第3話 急
文字数 1,593文字
あれから、数ヵ月後。
その日は唐突に訪れた。
「絵実。白奈だけど、今、いい?」
深夜、突然の来客。インターホン越しに聞こえてきたその声に、絵実は驚きを隠せなかった。
コンクールが終わってしばらく経ってからサークルに顔を出さなくなった白奈が、突然現れたからではない。その声からは、あの無邪気な明るさが感じられなかった。それどころか抑揚もなく、まるで無感情で機械的な声だったのだ。
「し、白奈?」
ドアを開け、絵実はいよいよぎょっとした。
憔悴しきったその顔に、元気だった頃の面影はない。こちらを睨むように眼をぎらりと向けた白奈は、靴も脱がずにずかずかと絵実の部屋へと上がり込んできた。
「ちょっと……白奈?」
唖然としてその行動を止める間もない絵実は気にも留めず、床に腰を下ろしながら、白奈が口を開く。
「絵実。コンクール、大賞だったんだって? しかも出版社から連絡も来た、って聞いたけど。良かったね、おめでとう」
その言葉に、絵実は意味もなくどきりとした。
「あ、ありがとう」
「悔しいなぁ。言ったっけ? 私ね、昔から漫画家になるのが夢だったの」
俯きながら語る白奈。その表情は、絵実の目からは伺えない。
「私、小中高って虐められてたんだ。アニメが好きで、休み時間は絵ばっかり描いて、ただそれだけでさ。だから、絶対漫画家になって見返してやるって、そう思ってたんだけど……あはは。結局三年間、絵実には一回も勝てなかったなあ」
「し、白奈。その……」
「勝てなかった……うん。勝てなかった、の、なら。ただ勝てなかっただけなら、もっと頑張ろうって、こんな気持ちにもならなかった、のに……」
「え?」
その瞬間、白奈の視線が、首が、表情が、奇妙に歪む。
「ねぇ、絵実。あの作品、私が応募したのと同じストーリー、だよね?」
絵実の心臓が、早鐘のように鳴り出した。
「ね、ねぇ。どうして? あなたの作品が受賞した、それはいい。いいんだけど、どうして? どうして私が送ったはずの作品が向こうに届いてなくて、受賞したあなたの作品のストーリーは私が送ったはずの作品と同じなの……?」
「そ、それは、その……」
最早絵実に言い逃れる道は残されていない。
そう、彼女はやってしまったのだ。
何度も互いに読みあい、感想と批評をし合った応募作品。その白奈の作品の内容の面白さに嫉妬した絵実は、応募作品とは別の作品を白奈の作品の内容を流用する形でこっそりと仕上げ、応募作品を差し替えたのだ。
パクリだとバレないよう、サークル側でまとめて送るために集めた応募作品から、白奈の作品は抜き取って。
「許さない……許せない……!」
白奈の正気を辛うじてつなぎ止めていた友人の裏切りを信じたくないという思いは、この時、逃げ道を探そうと絵実が浮かべた表情を前にぷつりと弾け飛んだ。
片や絵実にとっては遊び半分の本気で挑んだコンクールでも、片や白奈には積もり積もった十数年間が泡の如く爆ぜたコンクールだったのだから。それが自身の力不足ではなく軽い気持ちの裏切りが原因とあっては、その怒りは尚の事激しく……。
「ちょ……ちょっと!」
アパートに、絵実の声が響く。
続けて鳴り響く、ガラスか何かが割れる音。白奈がゆらりと立ち上がり、弾かれたようにその手を振るう。テーブルの上に乱雑に置かれていた紙の束が宙を舞い、まだアルコールの残っているグラスが床に落ちて砕け散った。
向かい合う二人の間を、張り詰めた深夜の冷気が駆け抜ける。
「あなただけは……あなただけは……!」
「待ってよ! 謝る、謝るから……!」
部屋を満たすのは、恐怖。そして、明確な殺意。
「あなただけは……許せない……!」
次の瞬間、絵実の視界に光がきらめく。割れたガラスが喉笛に走り、鉄臭い赤色のインクが撒き散らされ――。
その日は唐突に訪れた。
「絵実。白奈だけど、今、いい?」
深夜、突然の来客。インターホン越しに聞こえてきたその声に、絵実は驚きを隠せなかった。
コンクールが終わってしばらく経ってからサークルに顔を出さなくなった白奈が、突然現れたからではない。その声からは、あの無邪気な明るさが感じられなかった。それどころか抑揚もなく、まるで無感情で機械的な声だったのだ。
「し、白奈?」
ドアを開け、絵実はいよいよぎょっとした。
憔悴しきったその顔に、元気だった頃の面影はない。こちらを睨むように眼をぎらりと向けた白奈は、靴も脱がずにずかずかと絵実の部屋へと上がり込んできた。
「ちょっと……白奈?」
唖然としてその行動を止める間もない絵実は気にも留めず、床に腰を下ろしながら、白奈が口を開く。
「絵実。コンクール、大賞だったんだって? しかも出版社から連絡も来た、って聞いたけど。良かったね、おめでとう」
その言葉に、絵実は意味もなくどきりとした。
「あ、ありがとう」
「悔しいなぁ。言ったっけ? 私ね、昔から漫画家になるのが夢だったの」
俯きながら語る白奈。その表情は、絵実の目からは伺えない。
「私、小中高って虐められてたんだ。アニメが好きで、休み時間は絵ばっかり描いて、ただそれだけでさ。だから、絶対漫画家になって見返してやるって、そう思ってたんだけど……あはは。結局三年間、絵実には一回も勝てなかったなあ」
「し、白奈。その……」
「勝てなかった……うん。勝てなかった、の、なら。ただ勝てなかっただけなら、もっと頑張ろうって、こんな気持ちにもならなかった、のに……」
「え?」
その瞬間、白奈の視線が、首が、表情が、奇妙に歪む。
「ねぇ、絵実。あの作品、私が応募したのと同じストーリー、だよね?」
絵実の心臓が、早鐘のように鳴り出した。
「ね、ねぇ。どうして? あなたの作品が受賞した、それはいい。いいんだけど、どうして? どうして私が送ったはずの作品が向こうに届いてなくて、受賞したあなたの作品のストーリーは私が送ったはずの作品と同じなの……?」
「そ、それは、その……」
最早絵実に言い逃れる道は残されていない。
そう、彼女はやってしまったのだ。
何度も互いに読みあい、感想と批評をし合った応募作品。その白奈の作品の内容の面白さに嫉妬した絵実は、応募作品とは別の作品を白奈の作品の内容を流用する形でこっそりと仕上げ、応募作品を差し替えたのだ。
パクリだとバレないよう、サークル側でまとめて送るために集めた応募作品から、白奈の作品は抜き取って。
「許さない……許せない……!」
白奈の正気を辛うじてつなぎ止めていた友人の裏切りを信じたくないという思いは、この時、逃げ道を探そうと絵実が浮かべた表情を前にぷつりと弾け飛んだ。
片や絵実にとっては遊び半分の本気で挑んだコンクールでも、片や白奈には積もり積もった十数年間が泡の如く爆ぜたコンクールだったのだから。それが自身の力不足ではなく軽い気持ちの裏切りが原因とあっては、その怒りは尚の事激しく……。
「ちょ……ちょっと!」
アパートに、絵実の声が響く。
続けて鳴り響く、ガラスか何かが割れる音。白奈がゆらりと立ち上がり、弾かれたようにその手を振るう。テーブルの上に乱雑に置かれていた紙の束が宙を舞い、まだアルコールの残っているグラスが床に落ちて砕け散った。
向かい合う二人の間を、張り詰めた深夜の冷気が駆け抜ける。
「あなただけは……あなただけは……!」
「待ってよ! 謝る、謝るから……!」
部屋を満たすのは、恐怖。そして、明確な殺意。
「あなただけは……許せない……!」
次の瞬間、絵実の視界に光がきらめく。割れたガラスが喉笛に走り、鉄臭い赤色のインクが撒き散らされ――。