私の日曜日

文字数 4,797文字

 宏海(ひろみ)はリモコンのボタンを押してテレビをつけた。ボリュームを上げるとテレビに映る人たちが大袈裟に驚いて笑う声が部屋に響いた。

 となりに住む同級生の正彦の家からは、日曜日になると家族で楽しそうに過ごす声が聞こえてくる。
 笑い声や、食器がカチャカチャ当たる音、正彦と妹の茜里(あかり)ちゃんがけんかをする声、それを収めようとするお父さんやお母さんの声……。

 宏海のパパとママはお店をしていて、日曜日は仕事を休めない。
 去年までは土曜日からおばあちゃんの家に泊まって、日曜日はおばあちゃんと一緒に過ごしていた。
 大好きなおばあちゃんが怪我で入院してから、宏海は一人、家で留守番をするようになった。

「もう三年生だから大丈夫だよね?」
 ママは心配そうに宏海の顔を見て言った。
「大丈夫に決まってるでしょ」
 さみしいけど、心配はかけたくない。不安な気持ちとプライドが宏海の心の中でぶつかり合った。

 留守番中の外出は図書館だけ、というのがママとの約束。
 家の鍵がついたストラップを首から下げて、図書館の貸し出しカードと、そしてノートとふでばこをかばんに入れて、自転車の鍵を持って、戸締りをして出発。
 図書館は宏海にとって日曜日のさみしさを紛らわせてくれる場所だ。

 宏海は先週借りた名探偵シリーズの6巻を返して、7巻を探した。棚に7巻はなく、8巻があった。やっぱり順番に読みたくて別の本を選んだ。女の子が不思議の国に迷い込んで旅をするお話があったので、その本を手に取って、宏海はおはなしコーナーに向かった。
 おはなしコーナーは児童書コーナーの奥にあるスペースで、靴を脱いで入るようになっている。と言っても扉も段差もない。机やいすもない。低い本棚に絵本が並べて置いてある。
 宏海がおはなしコーナーに行くと、お母さんと小さい子どもが床に座って絵本を読んでいた。宏海も床に座って本を開いた。なんだか少しだけ家で過ごすような雰囲気のおはなしコーナーが、宏海は好きだった。

 お昼前になると敏江(としえ)さんが現れた。
 今日は敏江さんの『おはなしかい』の日だ。敏江さんの『おはなしかい』は、毎月第四日曜日の11時30分からだいたい15分間ぐらい。敏江さんが絵本の読み聞かせをしてくれる。
 敏江さんはおばあちゃんと同じくらいの年齢だろうか。月に一度の敏江さんのおはなしかいを宏海は楽しみにしていた。
 親子連れや子どもたちがおはなしコーナーに集まってくる。
 今日はどんな絵本かな。
 宏海は読んでいた本を閉じて敏江さんの読み聞かせを待った。

「こんにちは」
 やさしい声で敏江さんは言った。
 そして静かに絵本を開き、読み始める。
 今日は雨がテーマの絵本と手作りのパペットを使った手遊び。最後は宏海が大好きなシリーズ、元気な女の子が主人公の絵本だ。

 おはなしかいが終わると、宏海は敏江さんのそばに寄って絵本を見た。自分の目で本を見たくて一冊ずつページをめくる。

「宏海ちゃんこんにちは」
 敏江さんが声をかけてくれた。
「雨の本、他にもたくさんあるのかな」
「たくさんあるよ。素敵な雨の本」

 宏海はかばんの中からノートとふでばこを出して、「6月」と書いた。そして敏江さんが読んでくれた絵本の題名や作者名を書いていった。
 前のページには「5月」。
 その前のページには「4月」。
 ノートの表紙には「おはなしかい」とマジックで書いてある。
 宏海が日曜日に図書館に通うようになって3回目の、敏江さんのおはなしかいだった。

 敏江さんのおはなしかいを初めて聞いた時、宏海は思い切って敏江さんに聞いてみた。
「おはなしかいで読む本は誰が決めているの?」
 敏江さんはにこにこして答えてくれた。
「私が決めているのよ」
「どうやって決めているの?」
「おはなしかいの雰囲気や聞いてくれる人の年齢や人数、それから季節なんかも考えてプログラムを組むのよ。私は絵本の読み聞かせグループで仲間と勉強したり練習したりしているの。活動のなかでたくさんの絵本と出会えるのよ。仲間が教えてくれる本もある。本屋さんや図書館で新しい素敵な本に出会うこともある。それを忘れないようにノートに記録しているのよ」
「へえ……」
「絵本が好きなのね」
「……」
「また聞きに来てね」

 その日、家に帰ってからずっと、敏江さんの言葉が頭から離れなかった。

「絵本が好きなのね」

 絵本が好きかどうか、考えたことがなかった。読んでもらうのが好きだし、自分で読むのは絵本だけじゃなく、もう少し分厚い本だって好きだ。

 宏海は ノートに記録する という敏江さんの話を思い出した。引き出しから新しいノートを取り出して、表紙に「おはなしかい」とマジックで書いた。そして、新しいページに敏江さんが読んでくれた絵本の題名を思い出しながら書いていった。

 2回目の5月。
 敏江さんのおはなしかいが終わって、宏海がかばんからノートを出すと敏江さんは驚いていた。
 そして二人で絵本を見ながら、題名や作者名をノートに書いていった。

 6月のおはなしかいの後、敏江さんが一枚の紙を宏海にくれた。
 その紙には『絵本を知るためのための絵本』と書いてあり、その下にずらっと絵本の題名や作者名が並んでいた。

「これなに?」
 宏海が聞くと
「私が絵本の勉強を始めた時に、先生から出された最初の宿題。ここに書いてある本を次の勉強会までに読んできなさいって」
「全部?」
「そう。全部で15冊。宏海ちゃんは本が好きだから、知ってる本がいくつもあるかもしれないね」
 そして敏江さんは続けた。
「絵本が好きな宏海ちゃんに宿題。来月のおはなしかいまでに読んで来られるかな?」

 宏海はわくわくした。そして、敏江さんと児童書コーナーを回って、宿題に出された絵本を探した。

 『絵本を知るための絵本』は、ほとんどが保育園や学童で読んでもらったことのある本だった。宏海は敏江さんがくれた紙をノートの6月の次のページにのりで貼った。そして一冊ずつ、本の感想を書いた。

 学校の図書室でも宿題に出された本を探して借り、放課後は図書館に行って残りの絵本を探して読んだ。

 7月のおはなしかいまでに、宿題の15冊を読むことができた。

 おはなしかいの日曜日。
 宏海は汗をかきながら図書館に着き、敏江さんのおはなしかいを待った。
 敏江さんはいつものように大きなかばんを肩から下げておはなしルームに入って来た。宏海に気付くとにこっと笑ってくれた。

 今日の一冊目は夏休みに男の子がいろんな発明をするという絵本。そして、きれいなビーズがたくさん入ったプラスチックの箱を動かすと波の音がする手作りの楽器で波の音を聞いた。最後はいるかとくじらの絵本だった。

 おはなしかいが終わるとすぐに、宏海はノートを出して今日のラインナップを書き込んだ。
 そして、ノートを持って敏江さんの手があくのを待った。
 敏江さんの周りでは、小さい子どもたちが波の音がする箱で遊んでいる。箱にはキラキラした魚のシールがたくさん貼ってあった。

 敏江さんが絵本を片付けに来た。宏海はノートを敏江さんに渡して、波の音の箱を手に取り動かしてみた。そおっと動かすと、本当に海のそばにいるみたいだった。

「感想も書いてある」
 敏江さんは宏海の顔を見て言った。
「この15冊は、どういう本なの?」
 宏海は敏江さんに聞いた。

「どれも30年以上出版され続けている本なんだよ。『本は時のふるいにかけられる』と、私に読み聞かせの楽しさを教えてくれた先生は話していた。長生きしている本を読むこと。どの時代の大人も子どももいいと思った本。 そういう本を読んで、本を見る目を養っていくんだよ」
「ふうん……」
「宏海ちゃんがいいなと思った本、あった?」
「わたしはこの猫の本がすごく好きだなと思った」
「素敵な本だね」
「敏江さん、また宿題出して」
「宏海ちゃんならそう言うと思って、持って来たよ」

 敏江さんはそう言って、今度はもっともっとたくさんの本の題名が書かれた紙を宏海にくれた。
 その紙には『子どもが選んだ絵本リスト』と書いてあった。

 夏休みに入った日曜日、となりの正彦の家から茜里(あかり)ちゃんの泣き声が聞こえた。しばらくしても泣き続けているのでどうしたのかなと思っていると、宏海の家のチャイムが鳴った。パパとママが留守の時は、チャイムが鳴っても出ないように言われている。不安な気持ちでモニターを見るとそこには正彦が映っていた。

「どうしたの?」
 玄関の扉を開けて宏海が聞くと
「父さんと母さんが急用で出かけて茜里と留守番してるんだけど、茜里がさみしいさみしいって泣き出して……」
 ほとほと困った顔で正彦が言った。
「私も初めて一人で留守番した時はさみしかったなぁ」
 宏海は涙が出そうなのをこらえていた数か月前の自分を思い出した。
「一人じゃないよ。オレもいるんだから」
「仕方ないよ。茜里ちゃん、まだ幼稚園だもん」
「それで宏海、うちに来て茜里と遊んでくれない?」

 宏海はママに電話をして事情を話してから、正彦の家に行った。
 茜里は目を真っ赤に腫らして泣いていた。

「茜里ちゃん、一緒に遊ぼう」

 宏海が声をかけても、茜里の涙は止まらない。ゲームをしようと誘っても、茜里のお気に入りのぬいぐるみであやしてもダメだった。
 宏海はふと思いついて、絵本を家から持って来た。
 図書館で借りた絵本。敏江さんの宿題のリストの絵本だ。

 敏江さんの真似をして絵本を読んでみた。
 本を茜里に見せながら読もうとしたが、うまく持てない。
 仕方なく、茜里の横に座って茜里にも見えるように膝の上に本を開いて読んだ。
 いつも敏江さんの読み聞かせを聞いているから簡単にできると思っていたがなかなか難しい。読むのにつまるし、声も思うように出ない。
 ひっしで読んでいると、茜里の涙が止まった。気がつくと興味津々に絵本を覗き込んでいる。
 やっとの思いで一冊読み終わると、茜里が笑顔で言った。

「宏海ちゃん! もっと読んで!」

 宏海はうれしくなって、図書館で借りている絵本を全部持って来た。
 空き箱とビーズを使って波の音が出る楽器も作ってみた。

 夕方、正彦のお父さんとお母さんが帰って来て、しきりに宏海にお礼を言っていた。
 帰り際、正彦が言った。

「今日はありがとう」
「いいよ。私も楽しかったし」
「宏海、すごいな」
「え?」
「絵本読むの、うまいんだな」
「うまくなんかないけど……」
「うまいよ。すごいなって思った」
「ありがとう」
「じゃあな」

 宏海はドキドキしていた。
 自分のしたことが、こんなに人に喜ばれたのは初めてだった。

 宏海はノートを出して、今日のことを書き込んだ。

 8月のおはなしかいの後、敏江さんに茜里に絵本を読んだことを話した。

「宏海ちゃんのおはなしかいだね」
「でも、敏江さんみたいに上手に読めなかった。絵本もうまく持てないし……」
「絵本を聞いてくれる人に向けて開いて読むのはなかなか難しいのよ。ぐらぐらしてもいけないし、持つ角度によっては光が反射して絵が見えない。私もずいぶん練習したよ。宏海ちゃんはまだ手が小さいから、今は宏海ちゃんがいつも読むように絵本を持って読めばいいんじゃないかな」
「うん」
「でも、宏海ちゃんの気持ちが茜里ちゃんに届いたんだね」
「私の気持ち?」
「絵本が大好きな気持ち」
「茜里ちゃんがまたおはなし聞かせてほしいって……」
「じゃあ、一緒に9月のおはなしかいのプログラムを考えようか」
「9月といえば……」

「お月見!」

 宏海と敏江さんは同時に言った。

「お月さまの絵本はたくさんありそうだね!」
「たくさんあるよ。いろんな本を読んでみて、宏海ちゃんがこれと思う本を選べばいい」
「楽しみだなあ」

 宏海はさっそく図書館の検索機に「おつきさま」と打ち込んだ。
 題名を見るだけでもうわくわくしながら、宏海はずらりと並んだ本のリストを眺めた。
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