活動報告
こんばんは、桐生甘太郎です。
皆さんは、「ドグラ・マグラ」を読んだことはありますか?もしかしたら、「ちょっと怖くて読んでない」とお思いの方もあるかもしれません。
ただ、私はあの作品は素晴らしい作品だと思います。
もちろん、私にはあの作品に通じている精神を理解するほどの頭はありません。ですが、二度通して読んでみて、「おかしいな?」と気づいたことがあります。
「あの物語の中では、何もはっきりしていない」のです。確かに作中に出てくる「ドグラ・マグラ」を教授が「読んでいる我々の方が頭がこんがらかるような、ですがよく出来た作品です」と評するのもわかります。
何せ、主人公が本当に「呉一郎」なのか、六号室の少女は本当に「呉モヨ子」なのか、正木教授は本当に亡くなっているのか?自分は本当に従姉妹を殺しかけたのか…?それらすべてに、作中では答えは与えられません。
私はこれをいつも漠然と念頭に置き、ある日ふっと思いついたことがあります。
「あの作品に大きな意味などなく、とにかく夢野久作は、読者が結局何もわからなかったことで大いに迷う姿を想像し、そして自分の筆で出来うる限りの「巨大な迷路」を作り上げたのではないか?」と…
夢野久作に確かめることはもう出来ませんが、彼は訴えたり伝えたりするよりも、読者が自分の作品の中に意味を見出そうとして苦心する様を想像していたのではないでしょうか。
何もはっきりと表れないなら、きっとそうだろうと思うのです。そして、どうせ出られない迷路なら、いっそその景色を楽しもうじゃないかと、私は今、三回目の通読に挑戦しようと思っています。
美しい情景描写と、人物の描き方、恐ろしい場面転換を、大いに楽しもうと思っています。ふふふ。楽しみです。
それでは、こんな独り言にお付き合い頂き、有難うございました!
2021年 05月07日 (金) 22:26|コメント(2)