源義経黄金伝説第61話

文字数 2,508文字

源義経黄金伝説■第61回★建久三年(1192)3月13日、後白河法皇、66歳で崩御。「わが王朝と貴族の連枝を守るのだ。藤原の兼実殿のお役目ぞ」と遺言する。
後白河法皇の最愛の人、丹後局たんごのつぼね高階栄子が、藤原(九条)兼実をせかす。
「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。猊下のお言葉です」。
「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。皆々、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝れんしをもって我が王朝を助けよ。まもれよ」
「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」
「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。「しきしま道」和歌により、、言葉にて、我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、 断じて我が領土は、ふめぬ、、わ」
言葉による防衛網が、張られていると、後白河法皇はいうのだ。
源義経黄金伝説■第61回★

■ 建久三年(1192)3月13日京都

後白河法皇の御殿に藤原(九条)兼実が現れる。

後白河法皇の最愛の人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。

彼女が丹後局たんごのつぼねである。



法皇の部屋には、病人独特のにおいが立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった。

兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。



病床にある後白河法皇は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と

弱々しげに言った。



「ははつ、後白河法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」

「そばに行かれよ」

後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。



「朕の遺言じゃ聞いてくだされ」

「、、、、」

「よいか、それぞれの貴族の家は、古式ののっとり、各家々の特異技を家伝とされよ」



「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」

藤原兼実も、すでに藤原氏の氏の長者うじのちょうじゃになっているのだ。



「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか。兼実殿」

後白河法皇が、言った。

高階栄子が、兼平をせかす。

「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。猊下のお言葉です」。



「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。皆々、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝れんしをもって我が王朝を助けよ。まもれよ」



「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」



「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。「しきしま道」和歌により、、言葉にて、我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、 断じて我が領土は、ふめぬ、、わ」



西行法師を始め和歌によって、言葉による国家の霊的防衛網が、張られていると、後白河法皇はいうのだ。



「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」



「まずは藤原定家が先陣かと考えます」



法皇は、急に目をつぶり、静かになる、

「母君、兄君。いまおそばにまいらせましょう。目宮めのみや君、萎宮なおのみや君もな」

法皇は、4人目の宮、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。

目宮は眼が見えず。萎宮は体が動かなかったのだ。



「御家を、それぞれの家を、古式由来の技で守ってくだされや。いにしえよりの我々貴族の技わざこそ我ら貴族を守る。朕の遺言ぞ、、」



「兼実殿、、、」



「はっつ」

「お、お主とは、、最後まで、、分かり合える事は、、なかった、、な」

「、、」

「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」



「よいか、藤原の兼実殿のお役目ぞ」

丹後局である高階栄子が、かたわらで繰り返す。



法皇の様態が変化した。

「弁慶に謝ってほしい。お、お前から伝えてくれぬか、、」

「弁慶どの、、ですか、、」

兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世

の人ではないことを忘れている。



4年前1189年文治5年4月30日に衣川でなくなっている。



「兼実殿、猊下のお言葉にあわせられよ」高階栄子が、叱咤する。



「朕は、この父は、悪人であった。弁慶お前を我が王朝の闇法師として使ってのう、許してくれ。お前の一生を犠牲にしてしまっての」



法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。

兼実が弁慶に見えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。



弁慶は法皇の子供だった。



「朕はな、この京都を守りたかった。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人

どもに政権は渡せぬぞ。

血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝や藤原秀衡に渡してなるものか」



しばらくは沈黙が続く。



「そうじゃ、西行は、西行はどこだ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。

早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうだ、平泉にの霊

御殿をつくる話は、、いかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」



兼実は、西行になったつもりで、告げた。

「西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」

「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よい

か。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」



法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲

撃によって焼き払われていた。



八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くから望見できた院政と京との象徴であったが、今はそれもない。



「法皇、安んじなされませ。やや、経文をお読みくだされ…」

「おお、そうだ。そうだ」

後白河は、経文を六度唱えた、そして静かに。院政最期の巨人は崩御された。



「猊下…」

丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。



しかし、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、考える。



これで、、頼朝殿に征夷大将軍の位を与えることができる。



藤原(九条)兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。



建久三年(1192)3月13日、後白河法皇、崩御。66歳であった。



その昔、西行は崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。

西行は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに、崇徳上皇の白峰神宮をつくることを約束していたのである。



(続く)
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