第13話 決断

文字数 1,970文字

 夏休みに入ると、春子の別荘通いは宿泊を伴うようになった。宿題まで持ち込み、結局半分くらいは彩香の元で暮らした。そればかりかなんと、彩香は光代とともに、春子兄妹を道内の二泊三日旅行にも連れて行った。
 
 
 こうして春子の満喫した夏休みも終わり、また運動会の季節がやって来た。例年通りの地区を挙げての一大行事。そして、去年と同じようにそこには周りに溶け込む彩香の姿があった。
 すっかり村の住人となった彩香を、もともとは勲の見合い相手だということを忘れてしまったように、誰も二人のことを気に留めなくなっていた。ただ、春子と勲だけは、そんな現状に不満を募らせていたのだが。
 
「父さん、雪が降ってきたら、おばさん、あっちのお家に帰ってしまうの?」
 運動会の翌日、春子が哀しそうに勲に尋ねた。
「そしたら、あの窓は暗いままだね」
 
 
 いつか茂に言われた通り、このままでは春子がかわいそうだと勲にもわかっていた。いや、自分こそなんとかしたいと強い焦りを感じていたのだ。でも、相手があること、それも心の問題であること。そう簡単に思い通りにいくはずもない。なかなか決心がつかないまま時を過ごしていたが、気持ちを伝えなければ前へは進めない。
 勲は正夫たちに牛の世話を頼んで、一日時間を作った。そして、高男から乗用車を借りた。
 彩香には、あらかじめメールで時間を空けてくれるように頼んでおいた。こうして、勲は心のけじめをつけるべく、その日に臨んだ。
 
 
 その日は少し風が強かったが、晴天に恵まれた。
 勲は緊張した面持ちで、高男の車で彩香を迎えに行った。その姿はいつもの作業着ではなく、シャツにスラックス、さすがにネクタイまではしなかったが。家の前の道で勲を待っていたカジュアルジャケットを羽織った彩香は、いつもと違う勲に
「あらっ」
とつぶやいたが、特に何も言わなかった。
「ちょっと遠出しましょうか」
 勲はそう言って、彩香を助手席に乗せると車を走らせた。見慣れた風景から離れ、非日常に身を置けば、今の自分の気持ちを素直に伝えやすくなる、そう思ったからだ。
 
 ドライブ中、気の利いた音楽でも流せればいいのだが、勲にはどんな曲を選べばいいのかわからない。直接彩香に聞けばいいのだろうが、もしもクラシックなどと言われたら困るのであえて聞くことはしなかった。しかたなくラジオをつけた。
 
 やがて二人を乗せた車は目的地に着いた。そして、勲はこの日のために調べておいた洒落た店に彩香を案内した。どんな場所でも彩香はとてもよく似合う。ところが、勲にとってこうした店はどうも居心地が悪い。柄にもなくこんな店を選んだことを後悔し、食事を済ませ早々と店を後にした。
 
 そして、再び車を走らせ、景色のいい小高い丘に車を止めた。さっきの店で会計の時、店員にこの場所を教えてもらった。あの店を選んでそれだけは正解だったようだ。
 結局、車内の音楽にしても、食事をとる店にしても、背伸びをしている自分が勲は滑稽に思えてきた。こうして、自然を目の前にしているのが一番自分らしいし、気持ちも楽だ。無理は長く続けられない。
 それにしても、彩香はどう感じているのだろうか? いろいろ連れ回されても何も言わずに従い、その場を楽しんでいるように見える。そして、今も気持ちよさそうに遠くの景色を眺めている。
 勲には、彩香の気持ちが全く読めなかった。自分と過ごす二人の時を特別に思ってくれているのか、それとも友人としてただこの時間を楽しんでいるだけなのか、あるいは無理をしてこのドライブに付き合っているのか――そんな不安から、勲はなかなか本題に入れずにいた。今日こそは、とここまでがんばってきたのだが――
 
 と、その時だった。急に強い風がビューッと吹きつけた。その風にあおられて倒れかかった彩香を、勲は咄嗟に抱きとめた。すると彩香はその逞しい腕の中で、こうつぶやいた。
「あたたかい……」
 勲は愛しい人を腕に抱き留め、自分の高鳴る鼓動が彼女に伝わってしまうのではないかと気恥ずかしさでいっぱいになった。
「風が出てきて寒いですね、車に戻りましょう」
 ところが、そんな勲の言葉にも、彩香はそのまま動こうとしない。ひょっとして……そんな思いに駆られ、勲は胸の高鳴る想いをそのまま告げた。
「好きです……ずっとそばにいてください」
 勲自身にも信じられないほど、自然とそんな言葉が口をついて出た。そしてもっと信じられないことに、
「はい」
 勲の腕の中で、彩香は確かにそう答えた。
 
 
 帰りのドライブの間中、二人はほとんど無言だった。それは気まずさからではなく、互いに、先ほどの急展開の余韻に浸っていたからだ。
(それにしても、彼女は俺のどこを気に入ってくれたのだろう?)
 歓喜の絶頂の中で、この疑問が勲の頭から離れることはなかった。

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