にするな悪魔に対抗する力は授けてやる」
「そんな、急に言われても……。悪魔が襲ってくるって、何で……」
「それは――」
そう言いかけたそのとき、
「ミカちー、やっと見つけたー」
しゃべるカラスが一羽、ミカエルが開けた穴を通って部屋に入ってきた。
「ラウム!」「きゃあっ、今度は何?」
少年のような少女のような中性的な声でしゃべるカラスは、
「こいつはもらっていくよー」
「美亜!」
「ミカエルっ!」
美亜の顔を翼で叩き、彼女が反射的に目をつぶった隙をついて足でミカエルを掴むと入ってきた穴を通って空へと高く舞い上がっていった。