⑵首輪と命綱

文字数 5,389文字

 やはり、メモを取るべきだった。
 ミナの帰宅後、翔は早々に後悔した。依頼内容ではない。分からないことが多過ぎて、何を訊くべきかすっかり忘れてしまったのだ。

 ミナは自分の不在時に依頼人が来たことや、立花がそれを受けたことには何も言わなかった。基本的に、彼等は非干渉的なのかも知れない。

 三時のおやつという覚えたての言葉を使って、ミナが給湯室に消えて行く。翔はその後を追った。



「Coffee or tea?」
「……紅茶」
「Can I use herbal tea?」
「もう何でもいいよ」



 給湯室の(たな)にプラスチックの白い箱があって、乾燥した草みたいなものが小袋に分けて入れられている。

 乾燥大麻かと問い掛けると、ミナが怒って否定した。タイミング良くコンロに掛けられたやかんが笛を吹く。

 ミナは急須(きゅうす)に湯を入れると、(たな)へ手を伸ばした。
 薬剤を調合するみたいに小袋から乾燥した草を取り出して、一つ一つ匂いを嗅いでいる。

 ミナが急須(きゅうす)に入れた湯を捨てたので驚いた。尋ねると、どうやらその湯は急須(きゅうす)を温める為のものだったらしい。ミナは再び急須(きゅうす)に湯を注いだ。よく分からないが、彼にとっては必要な作業らしい。



「お前、何処に行ってたの? 立花は奉公(ほうこう)に出したとか言ってたけど」
「ホウコウ?」
「知らねぇよ」



 立ち昇る湯気の向こうで、ミナは小首を傾げている。
 ミナが分からないんじゃ、お手上げだ。翔は急須を眺めるミナに問い掛けた。



「依頼人が、契約について説明して欲しいって言ってたぞ。DNAだかNHKだか」
「NDAかな。Non-disclosure agreement」
「分かんねぇ」
「秘密保持契約だよ。取引をする時、何を秘密にするのか約束するんだ」



 暗殺に関する秘密保持契約となると、かなり重要な事項ではないだろうか。



「Mailでいいのかな。後でレンジに訊いておくね」
「……あと、安楽死がどうとか」
「アンラクシ?」



 翔が上手く説明出来ないので、答えようがないのだろう。ミナは調合したハーブを急須(きゅうす)の中へ投入して行く。
 急須(きゅうす)と湯飲みを持ったミナが給湯室を出て行くので、翔は追い掛けた。

 コーヒーテーブルで急須(きゅうす)と湯飲みを並べる姿は、まるで飯事(ままごと)みたいでおかしかった。ハーブティーを注ぎながら、ミナは依頼の詳細な説明を立花に尋ねていた。



「アンラクシ――、Euthamasiaか」



 合点がいったらしく、ミナは「安楽死、安楽死」と呟きながら再び給湯室に消えた。戻って来た時には三人分に切り分けた羊羹(ようかん)を持っていた。



「安楽死が合法かは国による。日本では基本的には禁止されていて、例外としてNegative euthanasiaは認められているみたいだね」
「何それ」
「例えば、病気と分かっているのに検査を受けないとか、治療を途中で止めるとか。積極的に死のうとはしないけど、生きようともしない。そういうのをNegative euthanasia――消極的安楽死って言うんだ」



 やはり、ミナがいると便利だ。
 翔は差し出された羊羹(ようかん)と湯飲みを受け取って、相槌(あいづち)を打った。



「ただ、Negative euthanasiaにも手続きが必要みたいだね。本人が書類に直筆で署名する必要がある。それが無い場合は、殺人幇助とか承諾殺人になる」



 死ぬのも楽じゃないな。
 立花がそんなことを言った。

 ミナは湯飲みを両手で包みながら、悪戯(いたずら)っぽく笑った。



「That makes sense! つまりさ、今回の依頼は病を苦にした自殺だね?」



 当たりではないが、あながち間違いでもない。
 したり顔で語るミナに、立花が答えた。



「自殺じゃねぇよ。難病に苦しむ子供を、可哀想だから殺してくれってさ」



 ミナは目を(またた)いて、信じられないものを見るように眉を寄せた。



「子供? ターゲットは子供なの?」
「そうだよ。依頼人はその母親だ」



 肯定した立花は、つまらなそうな顔をして煙草を取り出した。一日にどのくらい吸っているのだろう。体に悪そうだ。
 ミナは顔を(しか)めたまま言った。



「凄まじいエゴだね。子供がそれを望んでいるの?」
「知るかよ、そんなこと。いつもそうだろ。殺される人間の事情は関係ない」



 立花のやり方は変わらない。例えターゲットが子供であっても、同情の余地があっても、金さえ払えば殺害する。今までもそうだった。

 ミナは俯いて、何かを考えているようだった。
 立花の仕事の邪魔をしようとしているようではない。翔には、それが自分の中で整合性のある結論を出そうとしているように見えた。



「お前に仕事を任せる。契約内容を封書で郵送したら、ターゲットについて調査しろ」
「郵送? 最重要書類じゃないか。せめて、手渡しして、その場で署名してもらうべきだ」
「じゃあ、お前がやれ」
「いい加減だなぁ、もう」



 ミナは膨れっ面で言った。
 子供らしく、表情がころころと変わるのが可笑しかった。



「I’m on it. Let's go together, ショウ」



 一欠片の(かげ)りもない笑顔でミナが言った。
 調査に誘われたらしい。立花が品定めするように見詰めて来る。自分達には前科があり過ぎて、信用出来ないのだろう。

 それでも、立花は依頼を失敗したことはない。
 事務所を出る寸前、立花が言った。



「しっかり守れよ、番犬」



 インテリアの次は、犬扱いかよ。
 翔は舌打ちを呑み込み、後ろ手に応えた。












 4.小さな掌
 ⑵首輪と命綱














 事務所を出た時、ミナから携帯電話を手渡された。
 手の平くらいのスマートフォンだった。見たことはあるが、使ったことはない、と思う。



「いつも持ち歩いて欲しい。ウィローの探索をした時に、発信機があると便利だと思ったんだ」
「首輪かよ」
「命綱だよ。互いの居場所が分からないと不便だろ?」



 翔の手元を覗き込んで、ミナが使い方を丁寧に教えてくれた。通話、メール、GPSの起動。ついでに電話帳にミナと立花の連絡先も入れてくれた。いいのだろうか。



「これを失くしたらと思うと怖いな」
「大丈夫。Self-destruct programが入ってる」
「何それ」
「データの流出を防ぐ為に、遠隔操作で機械そのものを破壊するんだ」



 ミナは楽しそうだった。

 早い話が、爆弾付きの首輪だろう。それは自分に対する信頼ではなく、リスクを想定したミナの最善策なのだ。

 まあ、いいさ。
 翔はポケットにそれを押し込んだ。使いこなせるかは分からないが、自分がこれを持っていることでミナが安心出来るならそれでよかった。



「ターゲットの調査はどうするんだ?」
「調査だけならパソコンで出来る。まずは依頼人に会おう。契約内容を確認しないと」



 やはり、依頼を受けたその場にミナがいなかったことは痛手だったらしい。だが、話を聞いているとミナも立花の元に来たのはそれほど昔でもないらしいから、それまでは立花が一人で切り盛りしていたはずだ。



「レンジは結構いい加減なんだ」



 ミナとて几帳面な性格とは思えないけれど。
 翔は黙っていた。ミナと立花の価値観は水と油だが、(おぎな)い合うという意味ではそれなりに良いコンビなのかも知れない。



「依頼人に会うには予約が必要なんだって。全く、不公平だよね。向こうは押し掛けて来てるのに、こっちはNDAの説明もしなきゃいけない。うちもせめて予約制にして、依頼人を選ぶべきだ」



 (もっと)もな話だ。
 金を払えば客は神様になる訳じゃない。あくまで取引は公平であるべきだろう。

 ミナは携帯電話を取り出して、小さな指ですいすいと操作した。



「中々、良いところに住んでるみたいだね。警備が厳しい。待ち伏せは難しいかも」
「期日は決まってないんだろ?」
「まあね。依頼人と会うまでレンジが待ってくれるかは分からないけど。取り敢えず、ターゲットの調査をしようか。並行しても問題はないさ」



 ミナは携帯電話をポケットに押し込むと、大きく背伸びをした。先日の遺族殺害を引き()っている様子はなかったので、翔も安心した。



「ターゲットは入院中だね。結構遠いな。電車を乗り換えないと」



 不安だなあ、とミナが零した。



「日本の路線ってどうしてあんなに(から)まってるんだろう?」
「お前の国は違ったのか?」
田舎(いなか)だったから、あんまり電車は乗らなかったよ」
「じゃあ、普段はどうしてたんだ?」
「そんなに出掛けなかったからなぁ。この国ではなんて言うんだっけ。――ああ、ヒキコモリだ。レンジが言ってた」



 ミナが手を叩いた。
 田舎(いなか)のヒキコモリだったのかよ。

 取り敢えず、駅に向かうことにした。二人で静かな街中を歩いていると、何故だか急に懐かしさみたいなものが込み上げて来た。



「お前、家族は?」
「別に普通だよ。ショウは?」
「両親と妹。多分な」
「どんな人だったんだろうね」



 互いに追求はしなかった。
 二人で取り留めもない話をしている内に駅に着いて、ミナが発券機の前で(うな)り始めた。漢字の横にはアルファベットが振ってあったけれど、地名は複雑だ。迷路を辿(たど)るみたいに指先で路線を追うのが面白かった。



「病院の受付時間までに到着出来る気がしない」



 ミナは眉をハの字にして言った。
 だからと言って、事務所に戻ったところで立花が助けてくれるとも思えない。二人で路線図を眺めて(うな)っていると、後ろから声を掛けられた。



「ミナちゃん?」



 呼ばれたミナが振り返る。翔はその視線の先を追い掛けた。
 駅前の喫煙所に、スーツを着た一人の女が立っていた。長い黒髪をポニーテールにした気の強そうな女だった。
 ミナが親しげに手を上げて応えると、女は指先に挟んでいた煙草を消した。

 女が近付くと、煙草特有の臭いがした。



「何処かお出掛け?」
「That's right! But, Japanese trains are complicated」



 他人と話す時は英語がデフォルトなのだろうか。
 女はおかしそうに笑った。バリバリのキャリアウーマンみたいな風体なのに、笑った顔は少女みたいだった。



「何処に行きたいの?」



 ミナが携帯電話を提示すると、女は小難しい顔で(うなず)いた。



「結構、遠いわよ。あたしの車で送ってあげようか」
「Are you sure?」
「ええ。仕事がキャンセルされて、暇してたの」
「No way! Thanks!」



 ミナは女の手を握り、嬉しそうに飛び跳ねた。
 意外と女好きなのかも知れない。



「Will Sho also get on your car?」
「いいわよ。お友達?」
「Yeah!」
「ふうん……」



 女は警戒するみたいに翔を見遣(みや)った。
 嫌な沈黙が流れるのを、ミナがさっと(さえぎ)った。



「この人は、幸村(ゆきむら)さん。弁護士なんだって。お隣さんなんだよ」
「お隣?」
「うちのビルの隣は法律事務所なんだ」
「は?」



 弁護士事務所の隣にいたのかよ。
 灯台下暗しというか、立花が大胆なのだろう。普通なら避けそうな物件だ。

 幸村は名刺を出した。
 長方形の紙切れに、幸村歌恋と記されている。読み方が分からない。



「カレンって言うんだよ。可愛いでしょ」



 歌恋でカレン。
 酷い当て字だ。しかし、英語圏の名前だから親しみがあるのか、ミナは嬉しそうだった。

 幸村が車まで案内してくれると言うので、ミナはスキップしながら追い掛ける。彼の交友範囲もよく分からない。殺し屋の事務所にいる癖に、警官や弁護士と交友があるらしい。

 後部座席から彼女の背中を眺めていた。定規(じょうぎ)でも入っているみたいに背筋がぴんと伸び、己の生き様に迷いも後悔もないと(うた)っているかのような自信に満ちた人だった。
 口数が多いのに運転はスムーズで、一度も振り返りはしないのに此方の様子を逐一(ちくいち)感じ取っているかのような抜け目のなさがある。

 ミナは英語で話していたが、女は日本語を話していた。意思の疎通(そつう)が出来ている様子だったので、彼女は英会話も可能なのだろう。

 二人が話していると言語の壁だけでなく、女同士の実も根もない話を聞かされているみたいで疲れる。

 横で聞いていて感じるのは、会話には技術が必要だということだった。彼女も理路整然とよく喋るが、聞き手に回ったミナが上手い具合に返事をする。何と答えているのかは分からないが、兎に角、タイミングやリアクションが絶妙で、話し手がもっと喋りたくなるようだった。

 目的地に到着するまで、彼女はずっと喋っていた。
 息苦しくて、翔は自分が透明人間になったのではないかとすら思った。颯爽(さっそう)と車を降りたミナに続き、翔は会釈した。

 病院は長閑(のどか)田舎街(いなかまち)にあった。
 空気が美味しいとミナが喜んだ。翔は、帰り道を考えるとうんざりした。

 ミナは受付を素通りして、エレベーターに向かった。
 翔がすれ違う看護師に会釈すると、ミナも真似をした。会釈の文化は国によって違うらしい。



「どんなことでもいいから、この国のことを教えてよ。レンジはあんまり教えてくれないんだ」



 そういえば、前にもそう言っていた。
 ミナは賢い子供だ。日本語だって一度教えれば理解する。それでも未だに英語混じりなのは、立花が放ったらかしにしていたからだろう。



「You should conform to the custom of the country」
「何だって?」
「日本語ではなんて言うんだっけ……」



 ミナはぶつぶつと呟いていた。周囲の人間が微笑ましそうに眺めている。透明人間じゃなくなった世界は、少しだけ息が楽だった。
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