文字数 3,360文字

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「このドアホ。男にナイフ突き付けながら裁きの場に入ってくるやつがあるかい。そないなメチャメチャなことしよったら、わしの面目丸つぶれやないか」
 広場に入ってきたわしを見てそういった極道親父に、わしはこう返した。
「ふん。あんスカタンの自業自得じゃ。殺されへんかっただけ幸運や、思てくれんかったら困るで」
 わしは宰相のほうを見た。
「宰相の外道、カリカリしとるのがよおわかるわ。策が裏目に出よったさかいな。明日裁こういう被告に殺し屋差し向けたんやで。周り見てみい。みんな怒っとる」
「わかったから、あまり口を開いたらあかんで。お前はまだガキやさかい、なにいうかわからんからな」
 わしは宰相をにらみつけた。法典がなんやねん。わしらは悪いことはなにひとつしとらんで。悪いことをしとらんもんが、なんで裁かれなあかんのや。極道親父が何言おうと、言うべきことは言うたるど。
 宰相と神官は、やつらの信じるわけのわからん神さんたちに向かって生贄を捧げ、儀式を行ってからわしらにいった。
「これよりアブラハムとその一子イサクに対する裁判を執り行うこととする」
 わしらは無数の傍聴人に取り囲まれていた。傍聴人には、わしらの身を心配してかけつけてくれたわしらの一族と、それとは反対に、わしらを罰してやろうとするアビメレク王と宰相たちを支持する一派、さらには無数の、わしらにいかにして死刑の判決が下されるか、その瞬間を見ようとする野次馬たちが集まっておった。
 妙ちきりんな化粧をして、こけおどかしの衣装を着た宰相と神官たちが、起訴状を読み上げた。
「アブラハムとその一子イサク。汝らは国法に背き、外の国より持ち込みし淫嗣邪教の悪霊を崇拝し、あろうことか人身御供の儀式を執り行おうとした。それに相違ないか。申し述べることはないか」
 極道親父はいった。
「ありまんな」
 親父はわしの肩に手をかけた。
「人身御供の儀式が執り行われたんなら、それによって死んだ人間がおらなあかんはずや。せやけど、うちのイサクは、ここにこうしてぴんぴんして生きとる。これが何よりの証拠や」
 極道親父は宰相をぐっとにらみつけると、続けた。
「むしろ、イサクを人身御供にしようとしたんは、夜中にイサクの牢獄に夜這いして、イサクの身体にナイフを突きつけた御仁やあらへんか。ほれ、さっき、法廷に情けない顔をして入ってきよった、あのおっさんや」
 傍聴人たちの間で爆笑が起こった。苦虫を嚙み潰したような顔になっとるんは、宰相の手先やろ。
「被告人は、裁判に関係のないことを口にしてはならぬ。牢獄に無断で侵入したあの男に関しては、別の法廷で、国法によって厳正に裁かれることになるであろう」
 宰相はそういうと、わしに向かっていうた。
「アブラハムの一子イサク。汝は、かのモリヤの山で、汝が父アブラハムにいわれたことを正直に述べよ」
 来たな。わしはちらっと極道親父に視線を向けてから、いうた。
「親父は、持っていく荷物が薪しかないことに気づいて、『燔祭の贄はどこや』と聞いたわしに『そのうちわかるわ』というたわ。祭壇を組んでから、わしに『神さんの命令や。イサク、この場で死んでくれ』いうた」
 どよめきが起こった。
 宰相の手先どもは、それ見たことか、と、口汚くわしらを罵った。
 わしは声を張り上げた。
「親父がいうたことはそれだけや。しかし、親父がわしの命を取ろうと短剣を振り上げた時、わしと親父は、神さんの、『やめい』という声を聞いたんや。せやからわしらはやめた。わしらに『やめい』いうたんは神さんや。神さん自身が、人身御供の儀式を行うな、いうたんや。神さんも親父も、悪いことはなにもしてへんで」
 再び、傍聴人たちはどよめいた。
 宰相は怒鳴った。
「静粛に! 被告は聞かれたことについてのみ答えよ。お前の父親であるアブラハムは、お前を人身御供の贄にしようとした。それには相違ないな!」
「しようとするだけで罪に問われなければあかん、とは、法典のどこにも書いていないはずやで。それなら、彼女に告白した若い男が、『一緒になってくれなきゃわし、死んだるで』いうたら、それは殺人罪になるんか」
 裁判所は爆笑と野次に包まれた。
 わしとしては秀逸なジョークのつもりやったが、宰相にとってはあまり面白くはなかったらしい。
「静粛に! アブラハムの一子イサク、法典にこう書かれているのは知らぬのか。『王を弑し謀反を試みようと考えたものは、考えただけで、王が殺されなくても罪に問われる』とあるのを。汝の父の行いしことは、人道というものに対し、謀反を試みたも同罪である。然して、汝が父は、考えた、それ故に罰せられなければならぬ」
 わしは唖然とした。メチャメチャな理屈や。
「アホぬかせ。うちの親父は、神さんに対して、命令に背くことができんかっただけや。神さんに対して謀反を試みようと考えることは、考えただけで罪に問われることが明らかやないか。神さんに対して正直に生きるべきかどうかを問われたら、どんなアホやって神さんに正直に生きることを優先するはずやで。神さんが間違ったことをしない言うことがわかっとるんなら、ますますそうやろ。そして今回も、神さんは間違ったことはせえへんかった。神さんも親父も、なんも悪いことはしとらんわ。悪いのは、そんななんも悪いことをしてへん神さんを、インシジャキョウの悪霊とかいうあんさんたちの方やないんか」
 宰相の口がイヤミな形にひん曲がったのに気づき、わしは相手が仕掛けてきた罠にまんまとはまったことを悟った。
「アブラハムの息子イサクは、この神聖なるべき裁判の場において、神々とそれに仕える神官とを侮辱した。これは神聖の冒瀆であり、裁判それ自体の冒瀆である。われわれはかかる冒瀆の罪を看過するわけにはいかぬ」
 宰相は声を張り上げた。
「王と神々の名に従い、われわれは神聖冒瀆者であるイサクと、イサクにかかるおそるべき罪を犯すよう教えた父アブラハムとに死刑の判決を下すものである。また、『ひとつの神』という傲慢にもほどがある考えを抱き、他者に吹聴した者たちには、おってしかるべき刑罰を科すものとする」
 群衆がどよめき、わしらに向かって一斉に野次とあざけりの言葉が飛んできた。
 ようやくわしにもすべてのことがわかった。
 つまりはこういうことやな。
 わしらが強くなったとか、人身御供とかいうのは、ただの付け足しで、理屈あわせにすぎん。ほんまのところは、みんな、「わしらが別な神さんを信じとる」いうことが気に食わなかったんや。みんな、この辺りの土着の神さんたちを信じず、わしらが先祖から代々受け継いできた、「ひとつの神」というもんへの信仰を続けとることが、イヤでイヤでたまらなかったんや。そないなもんを信仰しとるうえにいくらか財産もあるわしらをいじめて、殺して、財産を巻き上げられたら、さぞかし気持ちええやろ、いうことで始められたのが、今回の陰謀の始まりであり、裁判やったんや。イシマエル兄貴をかつごうとしたんも、親父にひどい目にあわされて、神さんを恨んどるから、簡単に信仰をひっくり返せると考えたからやろな。
 アネルのクソデブも、わしの信仰が気に食わなかったんやろか。あの羊飼いのベトエルはんも、そしてもしかしたら……。そこから先はわしは考えたくなかった。
 なんじゃい。神聖な裁判いうて、徹頭徹尾メチャメチャやないか。そないな勝手な理屈がまかり通るんやったら、裁判なんて開く意味がないやないか。
 気のせいか、周りの景色さえも暗く思えてきた。
 捕縛しよう、いうんか、ここで殺そう、いうんか、武器を構えた衛兵がわしらを取り囲んだ。自然とわしと極道親父は背中合わせになった。
「イサク」
 背中越しに、極道親父がわしにいった。
「立派やったで。神さんを恨むな」
 わしは答えた。
「見損なってくれたら困るわ。神さんは恨まんわ。人身御供をやりたいいう外道は宰相のほうやないか」
 そのときやった。
 ちらっと冷たいものを鼻の頭に感じ、なんやろ、思て上を見上げたら……。
 どおっとばかりに、とんでもない量の雨が降ってきたんや。
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  • 第一章 カナンでいちばんの暴れん坊やでえ

  • 第二章 極道親父はキレると怖いでえ

  • 1
  • 第三章 白の洞窟でタイマン勝負やでえ

  • 第四章 こじれた話はなかなか戻らんでえ

  • 第五章 ケンカ売るんなら高う買うたるでえ

  • 第六章 男と男のホンマの決闘やでえ

  • 第七章 前代未聞の豪華な燔祭やでえ

  • 第八章 空に神さんのでっかいあかしやでえ

  • エピローグ

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