第1話

文字数 2,850文字

 雨が窓ガラスを強く打ち続けていた。風も窓ガラスをガタゴトと揺らす。階下で物音がした。嫌な予感がした。ベッドから出てそっとドアを開けた。物音が激しくなった。怖くなってドアを閉めて押し入れに隠れた。悲鳴が聞こえて来た。紛れもなく母の声だ。次に父の声と共に怒号が聞こえたが、すぐに消えた。自分の部屋に怒号の主が来ない事を押しれの中で祈った。
 物音がすっかり聞こえなくなった。それでも押しれを開けて部屋を出ようという気持ちにはならなかった。押し入れに隠れたまま携帯で警察に110番通報した。警察は最初、子供の通報の為、なかなか本気に取り合ってくれなかったが、差し迫った口調だったこともあり、取り敢えずはPC(パトカー)を向かわせると言ってくれた。
 それからの事は何も思い浮かばなくなるほど衝撃だった。以来、少年は雨の日が来ると、恐怖と共に自分の中に暴力性が生まれた。

 諏訪隼人は警察学校の卒業証書を手にし、人混みの中を縫うように門の所迄歩いた。周りは皆家族が迎えに来て、卒業を祝っている。自分には迎えに来てくれるような家族はいない。
「隼人。ここ。ここよ」
 唯一来てくれる人間がいた。中島優里亜。大学時代からの付き合いだからもう三年も付き合っていて、同棲し始めて二年になる。
 隼人が優里亜の傍まで来ると、優里亜は待ち切れなくて小走りに隼人の体に自分の体をぶつけるようにして。腕を絡めて来た。
「皆見てるから離れて」
「いいじゃない、見られたって」
 体をピッタリと寄せて来る優里亜の匂いが、何とも言えなかった。
「ねえ。今日はもうこれで帰れるんでしょ?」
「ああ」
「今日は奮発して外食にしようか」
「任せるよ」
「OK。じゃあ銀座に行こうか」
「金、あるのか?俺はそんなに持ってないぞ」
「大丈夫、カードがあるから。それに給料日ももうすぐだし」
 隼人と優里亜は銀座に向かう事にした。優里亜と一緒に駅へと向かった。
「明日からは何処かの警察署へ配属になるの?」
「明日からだけど、そこにいるのは最初は二ケ月。それを終えてもう一度警察の何たるかを学びに四ケ月学校へ戻るんだ。そこで再度卒業する迄いて、漸く一人前の警察官として勤務することになるんだ。それが交番勤務で、一年から二年位したら適性や本人の希望を考慮して配属が決まる」
「今住んでいる所から近いといいね」
「それも希望しておくよ」
「うん、そうして」
 銀座へ着き、レストランを探した。並木通りに一軒のイタリア料理店を見つけ、そこに入る事にした。
 食事中、優里亜が一人喋っていて、隼人はそれを聞いているだけ。問われた事には答えるが、その事に優里亜は慣れていた。家での食事でも同じだからだ。
「隼人、念願の警察官になった気分はどう?」
「どうと言う事は無い」
「隼人らしい返事だね」
 食事を終え会計を済まし、二人は店を出、帰路に着いた。家に着くと、いきなり優里亜が抱き着いて来て、隼人にキスを強請った。隼人は嫌々ながらそれに応えた。
 隼人は、翌日から警察署での実施教育課程になり、地元交番所へ研修で配属になった。配属と言っても、まだ何も出来ない巡査見習いみたいなものだから、取り敢えず見て仕事を覚えるしかなかった。
 ある日、雨の中先輩巡査とパトロールに向かった。隼人は自分の気持ちに注意を払った。それは、突然起こる。それも決まって雨の日で夜に発作のように起こるのだ。今は昼間だが、夜のように薄暗いと起こる可能性がある。上司にはそんな事話せない。せっかく警察学校を卒業し、正式な警察署が決まる拝命まで、僅かな日を過ごせばいいのだから、何も起こらないで欲しい。
 何とか昼のパトロールは無事に過ごせた。交番所内で書類の作成を行った。先輩巡査が結構きっちりした人で、一から十まで重箱の隅を突く位細かい指導だった。
「諏訪君は学校の席順何番だったの?」
 席順とは成績の順番の事だ。一番ですと答えると、
「さすが大卒だな」
 っと言って、先輩巡査は押し黙ってしまった。
 交番勤務の交代時間が来て、隼人も上がりの時間になった。駅迄の道を傘を差しながら歩いて最寄り駅迄行く。途中幾つかの路地を通り越して行った。突然、後ろから羽交い絞めにされ、路地に引き摺り込まれた。
「大人しくしろ。金を出すんだ」
 隼人は、思い切り腰を落とし、腰に襲って来た男を乗せ、力一杯腰を跳ね上げた。跳ね上げられた男は宙を回転し、路地にひっくり返った。
 隼人は猛っていた。地面に仰向けにひっくり返った男の顔を目掛けて蹴りを入れ、すかさず半身を起こし、背後から首を絞めに掛かった。男はあっけなくストンと落ち気を失った。
 暫らくその場で佇んでいた隼人は、意を決して交番に連絡を入れた。やって来た先輩達に、隼人は正直に起こったままの事を話した。
「ちょっとやり過ぎたようだな。まあ、何とか上手い具合に報告して置くよ。じゃないと正式な拝命を迎えられないからな」
「ありがとうございます」
「まあ、大丈夫だろ。後ろから襲われて一歩間違っていたら命を失っていたかも知れないんだからな」
 実際、この件で隼人は一番軽い訓告処分にもならず、必要以上に被疑者を痛めつけた事での、口頭による厳重注意だけで済んだ。
 隼人の勤務先は警視庁に決まった。警察学校での成績が抜群に良かった為に、警視庁に配属された。配属先は、警備部だ。仕事内容は各国要人の警備や災害時の国民の生命、身体、財産を保護し災害から守るという事とオリンピック時のテロ対策や、それの情報収集や抑止に携わるのが主な仕事だ。
 隼人は、人事部が自分に期待をかけている事が十二分に分かった。隼人はそれに応える自信があった。もし、今自分の両親がこの姿を見たら手を叩いて喜んだだろう。両親の事を思い出すと、息が出来なくなり終いには過呼吸になってしまう。
 隼人が警察官の仕事を選んだ理由に、両親の事が関係している。今から十三年前、激しい雨の降る中、両親は押し込み強盗に殺された。隼人は自分の部屋の押し入れに隠れたので、難は逃れたが、その時の事がもとでトラウマとなってしまった。そのトラウマから逃れるにはまだ捕まっていない両親を殺した容疑者を自分の手で摑まえる事だと思った。その隼人が、夜中の電気も無い暗い中の雨の中を歩くのが怖かったのはこのトラウマのせいである。怖いのは単にその事象のみではなく、自分の中にある狂気の魂が目を覚まし、突然暴力性が顔を出す。同棲している優里亜の前では、まだその埋もれた本性を見せてはいないが、このままでいれば、いずれ彼女の前で出してしまうかも知れないと思っている。
 いずれにしても、警備部という難しい職場に警察学校卒業したての者が配属されるのは、珍しい事だ。期待に応えるなら、SPとしての要人警護、テロ対策としてのSAT、化学生物兵器に対応するんならNBC。そして災害、雑踏警備等を行う機動隊。それらの仕事をこなして行かなければならない。大変な仕事だなと思いつつ半面、やりがいも感じていた。
 
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