処理の後に
文字数 2,677文字
レイニアとアルフが必要な手伝いを呼び、個室の破損を片づけ修理を終えたのは、夜が明ける前だった。
リリアはベッドに寝かされたカタリーナをのぞき込んでいた。ジュピターが後ろからテレパシーで声をかける。
<彼女の保護壁は完全に修復した。分析型のテレパスが彼女を調べても仲間だとはわからないし、万が一、科学局の検査を受けるようなことがあっても問題なくパスできるはずだ。
壁は彼女の姉が作り上げたものなのか、それとも姉の言葉に反応して彼女自身の心が作り出したのかは、わからない。ただそれが彼女の感覚と能力を覆って深い所に閉じこめ、ここまで彼女を守ってきた。
それが彼女の姉が望んだことで、そしておそらく彼女自身も望んだことだ>
ジュピターの言葉をリリアは噛みしめた。
壁で包まれた彼女の心は、普通の人間と同じように厚く鈍い手触りだった。
その鈍さが彼女を守っている……。
すべてを忘れてカタリーナは、静かな表情で眠っていた。
これからまた、紙製の本が好きだという少しだけ変わった、しかし普通の女性として生きていくだろう。
アルフがタブレットで作成した技術局の書式を差し出す。電気系統の故障による事故があり、個室の住人の依頼で修理を行なったことになっていた。
すべてが仲間以外の人間には気づかれないように片づけられた。
翌朝スティーヴの名前に「3週間の勤務免除」と付記された診断書がナタリーから届いた。
「ギプスをしてるだけだから仕事ができないわけじゃないけど、しばらくは放っておくのがいいでしょ。私にも口をきこうとしなかったし」
仲間たちの間では、何か事件が起きたことは気づかれていた。処理班は事件のことを口外していなかったが、共感型たちはあの夜のカタリーナのテレパシーでの叫びを聞いていた。
リリアからそれを聞いたジュピターは「すべてを全員に説明するように」と指示した。
「現に起きた出来事をテレパスたちに隠すことに意味はないし、それはむしろ無用な不安を与える」
仲間たちを守るために一切のリスクを排除することを選んだジュピターの厳しいやり方に、みんなはどう反応するだろう。他人にどう思われるかなど彼は気にはしないが、リリアにとっては少し気がかりだった。
テレパシーのフィールドでミーティングがあることをベース中の仲間に知らせ、各自はそれぞれいる場所から参加する。そこで昨夜に何が起きたのかを説明した。
共感型たちは、リリアの心の感触からそれがつらい選択であったことを感じとった。分析型たちは、それが可能な範囲で最適な対処だったと理解した。テレキネティックたちは「起きたことは起きたこと」と受け入れた。
そして事件についてはそれ以上話されることはなく、仲間たちの記憶のアーカイブに入れられた。
カタリーナはそのまま何事もなかったかのように仕事に戻っていた。彼女がマリアやスティーヴに向けていた強い感情も消えてしまい、もうリリアの感覚に引っかかることはなかった。
だがスティーヴはジュピターのオフィスに顔を見せなかった。リリアの所での週末のブランチにもやって来なかった。
彼にはきっと1人になる時間が必要なのだ。
そう思い、そっとマリアだけを呼んだ。マリアも会いたがっているのがわかっていた。
個室に招き入れるとリビングのソファに座らせ、彼女の好きなスミレの花のハーブティーを入れる。
温かいカップを両手で抱え、マリアはぽつりぽつりと話した。
あの夜、スティーヴは突然起き上がると、「部屋にいて」とマリアに頼み、1人で出ていった。そして明け方、怪我をした腕にギプスをつけて戻ってきた。驚くマリアにスティーヴは詳しいことは話さなかった。ただ「カタリーナにはもう会えない」とだけ言った。
マリアが事件の全容を知ったのは、リリアの説明を聞いてからだ。
あれからスティーヴはずっと部屋で考え込んだり、床に転がってぼんやり天井を見ている。食事のために2人でカフェテリアに出かけても、「空腹じゃない」と言ってあまり食べていない。
「……彼はカタリーナのことが自分のせいだと思ってるの 問題が起きるまで自分は何もしなかったって……もし もっと早く彼女のことに気づいていたら、他にやり方が見つけられたんじゃないかって……」
「そうかもしれない。でもスティーヴのせいじゃないのだけは確かよ。
カタリーナのような形で能力を潜在させた仲間がいるなんて、これまで考えたことはなかったし、それが突然コントロールできない形で浮上することなんて予測も想像もできなかった」
「彼女はテレキネティックだったのね? 私やスティーヴに親近感を持ったのは、そのせいだったのかしら。
私たちと親しくなったことが、彼女を目覚めさせる刺激になってしまったのかも……」
「マリア それは誰にもわからないわ。原因となったかもしれないことは他にもたくさん考えられる。だからあなたも悩んだりしないで」
マリアはきゅっと唇を結び、うなずいた。
スティーヴが悩んでいることをリリアはジュピターに伝えたが、彼は表情を変えなかった。
「状況を分析して判断を下し、指示を出すのが私の役目だ。自分が常に100パーセント正しいと思っているわけではないが、自分に可能な範囲で最適な判断を下そうと努めている。
自分が下した判断に対して誰かが感情的な反応を覚えたとしても、それについて何かをするのは私の役割ではない」
ジュピターの言葉は、彼がいつも仕事に対する姿勢そのままだった。論理的にはその通りだ。そしてだからベースでの昇進競争をここまで駆け上がって来ることもできた。
でも口ではそう言いながらも、彼はスティーヴのことを気にしている。分析型たちの感情反応は微妙だ。そしてその振れ幅が小さく、とらえにくい感情も、しばしば瞬時に分析されて抑制される。それでもそれは感情であって、もう何年もジュピターのそばにいるリリアにはそれを感じとることができた。
しかし今は彼の方からスティーヴに話しかけようとしないだろうことも、わかっていた。
何も急がせることはできない。ただ時間が過ぎて、スティーヴの気持ちが癒えれば……きっとまたもと通りになる、そうリリアは信じた。
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