十五 警察病院
文字数 6,416文字
翌日十時(二月七日、金曜)。
「よおっ、二人に会えるんか?」
ケイは警察病院の五階外科病で、通路の奥の椅子に腰かけている内藤刑事に向ってつっけんどんに声をかけた。
「仕事を抜けてきたんですか?」
内藤刑事が椅子から立ちあがって挨拶した。
「職務権限を使った。早く二人に会わせろさ・・・」
タエもケイと同じに、ぶっきらぼうに言った。ケイは総務課長代理、タエはデザイン企画室長代理だ。タエもケイも、これほど無愛想にすることは無かったが、内藤刑事を通じて盗難の被害届けを取り下げても、タエとケイにとって、二人のヤスオの存在自体が非常事態なのに変りなかった。二人が入院していても警戒が必要なのだ。
「今、回診中です。もうしばらく待ってください」
内藤刑事は病室のドアを示した。ドアの左右に警官が座っている。
あんな二人のヤスオのために、警護するなんてご苦労なことだとケイは思った。
「なあ、内藤さん。国家権力に使われる立場として、企業人の権力行使をどう思う?
アンタも使われる立場だ。人を使う側が、アンタの意にそぐわない指示をした場合、使う側に対して不満はないんか?」
ケイはそう話しながら、通路の壁と天井を見た。一定の距離を保って、天井と、天井に近い壁に、全方位型の監視カメラがある。
タエはケイの視線を追った。この監視カメラは新型だ。高性能集音器内蔵だろう。
タエがそう思っていると内藤刑事が口を開いた。
「それは、役職に関わらず、誰にしろあるでしょう。
たとえ警察庁のトップでさえ、そのように政府から指示されるはずだ。トップも、気にくわないと思う・・・」
内藤刑事は今回の一連のヤスオに関係する件を、上からの指示があったから指示通りに行っているだけで、良くは思っていない様子だった。
タエは、昨夜の件で、内藤刑事が上から何か注意と新たな指示を受けたのを実感した。いずれ、それとなく訊きだしてやろう・・・。
タエは内藤刑事を見て監視カメラを見た。
「確かにそうだな。理不尽でも、従わなけりゃあ、降格か左遷だもんな。
ヤスオたちには、それが無いんだべ?」
「そうなんか?ヤスオたちは内藤さんに指示する立場なんか?」
ケイはそう話しながら監視監視カメラに向って手をふって投げキッスしている。ケイはふざけているのではない。ものに動じない明るい性格なのだ。
内藤刑事は監視カメラを気にしていなかった。
「あの二人は、私より上の組織に関係しているのでしょうね。
私が今回の件を適切に処理できなかった、と二人が判断すれば、私は良くて左遷ですね。降格は否めませんね。しかし、私でなくても、今回の件を担当した者は、同じ立場に立たされたはずです」
そう言うと内藤刑事は壁の監視カメラを睨みつけた。
「それ、パワハラだよ。内藤さんは指示を守っただけだべさ・・・」
タエは壁の監視カメラを見て、そこに内藤刑事の上司がいるかのように睨みつけた。
「上がどう見るかですね」
内藤刑事は壁の監視カメラへ顎をしゃくった。
タエは、内藤刑事が言う上は、警察庁のトップだと思った。その上が国家公安委員会。そして公正取引委員会だ。
本田康夫は、
『全国テキスタイル協会、全国色彩協会などと銘うって協会員を募り、談合によって、推定形式という表現で、素材と色を決めてアパレルを作るよう、関連企業へ暗黙裏に指示し、メディアを使って、消費動向を操作してる。
これまでのデザイン企画で素材と色彩がどのように決定されたか、調べてくれ』
と言っていた。二人のヤスオが公正取引委員会と関わっているのはまちがいない・・・。
「まあ、いいさ。ヤツラに話を聞けば、おおよその事がわかる・・・」
ケイはおちついている。調査依頼された、
『デザイン企画で素材と色彩がどのように決定されたか』
については、昨夜、タエとともに自宅のパソコンからOffice Marimuraのサーバーにアクセスして経緯を調べてある。今さら何処からサーバーにアクセスしようと、二人のヤスオが関わっているのを考えれば、職務違反などチットモ気にしなくていい。
「さあ、行きましょう・・・」
病室のドアが開くのを見て、内藤刑事が椅子から立った。
出てきた医師は内藤刑事に頷いて注意する。
「尋問は十分程度ですよ。興奮させないでください」
「ちょっといいですか。話があるんです」
タエは、ドアから離れた位置に医師を呼んだ。
「何でしょう?」
「実は・・・」
タエは矢部ヤスオと本田康夫の犯罪と、二人を取り押さえるために見舞った攻撃方法を説明した。
「わかりました。このような事故では、気づかない症状が出るのはよくある事です。私も気になって、いろいろ調べました。今後も、経過観察します。本人にも私から説明しておきます。ご安心ください。ああ、私は担当医の須郷です・・・。
そうですか。二人とも、あなたに捕まったんですか・・・」
医師はタエに微笑んだ。こんな華奢な女に、大の男が二人して倒されるなんてあり得ないと思っているのが感じられる。
「今の状態はどうですか?」
ケイが二人の症状を尋ねた。
「今は何一つ問題はありません。二人とも顎の骨のヒビと首の捻挫です。脳にも、心臓にも損傷はありません。今後は脳と心臓も、経過観察して定期検査しましょう」
「ありがとう。二人を頼みます・・・」
ケイはごく自然に、二人のヤスオを気遣うよう、須郷医師に御辞儀した。
「では、十分ですよ。君、監視しててください」
須郷医師は看護師にそう言って病室に留まるように指示し、その場から去った。
病室に入るとベッドが二つあった。ドア側のベッドに矢部ヤスオがいた。窓際は本田康夫だ。内藤刑事からタエとケイが病室に現れるのを聞いていたらしく、二人のヤスオはタエとケイを見ても何も言わなかった。
「こうやって見りゃあ、双子だな・・・・」
ケイはコートのポケットから、スマホの半分くらいの大きさの通信機のような装置を出して装置のスイッチを入れた。装置の小さな赤いランプが点滅して、病室内の監視カメラの稼動中を示すパイロットランプが消えた。
「内藤さん。看護師に席を外してもらってくれ」
ケイがそう言うと内藤刑事が看護師に指示した。
「外で待っていてください」
内藤刑事が看護師にそう言うと、
「わかりました十分後にまた来ます」
看護師は病室から出ていった。
「二人に訊きたい事が三つある。必ず答えろよ。
お前が偽名を騙ってタエに近づき、部屋から総額三十万の家電を盗んだわけを説明しろ。
公正取引委員会がお前たちを通じて、あたしたちに調査させた理由は何だ?
お前たちは会社を乗っ取る気か?
以上だ。答えろ」
ケイは本田康夫と矢部ヤスオを睨みつけた。
「・・・」
二人は何も言わない。
「内藤さん。二人に話をさせろ!そうしないと被害届けを出してマスコミに連絡するよ。
タエの伯母の旦那はTVJの社長だ。何が起っているか知れば、飛びつくだろうよ」
ケイは、タエの伯母がテレビジャパンの社長の奥方だと説明した。
「・・・」
それでも、二人は何も言わない。
タエは矢部ヤスオのベッドの横で身構えた。
「それなら、ベッドから床に落ちて、もう一度首を痛めるか?」
タエがそう言う間に、ケイは本田康夫のベッドの横で身構えている。
今日のタエとケイは、動きやすいようにジーンズとスニーカーを履いている。前蹴りでヤスオを頭から床へ蹴落とすつもりだ。
「・・・」
矢部ヤスオは何も言わない。
「質問に答えないなら、私も病室から出ます。左遷は決ってるから、二人がどうなろうと知ったこっちゃない・・・」
そう言い捨てると、内藤刑事も病室から出ようとした。
「待ってくれ。話す・・・」
矢部ヤスオが首と顎をギブスで固定された状態のまま、囁くよう話しはじめた。
「俺は本田孝夫だ。タエさんに近づくため、偽の経歴を作って親戚や知り合いに頼んで矢部ヤスオを名乗ってた。
家電は盗んだんじゃない。あのマンションの一階の2LDKに置いてある。いっしょに住む気だった。あの指輪はそのための指輪だ。
公取は独禁法に抵触する組織を摘発するために捜査してる。その捜査員が兄と俺だ。アンタたちには捜査を手伝って欲しかったから、動ける役職に就いてもらった。
俺たちは、私的に会社を牛耳っている経営者を排除し、会社を更生させる予定だ」
そこまで話して、矢部ヤスオは口を閉ざした。
矢部ヤスオの説明にウソはなさそうだとタエは感じた。
「あたしと暮すために、マンションの一階の2LDKへ家電を運んだとはおそれいったぞ。
何も話さず、姿を消すとはどういうことだ?説明しろ・・・」
タエは矢部ヤスオに詰めよった。
「兄に止められた。一階へ引っ越せば、俺と会社の関係がタエさんにバレる。
そうなれば捜査が明るみに出るから、実態がバレないように警戒した・・・」
矢部ヤスオは目だけ動かして本田康夫を見た。
「本田。ヤスオの説明にウソはないな?」
タエは本田康夫を睨んで念を押した。
「無い・・・」
本田康夫のギブスの間から囁きが聞えた。
ケイが本田康夫を睨みながら言う。
「依頼された事は一応調べた。報告しとく。
全てのデザイン企画で、鞠村まりえが素材と色彩の最終決定をしてた。決定は、全国テキスタイル協会、全国色彩協会に伝えられてた。
理由は、鞠村まりえが二つの協会の理事あるいは理事長だったからだ。
つまり、業界大手の経営者たちが談合して二つの協会を裏で操り、広告業界を利用して、毎年の流行の素材と色彩を広告してたわけだ。
全国色彩協会を操っていた企業には化粧品業界大手もいる。明らかにカルテルだな。
大手がこんな事をしてるから、業界の中小企業は従うしかなくなる。
証拠はこれだ。通信内容の記録だ・・・」
ケイはコートのポケットからメモリーカードが入ったケースを取りだして、矢部ヤスオのベッドサイドテーブルに置いた。
そして、ケイが質問する。
「沼田の資産家本田隆太郎と、正妻の、高崎市の資産家中川真蔵の娘の昌江との間に産まれたのが、長男の本田康夫、つまり部長の本田康夫と、妹の本田奈津だ。
本田隆太郎と、檜原村と奥多摩町に広大な山林を所有する矢部倫太郎の娘の美沙との間に産まれたのが本田孝夫、別名矢部ヤスオ、アンタだ。
本田部長とヤスオはおなじ年に産まれた。双子と言っていいほどよく似てる。
矢部倫太郎は八王子の本宅に暮らし、娘の美沙は西八王子の別宅に暮してるから、私たちを騙すのに、利用した・・・。
高崎市の資産家中川真蔵の歳の離れた弟が、大株主(株式の20パーセントを所有)の中林宗佑で、娘が中林なつみ(ナツ)だ。中林なつみはお前たちの従妹叔母で、大株主の中林宗佑は大叔父だな?」
「そうだ・・・」
本田康夫が囁くように言った。
「50パーセントの株主をまとめ、人事異動させたのは中林宗佑だな?」
ケイはなおも本田康夫を睨んでいる。
「そうだ・・・」
「コレで全てがわかった。
オマエたち、あたしとタエをどうする?」
ケイは本田康夫を睨んだ。
「ここを出てから考える。傷害で訴えないから安心しろ」
本田康夫の囁きと目つきが威圧的になった。
「何だと?そんな事を言える立場か?
窃盗で訴える事もできるし、その前にどうなるか知らないぞ。マア、せいぜい、脳梗塞を発症しないように、生活に気をつけるんだな・・・。
お前たち、ガキの頃、夏休みに空手を習いに来たホンダだろう・・・」
ケイが何かを見透かしたように、交互に二人を見ている。本田康夫と矢部ヤスオ(本田孝夫)は歳が同じで、双子と言っていいほどよく似ている。
ケイの言葉で、二人のヤスオの顔色、と言っても見える部分だけだが、顔色が変った。
あっ・・・。タエは思いだした。
小学校の頃、空手の夏休みの合宿で、花火が弾けて額に小さなヤケドをしてピイピイ泣いてた子がいた。二人はチビでモヤシのように痩せていた。たしか、二人は夏休みだけ空手を習いに来た双子の兄弟で、名前を教えられたが、タエもケイも、アニ(兄)、オトト(弟)としか呼ばなかった。
タエとケイは師匠から、空手の秘技に三年殺しなる技があるのを聞いていた。タエとケイは、兄弟二人を練習相手に、三年殺しなる技を見舞った。二人は泣きながら逃げまわっていた。この二人は、あの時の二人だ・・・。
「担当医は、何も無い、と言ってたが、二人にゃ、額と胸にアザがある・・・」
タエの頬が笑いを堪えるように微妙に動いている。
矢部ヤスオは、本田康夫の額と首の下あたりへ視線を移した。本田康夫も、同じように矢部ヤスオを見ている。本田康夫の胸の上部にうっすらとアザがある。矢部ヤスオの額にもアザがある。明らかに二人の表情が変った。
「・・・・」
「何だと思う・・・」
タエの頬に薄ら笑いが浮んでいる。
「・・・」
二人は何も答えない。
「わかったら、あたしたちを脅すのはやめな。あたしたちに何かあれば、ここでの会話と、これまでの会話と調査内容の全てが、TVJの報道フロアへ届くよ・・・」
タエの頬には薄ら笑いが浮んだままだ。
「わかった。どうすればいい?」
本田康夫が神妙な面持ちになった。
「今までどおりでいい。もう調査も終った。二人とも、あたしらに特別な事はするな。
そうすれば、三年以内に、症状を緩和する方法を担当医に知らせる・・・」
タエは本田康夫から矢部ヤスオへ目を移した。
「わかった。それだけか?」
矢部ヤスオがケイを見た。
「二人とも、公取や国公委にコネがあるだろう?内藤さんの地位を守ってやれ。
それくらいできるだろう?」
ケイが二人にそう言って内藤刑事を見た。
「わかった。約束はできないが、できる限りの事をする」
「できる限りじゃない!必ず、内藤さんの地位を守ってやれ!」
ケイは二人を交互に睨みつけた。目をそらしたら負けだ。
「わかった・・・」
矢部ヤスオがケイの視線を避けて目をそらせ、ハッキリ言った。
「内藤さん、ありがとう。帰ります」
ケイは内藤刑事に礼を言って御辞儀した。
タエも礼を言って御辞儀し、ケイとタエは内藤刑事とともに病室を出た。
「話はすんだ・・・」
病室を出ると内藤刑事は、ドアの右側で警備の警官と話している看護師に言った。三人と入れ代りに、看護師が病室に入った。
ケイはコートのポケットから、あの装置を出してスイッチを切った。装置の点滅している小さないランプが消えて、通路の天井にある監視カメラのパイロットランプが点灯した。
通路を歩きながら、内藤刑事が言う。
「あの二人に話した『三年以内に、症状を緩和する方法を担当医に知らせる』と言う話は本当ですか?」
タエが答える。
「内藤さんも、あたしが担当医に、二人に見舞った技を説明したのを聞いてたべ。
担当医は二人とも顎の骨のヒビと首の捻挫で、脳も心臓も損傷は無いと言ってた」
「じゃあ、ハッタリですか?ウソなんですね?」
内藤刑事は苦笑いしている。
ケイが内藤刑事を見てにやっと笑った。
「ウソとは言い切れねえさ。医学で説明できねえこともある・・・。
まだ、いろいろありそうだから、内藤さん、今後もよろしく頼む」
「まだあるんですか?」
内藤刑事はこまったように言うが、内心、興味津々の様子だ。
「あの二人、まだ、何か隠してるみたいだ。叩いてみるべ・・・」
ケイは内藤刑事を見てニヤリとした。
「乗りかかった舟だ。表立っては無理だが、協力しますよ」
公取や国公委にコネがあろうと、あの二人が私の地位を守れるとは信じられない。左遷どころか降格まちがいなしだと内藤刑事は踏ん切りをつけている。
「ありがとう。内藤さん。感謝する。考えがあるんだ。心配すんなさ。
内藤さんの地位が守られなければ、全ての記録をTVJの報道フロアで公開してやる」
タエは内藤刑事を安心させたいと思った。
「よおっ、二人に会えるんか?」
ケイは警察病院の五階外科病で、通路の奥の椅子に腰かけている内藤刑事に向ってつっけんどんに声をかけた。
「仕事を抜けてきたんですか?」
内藤刑事が椅子から立ちあがって挨拶した。
「職務権限を使った。早く二人に会わせろさ・・・」
タエもケイと同じに、ぶっきらぼうに言った。ケイは総務課長代理、タエはデザイン企画室長代理だ。タエもケイも、これほど無愛想にすることは無かったが、内藤刑事を通じて盗難の被害届けを取り下げても、タエとケイにとって、二人のヤスオの存在自体が非常事態なのに変りなかった。二人が入院していても警戒が必要なのだ。
「今、回診中です。もうしばらく待ってください」
内藤刑事は病室のドアを示した。ドアの左右に警官が座っている。
あんな二人のヤスオのために、警護するなんてご苦労なことだとケイは思った。
「なあ、内藤さん。国家権力に使われる立場として、企業人の権力行使をどう思う?
アンタも使われる立場だ。人を使う側が、アンタの意にそぐわない指示をした場合、使う側に対して不満はないんか?」
ケイはそう話しながら、通路の壁と天井を見た。一定の距離を保って、天井と、天井に近い壁に、全方位型の監視カメラがある。
タエはケイの視線を追った。この監視カメラは新型だ。高性能集音器内蔵だろう。
タエがそう思っていると内藤刑事が口を開いた。
「それは、役職に関わらず、誰にしろあるでしょう。
たとえ警察庁のトップでさえ、そのように政府から指示されるはずだ。トップも、気にくわないと思う・・・」
内藤刑事は今回の一連のヤスオに関係する件を、上からの指示があったから指示通りに行っているだけで、良くは思っていない様子だった。
タエは、昨夜の件で、内藤刑事が上から何か注意と新たな指示を受けたのを実感した。いずれ、それとなく訊きだしてやろう・・・。
タエは内藤刑事を見て監視カメラを見た。
「確かにそうだな。理不尽でも、従わなけりゃあ、降格か左遷だもんな。
ヤスオたちには、それが無いんだべ?」
「そうなんか?ヤスオたちは内藤さんに指示する立場なんか?」
ケイはそう話しながら監視監視カメラに向って手をふって投げキッスしている。ケイはふざけているのではない。ものに動じない明るい性格なのだ。
内藤刑事は監視カメラを気にしていなかった。
「あの二人は、私より上の組織に関係しているのでしょうね。
私が今回の件を適切に処理できなかった、と二人が判断すれば、私は良くて左遷ですね。降格は否めませんね。しかし、私でなくても、今回の件を担当した者は、同じ立場に立たされたはずです」
そう言うと内藤刑事は壁の監視カメラを睨みつけた。
「それ、パワハラだよ。内藤さんは指示を守っただけだべさ・・・」
タエは壁の監視カメラを見て、そこに内藤刑事の上司がいるかのように睨みつけた。
「上がどう見るかですね」
内藤刑事は壁の監視カメラへ顎をしゃくった。
タエは、内藤刑事が言う上は、警察庁のトップだと思った。その上が国家公安委員会。そして公正取引委員会だ。
本田康夫は、
『全国テキスタイル協会、全国色彩協会などと銘うって協会員を募り、談合によって、推定形式という表現で、素材と色を決めてアパレルを作るよう、関連企業へ暗黙裏に指示し、メディアを使って、消費動向を操作してる。
これまでのデザイン企画で素材と色彩がどのように決定されたか、調べてくれ』
と言っていた。二人のヤスオが公正取引委員会と関わっているのはまちがいない・・・。
「まあ、いいさ。ヤツラに話を聞けば、おおよその事がわかる・・・」
ケイはおちついている。調査依頼された、
『デザイン企画で素材と色彩がどのように決定されたか』
については、昨夜、タエとともに自宅のパソコンからOffice Marimuraのサーバーにアクセスして経緯を調べてある。今さら何処からサーバーにアクセスしようと、二人のヤスオが関わっているのを考えれば、職務違反などチットモ気にしなくていい。
「さあ、行きましょう・・・」
病室のドアが開くのを見て、内藤刑事が椅子から立った。
出てきた医師は内藤刑事に頷いて注意する。
「尋問は十分程度ですよ。興奮させないでください」
「ちょっといいですか。話があるんです」
タエは、ドアから離れた位置に医師を呼んだ。
「何でしょう?」
「実は・・・」
タエは矢部ヤスオと本田康夫の犯罪と、二人を取り押さえるために見舞った攻撃方法を説明した。
「わかりました。このような事故では、気づかない症状が出るのはよくある事です。私も気になって、いろいろ調べました。今後も、経過観察します。本人にも私から説明しておきます。ご安心ください。ああ、私は担当医の須郷です・・・。
そうですか。二人とも、あなたに捕まったんですか・・・」
医師はタエに微笑んだ。こんな華奢な女に、大の男が二人して倒されるなんてあり得ないと思っているのが感じられる。
「今の状態はどうですか?」
ケイが二人の症状を尋ねた。
「今は何一つ問題はありません。二人とも顎の骨のヒビと首の捻挫です。脳にも、心臓にも損傷はありません。今後は脳と心臓も、経過観察して定期検査しましょう」
「ありがとう。二人を頼みます・・・」
ケイはごく自然に、二人のヤスオを気遣うよう、須郷医師に御辞儀した。
「では、十分ですよ。君、監視しててください」
須郷医師は看護師にそう言って病室に留まるように指示し、その場から去った。
病室に入るとベッドが二つあった。ドア側のベッドに矢部ヤスオがいた。窓際は本田康夫だ。内藤刑事からタエとケイが病室に現れるのを聞いていたらしく、二人のヤスオはタエとケイを見ても何も言わなかった。
「こうやって見りゃあ、双子だな・・・・」
ケイはコートのポケットから、スマホの半分くらいの大きさの通信機のような装置を出して装置のスイッチを入れた。装置の小さな赤いランプが点滅して、病室内の監視カメラの稼動中を示すパイロットランプが消えた。
「内藤さん。看護師に席を外してもらってくれ」
ケイがそう言うと内藤刑事が看護師に指示した。
「外で待っていてください」
内藤刑事が看護師にそう言うと、
「わかりました十分後にまた来ます」
看護師は病室から出ていった。
「二人に訊きたい事が三つある。必ず答えろよ。
お前が偽名を騙ってタエに近づき、部屋から総額三十万の家電を盗んだわけを説明しろ。
公正取引委員会がお前たちを通じて、あたしたちに調査させた理由は何だ?
お前たちは会社を乗っ取る気か?
以上だ。答えろ」
ケイは本田康夫と矢部ヤスオを睨みつけた。
「・・・」
二人は何も言わない。
「内藤さん。二人に話をさせろ!そうしないと被害届けを出してマスコミに連絡するよ。
タエの伯母の旦那はTVJの社長だ。何が起っているか知れば、飛びつくだろうよ」
ケイは、タエの伯母がテレビジャパンの社長の奥方だと説明した。
「・・・」
それでも、二人は何も言わない。
タエは矢部ヤスオのベッドの横で身構えた。
「それなら、ベッドから床に落ちて、もう一度首を痛めるか?」
タエがそう言う間に、ケイは本田康夫のベッドの横で身構えている。
今日のタエとケイは、動きやすいようにジーンズとスニーカーを履いている。前蹴りでヤスオを頭から床へ蹴落とすつもりだ。
「・・・」
矢部ヤスオは何も言わない。
「質問に答えないなら、私も病室から出ます。左遷は決ってるから、二人がどうなろうと知ったこっちゃない・・・」
そう言い捨てると、内藤刑事も病室から出ようとした。
「待ってくれ。話す・・・」
矢部ヤスオが首と顎をギブスで固定された状態のまま、囁くよう話しはじめた。
「俺は本田孝夫だ。タエさんに近づくため、偽の経歴を作って親戚や知り合いに頼んで矢部ヤスオを名乗ってた。
家電は盗んだんじゃない。あのマンションの一階の2LDKに置いてある。いっしょに住む気だった。あの指輪はそのための指輪だ。
公取は独禁法に抵触する組織を摘発するために捜査してる。その捜査員が兄と俺だ。アンタたちには捜査を手伝って欲しかったから、動ける役職に就いてもらった。
俺たちは、私的に会社を牛耳っている経営者を排除し、会社を更生させる予定だ」
そこまで話して、矢部ヤスオは口を閉ざした。
矢部ヤスオの説明にウソはなさそうだとタエは感じた。
「あたしと暮すために、マンションの一階の2LDKへ家電を運んだとはおそれいったぞ。
何も話さず、姿を消すとはどういうことだ?説明しろ・・・」
タエは矢部ヤスオに詰めよった。
「兄に止められた。一階へ引っ越せば、俺と会社の関係がタエさんにバレる。
そうなれば捜査が明るみに出るから、実態がバレないように警戒した・・・」
矢部ヤスオは目だけ動かして本田康夫を見た。
「本田。ヤスオの説明にウソはないな?」
タエは本田康夫を睨んで念を押した。
「無い・・・」
本田康夫のギブスの間から囁きが聞えた。
ケイが本田康夫を睨みながら言う。
「依頼された事は一応調べた。報告しとく。
全てのデザイン企画で、鞠村まりえが素材と色彩の最終決定をしてた。決定は、全国テキスタイル協会、全国色彩協会に伝えられてた。
理由は、鞠村まりえが二つの協会の理事あるいは理事長だったからだ。
つまり、業界大手の経営者たちが談合して二つの協会を裏で操り、広告業界を利用して、毎年の流行の素材と色彩を広告してたわけだ。
全国色彩協会を操っていた企業には化粧品業界大手もいる。明らかにカルテルだな。
大手がこんな事をしてるから、業界の中小企業は従うしかなくなる。
証拠はこれだ。通信内容の記録だ・・・」
ケイはコートのポケットからメモリーカードが入ったケースを取りだして、矢部ヤスオのベッドサイドテーブルに置いた。
そして、ケイが質問する。
「沼田の資産家本田隆太郎と、正妻の、高崎市の資産家中川真蔵の娘の昌江との間に産まれたのが、長男の本田康夫、つまり部長の本田康夫と、妹の本田奈津だ。
本田隆太郎と、檜原村と奥多摩町に広大な山林を所有する矢部倫太郎の娘の美沙との間に産まれたのが本田孝夫、別名矢部ヤスオ、アンタだ。
本田部長とヤスオはおなじ年に産まれた。双子と言っていいほどよく似てる。
矢部倫太郎は八王子の本宅に暮らし、娘の美沙は西八王子の別宅に暮してるから、私たちを騙すのに、利用した・・・。
高崎市の資産家中川真蔵の歳の離れた弟が、大株主(株式の20パーセントを所有)の中林宗佑で、娘が中林なつみ(ナツ)だ。中林なつみはお前たちの従妹叔母で、大株主の中林宗佑は大叔父だな?」
「そうだ・・・」
本田康夫が囁くように言った。
「50パーセントの株主をまとめ、人事異動させたのは中林宗佑だな?」
ケイはなおも本田康夫を睨んでいる。
「そうだ・・・」
「コレで全てがわかった。
オマエたち、あたしとタエをどうする?」
ケイは本田康夫を睨んだ。
「ここを出てから考える。傷害で訴えないから安心しろ」
本田康夫の囁きと目つきが威圧的になった。
「何だと?そんな事を言える立場か?
窃盗で訴える事もできるし、その前にどうなるか知らないぞ。マア、せいぜい、脳梗塞を発症しないように、生活に気をつけるんだな・・・。
お前たち、ガキの頃、夏休みに空手を習いに来たホンダだろう・・・」
ケイが何かを見透かしたように、交互に二人を見ている。本田康夫と矢部ヤスオ(本田孝夫)は歳が同じで、双子と言っていいほどよく似ている。
ケイの言葉で、二人のヤスオの顔色、と言っても見える部分だけだが、顔色が変った。
あっ・・・。タエは思いだした。
小学校の頃、空手の夏休みの合宿で、花火が弾けて額に小さなヤケドをしてピイピイ泣いてた子がいた。二人はチビでモヤシのように痩せていた。たしか、二人は夏休みだけ空手を習いに来た双子の兄弟で、名前を教えられたが、タエもケイも、アニ(兄)、オトト(弟)としか呼ばなかった。
タエとケイは師匠から、空手の秘技に三年殺しなる技があるのを聞いていた。タエとケイは、兄弟二人を練習相手に、三年殺しなる技を見舞った。二人は泣きながら逃げまわっていた。この二人は、あの時の二人だ・・・。
「担当医は、何も無い、と言ってたが、二人にゃ、額と胸にアザがある・・・」
タエの頬が笑いを堪えるように微妙に動いている。
矢部ヤスオは、本田康夫の額と首の下あたりへ視線を移した。本田康夫も、同じように矢部ヤスオを見ている。本田康夫の胸の上部にうっすらとアザがある。矢部ヤスオの額にもアザがある。明らかに二人の表情が変った。
「・・・・」
「何だと思う・・・」
タエの頬に薄ら笑いが浮んでいる。
「・・・」
二人は何も答えない。
「わかったら、あたしたちを脅すのはやめな。あたしたちに何かあれば、ここでの会話と、これまでの会話と調査内容の全てが、TVJの報道フロアへ届くよ・・・」
タエの頬には薄ら笑いが浮んだままだ。
「わかった。どうすればいい?」
本田康夫が神妙な面持ちになった。
「今までどおりでいい。もう調査も終った。二人とも、あたしらに特別な事はするな。
そうすれば、三年以内に、症状を緩和する方法を担当医に知らせる・・・」
タエは本田康夫から矢部ヤスオへ目を移した。
「わかった。それだけか?」
矢部ヤスオがケイを見た。
「二人とも、公取や国公委にコネがあるだろう?内藤さんの地位を守ってやれ。
それくらいできるだろう?」
ケイが二人にそう言って内藤刑事を見た。
「わかった。約束はできないが、できる限りの事をする」
「できる限りじゃない!必ず、内藤さんの地位を守ってやれ!」
ケイは二人を交互に睨みつけた。目をそらしたら負けだ。
「わかった・・・」
矢部ヤスオがケイの視線を避けて目をそらせ、ハッキリ言った。
「内藤さん、ありがとう。帰ります」
ケイは内藤刑事に礼を言って御辞儀した。
タエも礼を言って御辞儀し、ケイとタエは内藤刑事とともに病室を出た。
「話はすんだ・・・」
病室を出ると内藤刑事は、ドアの右側で警備の警官と話している看護師に言った。三人と入れ代りに、看護師が病室に入った。
ケイはコートのポケットから、あの装置を出してスイッチを切った。装置の点滅している小さないランプが消えて、通路の天井にある監視カメラのパイロットランプが点灯した。
通路を歩きながら、内藤刑事が言う。
「あの二人に話した『三年以内に、症状を緩和する方法を担当医に知らせる』と言う話は本当ですか?」
タエが答える。
「内藤さんも、あたしが担当医に、二人に見舞った技を説明したのを聞いてたべ。
担当医は二人とも顎の骨のヒビと首の捻挫で、脳も心臓も損傷は無いと言ってた」
「じゃあ、ハッタリですか?ウソなんですね?」
内藤刑事は苦笑いしている。
ケイが内藤刑事を見てにやっと笑った。
「ウソとは言い切れねえさ。医学で説明できねえこともある・・・。
まだ、いろいろありそうだから、内藤さん、今後もよろしく頼む」
「まだあるんですか?」
内藤刑事はこまったように言うが、内心、興味津々の様子だ。
「あの二人、まだ、何か隠してるみたいだ。叩いてみるべ・・・」
ケイは内藤刑事を見てニヤリとした。
「乗りかかった舟だ。表立っては無理だが、協力しますよ」
公取や国公委にコネがあろうと、あの二人が私の地位を守れるとは信じられない。左遷どころか降格まちがいなしだと内藤刑事は踏ん切りをつけている。
「ありがとう。内藤さん。感謝する。考えがあるんだ。心配すんなさ。
内藤さんの地位が守られなければ、全ての記録をTVJの報道フロアで公開してやる」
タエは内藤刑事を安心させたいと思った。