第1話

文字数 1,711文字

 今は昔、約20年前、当院が所属する医療グループはブルガリアへの医療協力の一環として、首都ソフィアに総合病院を建設した。ブルガリアは2007年1月に欧州連合(EU)に加盟したが、加盟当時には EU最貧国であった。
 私は幸運にも建設途中の病院見学と、現地の医療スタッフとの意見交換のため、ブルガリアを訪問する機会を得た。その時のことは今でも私の脳裏に鮮明に残っている。

 何よりの収穫は、ブルガリアの歴史と文化に触れたことだった。
 ブルガリアには数千年の歴史があった。ソフィア郊外の国立民族歴史博物館で、ボランティアのガイドは、ブルガリアには紀元前4~5世紀からの出土品があること、7世紀から 12世紀までブルガリア王国が栄えたこと、そして 14世紀からトルコに支配され 19世紀に独立したことなどを熱く語った。
 私は常々、日本には 2000余年の歴史があるということを誇りに思っていたが、ブルガリアにも数千年の歴史があることを知り、ブルガリアの人たちとは、時の流れを共有して付き合っていけそうな親近感を覚えた。

 そしてブルガリアの文化に触れられたのも大きな収穫だった。
 私は酒が大好きで、これは偏見で申し訳ないが、自分たちの文化を代表する酒を持たない国や民族は貧しいと思っている。例えば、日本には日本酒、韓国にはマッコリ、中国には老酒、ロシアにはウオッカ、ドイツにはビール、フランスにはワイン、イギリスにはスコッチ、アメリカにはバーボン、メキシコにはテキーラ、さらにインド・ネパールのチャン、デンマークやスウェーデンのアクアビットなどがあるようにだ。
 私はブルガリアには国を代表する酒はなく、ヨーグルトだと思っていた。

 ところが驚いたことに、ブルガリアの人たちの自慢はワインと、ワインの葡萄の搾りかすを蒸留して作ったイタリアのグラッパのようなものの一種で、アルコール度40度の無色透明な Rakia(ラキア)という蒸留酒だった。
 現地スタッフとの夕食会で、ブルガリアでは晩餐は Rakia(ラキア)をストレートで乾杯して始まると聞き私の胸は震えた。
 「よし、大和魂の威信に懸けて Rakia(ラキア)を飲んでやろう。」
と、私は妙な愛国心に燃えた。ショットグラスに注がれた Rakia(ラキア)は澄んだ無色透明をしていた。
 「Na() Zdrave(ズドラヴェ)!(乾杯!)」
 Rakia (ラキア)は鮮烈でこそないが、ほのかな香りのする柔らかな強さを持った美味い酒だった。
 「It's very nice! I like it! (これは美味い! 大好きだ!)」
 ショットグラスの Rakia(ラキア)を何杯もひょいっ!と飲み干した。結果は、Rakia(ラキア)に負けてしまった。大層酔いが回って呂律(ろれつ)が怪しくなり、
 「Rakia(ラキア)大好き、ブルガリアも大好き。」
という極めて単純な会話しかできなくなったが、これが現地のスタッフに大いに受けた。

 私がブルガリアで感じたことは、ブルガリアは経済的には貧しいかも知れないが、文化的には豊な国だということだった。午後、2~3時間をかけてワインを飲みながらゆっくりと昼食を取り、そのセコセコしない生活態度には、ブルガリアの悠久の歴史の流れを感じさせた。
 「そんなにのんびりしているからこの国は貧しいのだ」というよりは、「これで十分なのだ」という一種の余裕すら感じた。
 そんな彼らには、文化を積み重ねた重みがあった。

 酔っ払って Rakia(ラキア)の写真を撮る余裕がなかったが、17世紀後半にブルガリアに持ち込まれた薔薇の花は、ブルガリアローズとしてブルガリアの特産品になった。
(写真↓*https://premium.photo-ac.com から引用した)

 特に香料として注目され、ブルガリアのローズオイルは世界の香料用薔薇生産の7割を占めている。
 ブルガリアはアルコール度40度の Rakia(ラキア)で酔わすだけではなく、薔薇の香水の華やかでエレガントな匂いでも人をうっとりと酔わせてしまう不思議な魅力のある国だった。

 あれから約20年の歳月が経過した。
 今もあの時の高揚した気分を思い出す。
 Rakia (ラキア)で、
   Na() Zdrave(ズドラヴェ)!(乾杯!)

 んだんだ!
(2024年5月)


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