セリフ詳細

「オオ君はその以前袁術(えんじゅつ)の席上において、橘をふところに入れたという陸郎であるな。まず安坐してわが論を聞け。むかし周の文王は、天下の三分の二を領しながらも、なお(いん)に仕えていたので、孔子も周の徳を至徳だとたたえられた。これあくまで君を冒さず、臣は臣たるの道である。――後、殷の紂王(ちゅうおう)、悪虐のかぎりを尽し、ついに武王立って、これを伐つも、なお伯夷(はくい)叔斉(しゅくせい)は馬をひかえて諫めておる。見ずや、曹操のごときは、累代の君家に、何の(いさお)だになく、しかも常に帝を害し奉らん機会ばかりうかがっていることを。家門高ければ高きほど、その罪は深大ではないか。見ずやなおわが君家劉予州を。大漢四百年、その間の治乱には、必然、多くの門葉ご支族も、僻地に流寓し、あえなく農田に血液をかくし給うこと、何の歴史の恥であろう。時来って草莽(そうもう)のうちより現われ、泥土去って珠金の質を世に挙げられ給うこと、また当然の帰趨(きすう)のみ。――さるを履を()えばとて賤しみ、蓆を織りたればとて(さげす)むなど、そんな眼をもって、世を観、人生を観、よくも一国の政事(まつりごと)に参じられたものではある。民にとって天変地異よりも怖ろしいものは、盲目な為政者だという。けだし尊公などもその組ではないか」

作品タイトル:三国志

エピソード名:第94話、呉、紛糾

作者名:畑山  hatakeyama

126|歴史|完結|156話|1,238,935文字

三国志

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青空文庫より、吉川英治、三国志をチャットノベル化
幾分、内容文章を変えています。