第26話
文字数 1,890文字
「わたしたちに約束したお土産のお寿司を買ってようやく帰途についた……その道すがらだったといいます」
涼はそう口を開くと、淡々と、ことばをつづけた。
「居眠り運転のトラックが中央車線をはみ出して、パパが運転する車に突っ込んできたらしいんです……」
涼はそこまで言うと、テーブルの上のコーヒーカップに手をのばして喉を潤した。そして涼は、それをソーサーにを戻すと、節目がちに、唇を噛んだ。
その様子を見ていた蓮は、次のことばを聞く一歩手前に、はや胸が痛くなった。
やがて涼は、小さく息をつくと、低い声でゆっくり、絞り出すように言った。
「即死……だったそうです」
淡々と話していたが、その内容は聞くに忍びなかった。
蓮は背中に冷たいものが走ったように感じて、絶句した。
一方、浩子は、ぐさりと胸を刺されたように感じて、その痛みに狼狽するのだった。
二人はしばらく口も利けずに呆然としていた。
それでも、ほどなく、蓮は肩で一つ息をつくと、何気なく、涼の表情を盗み見た。
さぞかし、つらかったことだろう。だというのに、彼女の表情には、悲壮感らしきものは見られなかった。いや、それよりむしろ、蓮にはその表情が、どこかさばさばとしているようにすら見えて仕方がなかった。
ということは、あれかしら――ふと、蓮は考える。
彼女はもう、両親の死を自分のなかで処理できているのかもしれないわ、と。
そんなふうに、蓮は考えながら、改めて、涼の美貌にしみじみとした眼差しを向けた。
「お葬式が終わったあと、伯父がボソッとつぶやいたんです。警察に鑑識の知り合いがいるけど、その彼が教えてくれたんだよ、って。後部座席にあったビニール袋のなかにお寿司が入っていたんだけど、それだけが無傷だったらしいよって、とっても悔しそうに……」
そこまで言うと、涼は力なく首を振って、それから、口元をゆるめた。
不憫ながらも、その様子を見ていた蓮は、やっぱりだわ、と確信した。
もう両親の死を処理できてるみたいね、というふうに。
「小学六年のとき突然、両親を失って、すっかり途方にくれていたわたしを引き取って育ててくれたのが、いまのプロダクションの社長の北村でした。かねてわたしを、原宿でスカウトした……」
「ああ……それで」
バーバーリーのハンカチで目尻にたまった雫を拭いながら、蓮は言う。
「涼さんは、東京にいらしたのね」
「ええ……」
うなずいた涼は、つづけて言った。
「そのときはまだ、年端のいかなかった雄太……あ、これは弟の名前です。彼は話し合いの結果、岩国の親戚に預けられることになりました。わたしは別れ際に、彼に約束したんです。十八になったら、上京しておいで。そしたら、おねえちゃんが必ず、面倒みてあげるからね、って」
「そうだったの……彼は弟さんだったのね」
うなずいた蓮だったが、けれど、彼女の胸のうちには忸怩たるものがあった。
事情を知らなかったとはいえ、そんなけなげな弟を見て、近藤結花を殺害した犯人だときめつけていたのだから。
神妙な顔をしながら、蓮は黙って、涼の話に耳をかたむけた。
「やがてやっと雄太は昨年、十八の誕生日を迎えました。満を持して、彼は、わたしを頼って上京してきました。わたしは当初、このマンションで、彼の面倒を見ようと思っていたんです。でも北村から、口を酸っぱくして言われたんです。たしかに、ここは高級マンションなので、セキュリティはしっかりしてる。とはいえ、東京には、週刊誌の記者が、それこそ手ぐすねを引いて待ち構えている。そんな彼らにいらぬ誤解を抱かれては厄介このうえない。用心にこしたことはない。自宅に呼ぶのは、だからしばらく控えろって、とってもおっかない顔をして……」
そう言い終わると、涼はふたたび、コーヒーカップに手を伸ばした。蓮と浩子もつられるように、テーブルの上に用意されたお茶を口に運んで、喉を潤した。
「ところが、しばらくしてです……」
そう涼は口を開いて、ことばを、こうつづけた。
「このマンションの管理担当者の橋本さんから、隣人――つまり、安河内先生は、芸能界にとんと疎いお方だって聞いたんです。それでわたし、ああ、道理でね、って腑に落ちたんです。だってねぇ……」
そこで涼はことばを切ると、上目づかに、いたずらっぽく蓮をチラ見した。
目が合った蓮は赤面して、さりげなく涼から目を逸らすと、内心つぶやきをこう洩らすのだった。
たしかに、あなたがだれだか知らなくて、そっけない態度をとっていたわ。だからといってね、そんなにおばさんをイジメないでくれる、と苦笑交じりに……。
つづく
涼はそう口を開くと、淡々と、ことばをつづけた。
「居眠り運転のトラックが中央車線をはみ出して、パパが運転する車に突っ込んできたらしいんです……」
涼はそこまで言うと、テーブルの上のコーヒーカップに手をのばして喉を潤した。そして涼は、それをソーサーにを戻すと、節目がちに、唇を噛んだ。
その様子を見ていた蓮は、次のことばを聞く一歩手前に、はや胸が痛くなった。
やがて涼は、小さく息をつくと、低い声でゆっくり、絞り出すように言った。
「即死……だったそうです」
淡々と話していたが、その内容は聞くに忍びなかった。
蓮は背中に冷たいものが走ったように感じて、絶句した。
一方、浩子は、ぐさりと胸を刺されたように感じて、その痛みに狼狽するのだった。
二人はしばらく口も利けずに呆然としていた。
それでも、ほどなく、蓮は肩で一つ息をつくと、何気なく、涼の表情を盗み見た。
さぞかし、つらかったことだろう。だというのに、彼女の表情には、悲壮感らしきものは見られなかった。いや、それよりむしろ、蓮にはその表情が、どこかさばさばとしているようにすら見えて仕方がなかった。
ということは、あれかしら――ふと、蓮は考える。
彼女はもう、両親の死を自分のなかで処理できているのかもしれないわ、と。
そんなふうに、蓮は考えながら、改めて、涼の美貌にしみじみとした眼差しを向けた。
「お葬式が終わったあと、伯父がボソッとつぶやいたんです。警察に鑑識の知り合いがいるけど、その彼が教えてくれたんだよ、って。後部座席にあったビニール袋のなかにお寿司が入っていたんだけど、それだけが無傷だったらしいよって、とっても悔しそうに……」
そこまで言うと、涼は力なく首を振って、それから、口元をゆるめた。
不憫ながらも、その様子を見ていた蓮は、やっぱりだわ、と確信した。
もう両親の死を処理できてるみたいね、というふうに。
「小学六年のとき突然、両親を失って、すっかり途方にくれていたわたしを引き取って育ててくれたのが、いまのプロダクションの社長の北村でした。かねてわたしを、原宿でスカウトした……」
「ああ……それで」
バーバーリーのハンカチで目尻にたまった雫を拭いながら、蓮は言う。
「涼さんは、東京にいらしたのね」
「ええ……」
うなずいた涼は、つづけて言った。
「そのときはまだ、年端のいかなかった雄太……あ、これは弟の名前です。彼は話し合いの結果、岩国の親戚に預けられることになりました。わたしは別れ際に、彼に約束したんです。十八になったら、上京しておいで。そしたら、おねえちゃんが必ず、面倒みてあげるからね、って」
「そうだったの……彼は弟さんだったのね」
うなずいた蓮だったが、けれど、彼女の胸のうちには忸怩たるものがあった。
事情を知らなかったとはいえ、そんなけなげな弟を見て、近藤結花を殺害した犯人だときめつけていたのだから。
神妙な顔をしながら、蓮は黙って、涼の話に耳をかたむけた。
「やがてやっと雄太は昨年、十八の誕生日を迎えました。満を持して、彼は、わたしを頼って上京してきました。わたしは当初、このマンションで、彼の面倒を見ようと思っていたんです。でも北村から、口を酸っぱくして言われたんです。たしかに、ここは高級マンションなので、セキュリティはしっかりしてる。とはいえ、東京には、週刊誌の記者が、それこそ手ぐすねを引いて待ち構えている。そんな彼らにいらぬ誤解を抱かれては厄介このうえない。用心にこしたことはない。自宅に呼ぶのは、だからしばらく控えろって、とってもおっかない顔をして……」
そう言い終わると、涼はふたたび、コーヒーカップに手を伸ばした。蓮と浩子もつられるように、テーブルの上に用意されたお茶を口に運んで、喉を潤した。
「ところが、しばらくしてです……」
そう涼は口を開いて、ことばを、こうつづけた。
「このマンションの管理担当者の橋本さんから、隣人――つまり、安河内先生は、芸能界にとんと疎いお方だって聞いたんです。それでわたし、ああ、道理でね、って腑に落ちたんです。だってねぇ……」
そこで涼はことばを切ると、上目づかに、いたずらっぽく蓮をチラ見した。
目が合った蓮は赤面して、さりげなく涼から目を逸らすと、内心つぶやきをこう洩らすのだった。
たしかに、あなたがだれだか知らなくて、そっけない態度をとっていたわ。だからといってね、そんなにおばさんをイジメないでくれる、と苦笑交じりに……。
つづく