⑷請負契約

文字数 3,673文字

 頭が締め付けられるように痛い。
 余りの痛みに視界が揺れる。
 翔は砕けそうな程に奥歯を噛み締めた。(ほほ)の内側から出血しているのか、鉄の味がした。

 目が回る。
 白く(にじ)む世界で、天使が言った。



「It's a waste of bullets」



 射抜くような眼差しだった。
 ミナは立花を真っ直ぐに見据(みす)えていた。



「He is not lying. I know it」



 立花は舌打ちをした。
 それでも下げられない銃口の前で、翔は言い(つの)った。



「アンタが殺し屋だって言うなら、俺の依頼を受けてくれよ」



 立花は片眉を跳ねさせた。
 正念場だ。翔は拳を固め、腹に力を込めた。



「俺の家族を殺した犯人を、始末して欲しい」



 立花は無表情だった。泣きそうに眉を寄せたミナとは対照的だった。

 駄目か?
 でも、此処で死ぬ訳にはいかない。
 誰にも必要とされない自分を命懸けで助けに来てくれたミナの為にも、自分は最期まで足掻かなければならないと思った。例え、それが自己満足であったとしても。

 しかし、立花は動かない。
 翔の眉間(みけん)に照準を合わせたまま、まるで銅像のように固まっている。



「俺は復讐の依頼は受けない」



 無慈悲な刃のように、立花が切り捨てる。
 顔を(ゆが)めたミナが、銃口の前に滑り込む。



「Wait, Hear his story」
「……どうして、そこまで肩入れする?」
「He is my benefactor」



 息が出来ない程の緊張感に満ちた沈黙だった。
 膠着(こうちゃく)状態を破ったのは、立花の深い溜息だった。



「いいぜ。話を聞いてやる」



 立花が銃を下ろすと、ミナは緊張の糸が切れたように肩を落とした。そのまま崩れ落ちるようにミナはソファへ倒れ込み、ほっと息を漏らした。

 その時になって、ミナが想像も出来ない程の強い覚悟で銃口の前に立ちはだかっていたことを知った。年齢が幾つなのか知らないが、本来ならば守られて(しか)るべき存在でありながら、ミナは翔の為に己の命を危険に(さら)してくれている。

 ミナは慈悲(じひ)深く微笑み、穏やかに言った。



「さあ、君の話を聞かせて?」














 1.宴安酖毒
 ⑷請負契約(うけおいけいやく)














 思い出すのは、血塗(ちまみ)れのリビングだった。
 幸せな記憶なんて一つも覚えていないのに、その光景を思い出す度に胸が(えぐ)られ、喪失感に叫び出したくなる。

 翔の断片的な話を聞いている最中、立花は退屈そうに煙草を吹かしていた。ミナだけが辛そうに眉を寄せている。



「――要するに」



 煙草を灰皿に押し付け、立花が言った。



「テメェは記憶喪失で、覚えているのは家族が殺されたってことだけなんだな? 誰が何の為に殺したのかも分からねぇのに、復讐したいってことだろ?」



 その通りだ。
 翔は頷いた。死神は(きょう)()がれたとばかりに舌打ちをして、ミナを呼び付けた。



「お前はどうしたいんだ? こいつの復讐に加担するか? 人間の記憶なんて曖昧(あいまい)だ。過去から逃れる為に、都合良く記憶を捏造(ねつぞう)することだって日常茶飯事だ」
「ニチジョウサハンジ?」
「……面倒臭ぇな」



 立花は頭を掻いた。
 殺し屋と名乗るこの男も謎だが、ミナと呼ばれるこの子供の正体も分からない。



「こいつが自分の家族を殺した可能性もある」



 翔は息を呑んだ。
 分かっている。その可能性も知っていた。
 記憶の中の自分の両手は血塗れだった。



「こいつ自身が罪人かも知れない。そうだろう?」



 ミナは(あご)に指を添え、何かを考え込むように(うつむ)いた。
 自分の命運はその小さな子供が握っているのだ。
 翔は祈るような心地で、ミナの言葉を待った。



「It does not deny. But......」



 そう言って、ミナは翔を見た。



「記憶の連続性こそが自己と呼ばれるものだ。この国の法は心神喪失状態の人間を裁けない」



 ミナが滑らかに日本語を話し始めたので、翔は驚いた。
 この子供はずっとそうだ。翔の想像を、予想を上回って来る。



「君を罪人とは思わないよ」



 詭弁(きべん)だな、と立花は吐き捨てた。
 悔しいが、その通りだった。



「……まあ、いいさ」



 立花は煙草を咥え、火を点けた。雑多な事務所の中、やけに絵になる男だと思った。



「ミナに免じてテメェは生かしてやる。だが、忘れるな。お前は保留されただけで、助かった訳じゃねぇ」



 立花は煙草をミナへ向けた。



「こいつの命の責任は、お前が取るんだ」
「I know that」



 ミナは苦く(うなず)いた。

 それは脅迫だ。自分の選択一つ一つがミナの命に繋がっている。裏切る気なんてものはなかったけれど、ミナが酷い責任を負わされていることは分かった。

 それでも、ミナは窮地(きゅうち)を脱したかのように微笑んだ。



「Thank you, Renji」
「礼を言うのは、早いぜ」
「I know」



 ミナは咳払いを一つすると、此方に手を差し出した。



「君を信じるよ」
「ああ……」



 荒れた掌だった。
 陽溜(ひだ)まりのように温かいのに細くて硬く、苦労をして来た手だと分かる。
 幾つなのか知らないが、自分よりも年下であることは確かだ。この世の不幸なんて一つも知らないみたいに明るく微笑んでいるのが、余計に辛かった。

 フードの下、ミナは微笑んでいる。
 翔は、其処に妹の面影を見た気がして、胸が締め付けられるように痛かった。

 立花は姫なんて呼んでいるけれど、殺し屋を自称する彼がまともな大人とは思えない。彼の元でミナが普段どんな扱いを受けているのかと思うと遣り切れない。



「テメェが何処の誰なのかは知らねぇし、俺は復讐の依頼は受けない。やりたきゃ、テメェ一人でやれ。そんで、勝手に野垂れ死ね」
「I didn't help him to die」
「お前は黙ってろ」
「Nope」



 何を言っているのかは分からないが、ミナが生意気な口を利いていることは分かる。立花が()えているのが奇跡みたいに思えた。



「I will receive his request as a survey」
「おいおい、本気かよ」



 立花が呆れたように言った。残念ながら、翔には理解出来なかった。ミナが和訳しようとしてもごもご言っている間に、立花が答えた。



「お前の依頼を、こいつが受けるって言ってんのさ。復讐ではなく、調査として」
「……お前が?」



 確かに、立花はミナを事務員と言っていた。殺し屋が雇うくらいなのだから、それなりに腕が立つのだろう。


「Leave it to me! Instead, do your chores here」
「なんだそりゃ」



 一々立花を仲介しなければならないのがまどろっこしい。



「依頼を受ける代わりに、此処で住み込みで働けってさ」



 それが本当なら、立花の反応も頷ける。
 しかし、翔にはミナが本当にそう言っているのか分からないのだ。



「これなら、レンジもショウを見張れるでしょ。―― Uh, I don’t know how to say this in Japanese!」
「一石二鳥」
「イッセキニチョウ!」



 ミナは無邪気に喜んでいるが、翔はこの事務所にいる限り、立花に命を狙われるのだ。雑用が具体的にどんなものを指しているのかも分からないし、それは誰にとっての一石二鳥なのだろう。



「Is that all right?」
「……それで、お前に何の見返りがあるんだよ」



 ミナが信じられない訳じゃない。
 けれど、彼女には何の得もない。翔が此処で働いたとして、誰が利益を得るのだ。



「I want a trump card」
「……トランプ?」



 全く分からない。
 助けを求めて立花を見るが、彼は答えなかった。

 彼女には彼女の目的があるのだろう。ならば、これは平等な取引になる。その目的が何を指すのか分からない以上、不利にならないとも限らない。しかし、此処まで身を挺して助けられた手前、翔は強く出られない。これが計算の上なら、天使の顔をしてとんでもない腹黒だ。

 だが、毒を食らわば皿までと言う。

 良いだろう!
 受けて立とうじゃないか!



「上等だ」



 その時、ミナはまるで(まぶ)しいものでも見るみたいに目を細めた。



「君の働きに期待してる」



 ミナは微笑み、立ち上がった。
 そのまま事務所の奥へ消えてしまったので、事務所には立花と二人きりになった。ライオンの(おり)に丸腰で放り込まれたような心地だった。

 恐る恐ると、翔は問い掛けた。



「アンタ等は、どういう関係なんだ」
「お前と一緒だよ」



 立花は美味そうに煙草を吸いながら、笑った。
 言葉の意味を追求しようとした時、ミナがマグカップを持って再び現れた。メンソールみたいな花の匂いがした。

 手渡されたマグカップには、黄緑色の紅茶みたいな液体が入っていた。俗に言うハーブティーらしい。
 包帯越しに感じる温かさが、まるで遠い昔に置いて来た家族の温もりみたいだった。

 あ、と思った時にはもう遅かった。
 目から熱い涙が(あふ)れ、マグカップの中に落ちて行った。

 ミナも、立花も何も言わなかった。

 翔は両目を(こす)り、マグカップに口を付けた。薬みたいな変な味がする。美味いとは感じない。だけど、二人が何も言わないでくれるのをいいことに、翔は誤魔化すようにハーブティーを(すす)った。
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