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作者ブックマーク

活動報告

次は釈迦の生涯に挑戦です!!

 こんにちは。二日続いた穀雨もようやく水元が尽きたようで、申し訳なさ気に陽光が見え隠れしています。
 私は♪テイラースイフトに目下はまっておりまして、一日中部屋に流しております。
 現在はSF戦記「釈迦 ザ・オリジン」を描いています。SFとファンタジーの違いは超科学と超自然でしょうか。空想、幻想世界の産物であることには変わりはないようです。ただ戦記ものとなるとファンタジー戦記よりはSF戦記の方が恰好がつくようです。(笑)
 私は以前より釈迦の生涯を描きたかった。世界の名だたる宗教(信仰)を探しても宗祖が人間である宗教は仏教をおいてほかに在りません。新興宗教は別ですよ。それはカウントしません。釈迦は紀元(西暦)前五世紀の人。実在が証明されたのは紀元一世紀の史書と十九世紀に発掘された遺骨の場所と名前が一致していたから。特に遺骨のDNA鑑定など科学的な調査は行われないようです。すればいつの人か或いは体型、性別、人種は特定できるかと。でも仏教の関係者には、人間で在ったことだけで余計なことには興味がないようです。
 お釈迦様とは生れて三歩歩いて「天上天下唯我独尊」とのたまわった。白馬に金襴緞子の鞍、沙羅双樹の大木の元、人々を集め優雅にお説教を垂れる。そんなイメージかと。「ジャータカ」と云われる伝記がありまして、お伽噺風に書かれています。仏教布教用ですね。ただ、紀元前五世紀のことですよ。識字率0に近い、紙も未発明(十世紀頃)、教育は?、寿命も平均38歳、奴隷制度(厳格なカースト)、女性蔑視、食糧飲水薬は?飢饉、自然災害、コロナなど疾病は? 客観的に当時の社会情勢を探りました。その結果、「ジャータカ」はあえなく瓦解しました。もっと人間臭い真実が隠されているはず。人間なのだから。それが着想の原点となりました。
 また、釈迦の当時の様子を探る史書に「パーリ語三蔵」があります。その中の雑記群の中に、コーラル国の皇子、3人の妃、
子供は最低1人~、30歳で城を出奔との記述があります。それも大いに参考にさせて貰いました。
 おおよそ宗教・信仰と云うものは何千年の歴史の中で喧々諤々、多くの識者たちの研究があってはじめて足らしめる教義が成立するものです。宗祖ひとりの力ではとてもとても。それはキリストしかりムハンマドしかりです。
 私なりの釈迦論とは下記の通り。
 同時の北インドは十六国が覇権を争っていた。その中のひとつ国・コーサラ国の皇子とは武人を意味した。また皇子と言っても、一夫多妻の時代、何番目の皇子かも知れません。多分国王には程遠かった。城を出てからの足取りを観て(かなり自由に国々を移動出来た)も武人として名前を馳せた人物であったこと。名前が通行許可証となった。三十歳にして城を出たのは前述の通りに皇位継承権が低かったことと、武人としての活躍(殺人)のためPTSDに罹ったこと。三人は妃は皇子の時、子供もしかりです。当時はバラモン教が紀元前十世紀の頃より社会に当たり前にあったこと。そんな中で釈迦がどうして信仰にまで至ったのかを推論します。
 さてさて、どんな物語になるのかお楽しみのほどを。私も愉しみながら描いております。
 ※ここでの紀元(西暦)はイエス・キリストが12/25に産まれ七日後の01/01。ユダヤ教の洗礼を受けた日が紀元(西暦)元年です。


 

2022年 04月16日 (土) 14:35|コメント(0)

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