失踪
文字数 3,054文字
たたき上げの訓練官たちは事務仕事を好まず、まとめて「学校出の若造」であるスティーヴにやらせた。
それぞれの訓練官たちからの手書きのメモや口頭での報告をまとめて記録し、ユニットごとの訓練の進度や、士官候補生の成績などを定期的にまとめて教育局に報告する。
昔の教練軍曹は軍の所属だったが、ベースの訓練官は内務局の管理下にある教育局に所属する。スティーヴが最初にジュピターのところに預けられたのも、たまたま彼とリリアが教育局で働いている期間だったからだ。
今日もオングストロム曹長や他の訓練官たちの手書きの文字を判読しながら、端末のキーボードをたたいていた。
ふいに刺すような痛みを胸に覚える。
そしてなぜかとっさにマリアのことを思った。
思わずポケットから携帯をとり出してチェックするが、メッセージはない。
スティーヴの共感型テレパスとしての能力は、今では仲間の中でもリリアに次ぐ。ベースの中にいれば、どこからでもマリアにテレパシーを届かせることができた。
考えてみれば、彼女が1人でDCに出かけて、テレパシーの届かない範囲にいること自体が初めてだ。それで不安に感じているのかもしれない。
他の訓練官たちはほとんどが演習場に行っており、残っていた曹長もタバコを吸いに出ていったので、オフィスに人はいない。
携帯から電話をしてみたが、呼び出し音が鳴るだけでマリアは出なかった。
大丈夫、そう思うことにした。
マリアが言ったように、彼女だって1人で買い物にぐらい行ける。何度も行ったことのある場所なんだから、何も問題はないはず。
(僕は彼女を子ども扱いしているな)
そう考えてみたが、本当はマリアを止めておけばよかったという気持ちが抑え切れなかった。
(そう言えば、彼女は時々うっかり携帯のバッテリーを切らすことがあった……きっとそんなことだ)
仕事を終えて急いで戻った個室は、しんとしていた。マリアはいなかった。夕方までには帰ると言っていたのに。
リリアに相談した方がいいかと考えかけた時、向こうからテレパシーが届いた。
<マリアはどこかに出かけてる?>
<——DCに買い物に行って、まだ帰ってないんだ。電話してみたけど出なくって>
<そうなの……1人ならベースのバスで行ったのね? 帰りの便が遅れてるのかしら。待って 調べるわ>
10分ほどの間が空く。
<……バスに遅れはないみたい。乗客名簿をチェックしてもらったけど、マリアの名前はないって……>
スティーヴは胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。
<買い物に夢中でバスの時間に遅れちゃったのかしら……でもそれなら電話があるわね——マリアが行きそうなお店はわかる? 電話してみましょう。こっちに来て>
ジュピターのオフィスに向かう途中で、ウェイが追いかけてきた。
「スティーヴ 大丈夫?」
黙ってうなずき返す。
スティーヴとウェイはカフェや骨董品店など、思い出せる限りの店の名を挙げ、リリアが番号を調べて電話をする。だが電話に出た相手はいずれも「わからない」「思い当たらない」と答えた。
心配を表情に出してウェイが言った。
「スティーヴ DCに探しに行こう。僕も行くから。彼女がいそうな場所を回って、近くまで行けばテレパシーが届くよね」
「私も……」
そう言いかけたリリアに、それまで黙って考えていたジュピターが言った。
「スティーヴにウェイが同行するなら、君の能力は重複だ。それより市民生活管理用のデータベースにアクセスして、DC内の救急車の出動記録と病院の患者記録にマリアの名前がないか調べてくれ。シティ・ポリスの業務報告も」
リリアははっとした表情でうなずいた。
私用申請をした車の鍵を2人に渡して見送り、リリアはオフィスに戻ってデータベースを調べ始めた。
救急車の出動記録、シティ・ポリスの業務報告などを繰り返し探すが、マリアの名前はない。
リリアの中で言い様のない不安がつのった。
深夜をまわった頃、電話をとり上げる。
「スティーヴ?」
「……」
無言の向こうから重苦しい感情が伝わってくる。
ジュピターが声をかける。
「リリア 2人に戻ってくるように伝えてくれ」
「行方不明の捜索願いを出した方が……」
「いや マリアが行方不明だということは伏せておくべきだ。 とくに体制側に情報を与えるべきではない」
「え……」
「事故でもなく、シティ・ポリスの関与する案件でもないとすると、警備局に拉致された可能性も考えなければならない」
リリアは自分の顔から血の気が引くのを感じた。
「その場合、彼女の性格からすれば、助けを求めて仲間を危険にさらすよりも、自分1人で責任をかぶろうとするだろう。スティーヴや仲間に危害が及ぶのを避けるために、身元を明かすのを拒んでいる可能性もある。
捜索願いを出してそれが警備局に把握された場合、彼女の身元につなげられる可能性がある。マリアの身元が明らかになったら、配偶者であるスティーヴも疑われる」
リリアが意識の隅でその可能性に気づいていながら目をそらしていたものを、ジュピターは見据えていた。
まるで自分の足下の床が崩れていくように感じる。
社会の中に自由に存在することが許されない自分たちは、ベースの中に隠れ、その壁に守られて、こっそりと居場所を築いてきた。そしてすべてはうまくいっているように思えていた。でもその足場は恐ろしくもろい……。
「警備局に拉致されたのなら、マリアの身柄はすでに移送されてDC内にはないだろう。向こうで2人にできることはない。
それに2人がマリアを探して回れば、変異種の行方を探している者がいると警備局に気づかれる可能性がある。2人を呼び戻してくれ」
彼はどこまでも冷静で、そして最悪の可能性を考えていた。
「警備局のデータベースにアクセスしたいが……」
高級士官のオフィスの端末はベースの中央サーバにつながっているが、警備局と科学局のシステムは中央サーバからは独立しており、外部からはアクセスできない。
そこに仲間がいれば、局内の端末からデータにアクセスする——少なくともハッキングによってデータを得ることは可能なはずだった。しかしこれらの局に仲間はいない。
警備局と科学局はそれぞれ独自に人員を採用しており、入局の前に心理検査が課されていた。建前はそれぞれの局で働く人員としての「適性検査」だが、その中に変異種のスクリーニングが組み込まれている可能性があったからだ。
明け方近くにスティーヴとウェイが戻ってきた。
スティーヴの表情は、見るのがつらいほど焦燥していた。
「少し眠った方がいいわ」
リリアの言葉に、スティーヴは大丈夫だと言い張った。
ウェイがそっとスティーヴの腕をとる。
「僕の個室で眠ればいいよ そうすれば独りにならないで済むから」
ウェイは支えるようにスティーヴの背中に手を当て、スティーヴは抵抗せず、おぼつかない足取りで出ていった。
マリアのいない個室に独りで戻りたくなかったのだ……そう気づき、リリアの胸が痛んだ。
しかしこうしてはいられない。タイガーとナタリーに呼びかけた。
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