第16話

文字数 2,920文字

 田所は一報を受けて驚愕した。杉並区鷹番の強盗事件の一報で駆け付けた捜査員から、諏訪隼人を拘束したとの報告を受けたのだ。
「一応、ニンドウ(任意同行)で引っ張りますがよろしいですね?」
 と、現場に駆け付けた捜査員から言われ、そのように頼むと指示した。捜査員からの話によると、強盗に押し入った容疑者を捕まえたのが、諏訪との事だった。この事は、強盗の被害に遭った被害者の証言によるものだった。
 田所は、隼人が拘束されている杉並署へ向かった。何があったのか、自分の耳で聴きたかった。杉並署へ着くと、田所は挨拶もそこそこに隼人の所へ行った。
「よう、諏訪。どうしてた。突然姿をくらまして」
「田所係長。以前に話した事を再確認したかったのです。今回は、はっきりと意識もあって記憶もしっかりしています。私は連続強盗殺人事件の容疑者ではありません」
 隼人は早口にまくし立てた。
「自分が容疑者だと何故分かる」
「任意での取り調べだと言いながら、設問は過去の強盗殺人事件の事ばかり聴かれるんです。そりゃあ分かりますよ」
「DNAの事はどう説明する」
「それは自分でも分かりません。きっと発作が起きた後、意識が飛んだのでしょう」
「まあいい。いずれ分かる。取り敢えず、今回の件は不問だ。それと祖師ヶ谷大蔵の件も今日捕まえた奴がゲロしたからそれもだ。だから今日は帰っていいぞ。だが、重要参考人である事には違いないから、何かあったらすぐに呼び出すからな」
「分かりました」
 隼人が立ち上がって取調室を後にすると、田所が後ろから着いて来た。
「まだ何か用ですか?」
「ただの見送りだ」
 田所はそう言うと、署の表玄関の所で回れ右をし、署の中へ消えた。
 隼人は自宅には帰らず、タクシーで中目黒へ向かった。今の自分には優里亜ではなく恵美子が必要だった。
 マンションのチャイムを鳴らす。直ぐに恵美子が出て来た。
「帰ったよ」
「お帰り」
 玄関で抱き合う。恵美子に手を引かれ、リビングのソファへと(いざな)われた。軽いキスの後、
「今コーヒーを淹れるわ。待ってて」
 と言って、恵美子がキッチンへと立つ。
「ちゃんと帰って来たと言う事は、何も無かったと思っていいの?」
「いや。その反対だ。今回は意識もそのままで瞬間移動を体験出来たんだ。それだけじゃない。警察にも捕まった。重要参考人という事でだけどね」
「ちゃんと聞かせて」
「雨の中、ぶらぶら歩いていたら、勝手に方角が定められていて体がそっちへ動き、そのうち例の貧血状態のような気分になったんだ。意識が飛んではいけないと思い、途中コンビニで買い求めたカッターナイフで左腕を切ったんだ。余り痛みは感じなかったが、意識ははっきりとし始めて、同時に気分が高揚し、体が宙に浮いたんだ。そうしたら辺りの風景が物凄いスピードで後ろへ流れるように飛び、ある地点で地上に舞い降りたんだ」
「それで?」
「そうしたら、舞い降りた場所は、図らずもつい今しがた強盗があった家でね。強盗が家から飛び出して来たところだったんだ。幻想でも妄想でもなかったんだ」
「そこでどうなったの?」
「格闘になって相手を絞め堕とした。で、家の人に警察へ連絡をして貰ったんだ」
「被害に遭ったご家族は無事だったのね?」
「ああ。怪我はしてたけど、命に別状は無かったよ」
「結局、僕は強盗を取り押さえたと言う事もあって、逮捕には至らなかったという訳さ」
「でも良かった。大怪我もせず無事帰って来れて。でも彼女の方は良いの?」
「今は君の方が必要だ」
 恵美子は微笑み、無言で珈琲を隼人の前に置いた。
「でも、まだ事件は解決した訳じゃない。五年前の事もそうだが、今回捕まえた相手は多分模倣犯だと思うんだ。その前の経堂の事件は未解決だし、恐らく又やるだろう。今度、又真夜中に雨が降ったら絶対に逃さない。そうだ、スマホで瞬間移動の時や、宙を飛んでいる時の様子を撮ってみるよ」
「無茶はしないでね」
「少し位の無茶をしないと、僕の嫌疑は晴れないよ」
 恵美子は少し顔を曇らせたが、隼人に分からないようにすぐさま話題を変えた。
「お腹空いてる?」
「うん。ぺこぺこだよ」
「今から作るから少し時間が掛かるけどいい?」
「構わないよ」
 隼人がそう言うと、恵美子はキッチンへ行き、少し早い朝食を作り始めた。いい匂いがする。まな板を包丁がとんとんと叩く音がする。何やらフライパンで焼き始めたのか、ジュウという音が食欲をそそる。
 恵美子がダイニングテーブルに卵焼きと鮭を焼いた皿を置き、漬物と味噌汁を出した。
「出来たわよ」
 恵美子の声に、考え事をしていた隼人は我に返り、ダイニングテーブルへ行った。
「はい。ご飯」
「ありがとう」
 隼人は夢中になって食べた。
「美味い」
「お替わりあるからね」
「うん。卵焼きが美味しいよ。味噌汁も丁度良い味付けだし、大満足だよ」
「良かった」
「恵美子は食べないの?」
「隼人が帰って来る少し前に済ませたわ」
 そう言うと、恵美子は着替える為に自分の部屋へ行った。着替え終わって戻って来ると、
「今からクリニックへ行かなきゃいけないから後は宜しくね」
「もう出勤?」
「ええ。帰りは少し遅くなると思うけれど、後は宜しくね」
「分かった。大人しくしているよ」
 恵美子が出て行くと、隼人は食事の後片付けをした。片付けを終え、訪れた睡魔に身を重ねるようにリビングのソファで横になった。あっという間に眠りに落ちた。
 夢を見た。場面は、十三年前のあの雨の夜だ。夢だと自分で分かっている。醒めて欲しいと願うも、夢はどんどんと進んで行く。隼人は夢に怯えた。階段を足音がミシミシと言わせて軋んでいる。
 違う!
 奴は階段を上って来なかった!
 来るな!
 大柄の男が、隼人の部屋へ入って来た!
 雨で濡れた体を気にするでもなく、男は隼人の部屋へ入った!
 来ないでくれ!
 目と目が合った!
 夢の中で喚いた。すうっと情景が消えて行き、夢が醒めた。夢で見た男の顔立ちを思い起こした。自分に似ている。
 恐怖で背中いっぱいに汗をかいていた。まだ震えが止まらない。あの日は、記憶に間違いが無い限り、犯人とは顔を合わせていない筈だ。これはどういう事なんだ?これは、恵美子が言うように病気による妄想か幻覚なのか?
 頭痛がする。薬がないか、救急箱を探した。リビングのテレビボードに救急箱があった。中を見ると鎮痛剤があったので、それを飲んだら、気分的に少し楽になった。
 時計を見る。まだ昼を過ぎたばかりだ。手も少し震えている。夢は現実の記憶なのか?いや、そんな事は無い筈だ。もし、夢の通り顔を合わせていれば、自分の命は父と母同様、そこで消えていた筈だ。やはり妄想の類なのかも知れない。
 恵美子の顔が見たくなった。優里亜ではなく恵美子のだ。隼人はその事で罪の意識は感じていない。今必要なのは、恵美子の優しさだ。優里亜は寂しがり屋で、隼人に身を任せるタイプだ。恵美子とは正反対の性格をしている。より母性を感じるのが恵美子なのだ。早くクリニックを終えて帰って来ないかと、隼人はじりじりした。恵美子が帰って来たら夢の事を話そう。そう思った隼人は、寝汗でぐっしょりとなったシャツを脱ぎ、シャワーを浴びた。
 

 
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