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活動報告

天国と地獄のお話し

 こんにちは。すでに立秋は過ぎました。けれど実際の体感は二週間遅れてやって来るので、次の処暑まで待たなくてはダメですね。(笑)
 さて、本日はお盆ということもあり、天国と地獄お話しです。もちろん仏教と密接な関係があります。日本の仏教は中国から平安期に伝えられました。これを仏教伝来と言いますか、実は伝えられた中身は「三教」でした。三教とは中国(後漢~元代)で互いに干渉しあい上手く融合した、儒教、道教、仏教のことを指します。この頃の仏教教典の中には、天然痘に効くとされた「金光明最勝王経」や親孝行や祖先を敬う「父母恩重難報経」など儒教・道教由来の教典が散見され三教の融合ぶりが窺えます。
 一方、新しい仏・法が研究され始めました。それが密教です。釈迦の教え(顕教)以外の宇宙の法則・自然の法則が説かれました。まず誕生したのが十界(じっかい)です。世界の在り方を地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人間界、天上界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界に分けました。また、地獄~天上までを迷界、その上仏界までを悟界としました。
 重要なのは天国=極楽ではないこと。天上界も迷界のひとつなのです。これを六道輪廻と云い、世界の他宗教との相違点となります。目指すべき処は天国ではなく悟りの世界な訳です。♪天国よいとこ一度はおいで~とは単純にゆかないのです。(笑)それでも悟界に行ける人は高僧や王族などごく一部と考えられていましたので、死後に仏界にまでを至る道筋として特別な制度が定められました。これを「十王思想」と云い、忌日に十王による審判を受け、すべてに合格すれば成仏出来るとしました。日本へは平安後期にはすべて伝えらました。仏教公伝より漠然とは伝わっていた「天国と地獄」がようやく正式な仏法として確立しました。
 十王信仰は平安末期に流布された末法思想と浄土思想により発展しました。末法思想とは釈迦の入滅後、その教えの正法が効力を失い、生き地獄が訪れるとしたもので、相当に民衆に畏怖を与えた考えです。末法元年は一〇五二年とされました。想い出されるのはノストラダムス
の大予言。一九九九年一二月三一日に人類は滅亡する。(笑)結局は何も興らず。末法思想もこれと似ています。流言飛語の類。ただ、一対で紹介された極楽浄土への憧憬は公家、武士を中心に文化となり、観仏、念仏は大流行しました。全国に多くの寺院が建立され、仏像が寄進されました。それに遭わせるかのように、仏がおわす楽園の如き天界と阿鼻叫喚の地獄図も描かれるようになりました。
 浄土思想とは観仏・念仏のみで極楽に成仏出来ると約したもので、浄土教を説く僧侶によって民衆にも広がりました。怖ろしい地獄図、至福の極楽図を見せることによって文字の読めない大衆に教化してゆきました。十王は死後の審判の様子から次第に葬儀・法要式へと変貌しま
す。三途の川、黄泉比良坂(よもつひらさか)の概念も一緒に誕生します。この二つの概念は古代オリエント(エジプト、ペルシャなど)やギリシャに見られます。
 不思議な物で、国造り神話がある処には大体存在します。キリスト、イスラム教国ではそれまでの自然信仰由来の考え方は廃れてゆきました。中国でも隋・唐時代(六~十世紀)には仏教の影響で見られますが、それ以前にはありません。儒教や道教は死後の世界にはあまり触れません。生死は当たり前のことと受け止められたようです。道教に不老不死の仙人は居ますが積極的に成る努力をしたのかと云えばそこまではありません。儒教と道教が宗教とは云わない最大の要因です。
 さて、室町期(十三世紀)には民衆にも浄土思想が行きわたり、中国から渡来したものを含め、天界図(仏画)、地獄絵図が盛んにもてはやされました。国立博物館所蔵の「地獄草子(国宝)」、仏画は「阿弥陀聖衆来迎図(国宝)」が著名です。来迎図とは死の間際に阿弥陀如来が諸仏を伴って来世へとお迎えに来るもので、現在でも宗派や地域によっては死者の枕辺に飾ったりします。
 この浄土思想は日本人の死生観に受け入れやすく独自の進歩(改革)を遂げてゆきます。
浄土思想の日本ならではの風習とは、「十三仏信仰」のことです。それまでの「十王」を「十三王」としたもので室町時代より興りました。これは日本だけの考え方です。他の仏教国でも見られません。なんら仏教教学的な根拠は存在しません。単なる「十王信仰」の発展版です。
それが証拠に誰が何時、何の根拠から説き始めたのか全く確認できません。ただこれによって、成仏できる期間が伸びました。成仏に三十二年もかかる。核家族化、家族関係が希薄になるつつある現代にあって、この期間は寺檀間で考え直すべきものであるかもしれません。
 さらにもうひとつ日本ならではの思想が最後の日本仏教宗派の祖である親鸞によって構築されました。それは、人は念仏を唱えさえすれば必ず成仏出来る。「まして悪人をや」です。これは「人間は生まれながらに罪人(つみびと)であり、日々贖罪をしなければならない」と
するキリスト・イスラムの教えに意義を唱えるものです。我欲を捨て悪人に成らぬことを説く釈迦ですら一歩引く考え方でしょう。これは当時、親鸞の布教の最大のライバル、キリスト教に対抗して考えられたことと推測されます。神でも仏でも、庶民はより簡単に楽土にゆける教
えを望んだ証拠とも言えます。
 さて、それではキリスト教での天国と地獄の概念とはどのようなものなのでしょうか?天国とは「神と天使の御国」であり神によって完全な公平性と正義、秩序が保たれている世界。地獄とは永遠に燃える炎が存在する世界。日本のように両者とも具体的ではありません。見て来
た者は居ないのですから、詳細に記す必要がない。かような合理的な判断がなされます。精神性を尊ぶ文化との違いですね。神を信じて日々を贖罪に捧げた人間は等しく天国に、反対に神を信じなかったり、神の許さぬ悪行を成した者は地獄にゆきます。
また、魂魄のうち魄・肉体を大事にしますので来たるべく復活の日を遺族は信じています。地獄に堕ちた者は焼かれるので復活は叶いません。キリスト教における天国と地獄の様子は十三世紀のフィレンツェ(イタリア)出身の詩人、ダンテの「神曲」天国篇、煉獄篇、天国篇の絵画に表現されています。ここで云う煉獄とは、三途の川を渡る手前のことです。
 最後に、イスラム教における天国と地獄は詳細に描かれます。その意味では、日本とかなり近いと思われます。明らかに合理的でない死後の世界を描かないキリスト教とは一線を画します。二つは中東エルサレムで生まれたはずの宗教なのに正反対です。
 ムスリムでは死後、絶対神・アッラーによって人世界での罪状が裁かれます。審判の後に「正しい道」と呼ばれる橋を渡ります。この時、天国往きの場合は真白き光に包まれ、アッと今に天国に、地獄往きの場合は周囲が真っ暗になり闇に落ちてゆくそうです。見て来たがごとく
詳細ですよね。天国はジャンナと云い、黄金と宝石で出来た八つの庭園を持ち、宮殿は金と銀で出来た煉瓦と粘土には麝香(じゃこう)、土には琥珀(こはく)を、藁にはサフランが使われ造られています。また、四つの川が流れています。絶対に腐ることのない水、味の替わらな
い乳、美味しい酒、蜜の川。毎日の生活は宴(うたげ)三昧。肉、果物、ほか望むものは何でも食べられ、いくら食べても腹一杯にはならないようです。さらに、美女も毎日与えられるそうです。このくらいで後はご想像に任せます。反対に地獄は酷いものです。灼熱地獄。業火にさらされ、食い物はザッカームと呼ばれる地獄の果物。苦く食べると発火してさらに焼かれるそうです。
 ほどほど天国と地獄は苛烈に描かれます。その理由を紐解くヒントに現在のイスラム過激派が挙げられます。彼らはアッラーと叫びながら自爆します。自らの死を選ぶ理由。それは一族への資金供与と天国にゆける権利なのです。それだけ中東は生きるだけでも難しい現実に置か
れているのです。かように、我々の死後の概念とは、生きている日々の有り様に左右されます。日本で天国と地獄が発達したのは戦国時代でした。度重なる戦乱と飢饉、疱瘡などの疾病から抜け出すには楽しい死後を思い浮かべるしかなかった。哀しいお話しです。
 ヨハネの「地獄の黙示録」の中に四人の地獄の騎手(戦争・疾病・飢饉・支配)が現れる処に魔王が出現すると記されています。世界の様子は残念ながら最悪に近づいています。コロナ、ウクライナ戦争、穀物不足、強権国家たち。私たちはよく考えねばなりません。 了

2022年 08月15日 (月) 09:49|コメント(0)

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