幻想をおこす傑士
文字数 1,948文字
「ねえ、レイファルナスさま」
「なに?」
改まって名前を呼ばれ、私も真剣になる。
コウはキリブを見続けながら、私にいった。
「僕は、この施設の完成をみることはできないでしょう。正直、心残りはありますが、後悔はないんです」
晴れやかな笑顔を私に向ける。
人生をせいいっぱい駆け抜けた彼だから、こうして笑顔で言える言葉なのだろう。
それでも。
「不吉なことを言わないで。前にも言ったけれど、君がこの計画を指揮しないでどうするんだ」
私は真剣に―― いや、何かこみあげてくるものを、のみ下して言葉にした。
けれど、彼は曖昧に笑うばかりだ。
「僕の代わりに、この施設の完成をみてくださいね、レイファルナスさま。きっと人々は幸せになっていると思うから」
私の言葉とは裏腹なことを言って、コウはまた笑った。
それから三か月後、コウはこの世界から旅立った。
大勢の人が悲しんで、彼を悼んだ。
葬儀が終わった日の夕方、私があの浄水場の展望台で、工事の始まったキリブを見ていると、後ろからネイスクレファが声を掛けてきた。
「どうしてここにいると分かったの?」
私はことさら冷静な声をつくって彼女にきく。
「季主ならば、同じ季主の気配は分かるじゃろうに」
呆れた声を出され、それもそうだと納得する。
「ネイスクレファ。人間は弱いね……。どうしてすぐに、いなくなってしまうのだろう」
呆然と呟いてキリブをみやる私の横に、彼女は並ぶように立つ。
「さて。どうしてじゃろうな。でも、あたしはコウ博士が弱いとは思わないよ」
「……そうだね。彼は人一倍、強い人間だった。硬くて強い信念と情熱をもった人間だ。でも――」
私は大きく息を吸う。
「悲しくて仕方がないんだ。コウは―― 彼は――」
どうして、彼はもっと生きられなかったのだろう。
のどの奥がつまり、あつくなる。眼から雫がぽたぽたと落ちていって。
嘆いてもどうしようもないと分かっていても、しきりに涙がでた。
「そうじゃな。悲しいものは悲しい」
彼女は、私の腕に手を添えて、涙を流す私に寄り添ってくれた。
あれから、数百年の時が流れた。
用事があってひさしぶりにルミレラ蒼神官と浄水場にきたから、あのときの展望台へと来てみた。
昼前のキリブは、働く人々でにぎわっている。
元気のいい、活気のある街なのだ。
ここに来て、コウのことを鮮明に思い出した。
中央冷房装置の工事はだいぶ前に無事終わっていて。
ネイスクレファの力のこもった、こぶし大の大きな貴石を動力にして、いまも稼働している。
今、この世界は、コウの思い描いた通りの便利な世の中になった。
キリブの街の要所で冷房がつかえるようになり。
とくに魚と、果物と野菜の市場では重宝している。
水道も、きれいな水が随所でるようになり。
以前のように飲み水に川の水をつかうことはなくなった。
コウは約束通りに、私にこの施設の完成を見せてくれた。
むかし、私に誓ったとおりに。
中央冷暖房施設の原理と、夏島、冬島、主島の配管設計図を描いたコウ・サトーは、天才的な博士だと後世に伝わりつづけた。
数百年たったいまでも。
私もコウは忘れられない人間の一人だ。
人間とは、どうしてこうも、強い情熱を抱き続けることができるのだろうか。
一生をかけて成し遂げられた、一大事業。
私はいつもコウの粘り強さに感心させられていた。
幻想のような夢物語だったものを、現実におこした彼の情熱を、私は忘れない。
忘れることなどできない。
そして、彼の計画どおりに人々が幸せになれたことが――とても尊いと思う。
いま、私の傍らには、当代の蒼神官であるルミレラ蒼神官がたっている。
「浄水の方は問題ないみたいですね」
「ああ、そうだね」
「それにしても、この展望台は見晴らしが良いですね。きれいにキリブが見渡せます」
ルミレラ蒼神官も、ここから見るキリブの町並みを見て、感嘆の声をあげた。
「キリブはいい街だね」
「ええ」
「むかしのことを思い出してしまうよ。冷房装置や浄水場 を作ったコウのことをね」
そう言うと、ルミレラ蒼神官は興味深く私に聞いた。
「コウ・サトー博士ですね。聞いて差し支えなければ、聞きたいです。彼は偉大な博士ですから」
「そう。じゃあ、話そうか」
ルミレラ蒼神官が隣に来て、私と肩を並べた。
浄水場の展望台からは、キリブの人々の営みが見える。
今日も、人間たちは力強く生きている。
コウの思い描いた、未来のように。
夏島の空は高く、海は青く、光はさんさんと降り注いでいて。
水はめぐって、生活を潤す。
人々の営みを包みながら。
眼下のそれを見ながら、私はルミレラ蒼神官にコウの話を語ることにした。
夏編 終わり
※明日の更新で完結します
コウ・サトー博士 イラスト
「なに?」
改まって名前を呼ばれ、私も真剣になる。
コウはキリブを見続けながら、私にいった。
「僕は、この施設の完成をみることはできないでしょう。正直、心残りはありますが、後悔はないんです」
晴れやかな笑顔を私に向ける。
人生をせいいっぱい駆け抜けた彼だから、こうして笑顔で言える言葉なのだろう。
それでも。
「不吉なことを言わないで。前にも言ったけれど、君がこの計画を指揮しないでどうするんだ」
私は真剣に―― いや、何かこみあげてくるものを、のみ下して言葉にした。
けれど、彼は曖昧に笑うばかりだ。
「僕の代わりに、この施設の完成をみてくださいね、レイファルナスさま。きっと人々は幸せになっていると思うから」
私の言葉とは裏腹なことを言って、コウはまた笑った。
それから三か月後、コウはこの世界から旅立った。
大勢の人が悲しんで、彼を悼んだ。
葬儀が終わった日の夕方、私があの浄水場の展望台で、工事の始まったキリブを見ていると、後ろからネイスクレファが声を掛けてきた。
「どうしてここにいると分かったの?」
私はことさら冷静な声をつくって彼女にきく。
「季主ならば、同じ季主の気配は分かるじゃろうに」
呆れた声を出され、それもそうだと納得する。
「ネイスクレファ。人間は弱いね……。どうしてすぐに、いなくなってしまうのだろう」
呆然と呟いてキリブをみやる私の横に、彼女は並ぶように立つ。
「さて。どうしてじゃろうな。でも、あたしはコウ博士が弱いとは思わないよ」
「……そうだね。彼は人一倍、強い人間だった。硬くて強い信念と情熱をもった人間だ。でも――」
私は大きく息を吸う。
「悲しくて仕方がないんだ。コウは―― 彼は――」
どうして、彼はもっと生きられなかったのだろう。
のどの奥がつまり、あつくなる。眼から雫がぽたぽたと落ちていって。
嘆いてもどうしようもないと分かっていても、しきりに涙がでた。
「そうじゃな。悲しいものは悲しい」
彼女は、私の腕に手を添えて、涙を流す私に寄り添ってくれた。
あれから、数百年の時が流れた。
用事があってひさしぶりにルミレラ蒼神官と浄水場にきたから、あのときの展望台へと来てみた。
昼前のキリブは、働く人々でにぎわっている。
元気のいい、活気のある街なのだ。
ここに来て、コウのことを鮮明に思い出した。
中央冷房装置の工事はだいぶ前に無事終わっていて。
ネイスクレファの力のこもった、こぶし大の大きな貴石を動力にして、いまも稼働している。
今、この世界は、コウの思い描いた通りの便利な世の中になった。
キリブの街の要所で冷房がつかえるようになり。
とくに魚と、果物と野菜の市場では重宝している。
水道も、きれいな水が随所でるようになり。
以前のように飲み水に川の水をつかうことはなくなった。
コウは約束通りに、私にこの施設の完成を見せてくれた。
むかし、私に誓ったとおりに。
中央冷暖房施設の原理と、夏島、冬島、主島の配管設計図を描いたコウ・サトーは、天才的な博士だと後世に伝わりつづけた。
数百年たったいまでも。
私もコウは忘れられない人間の一人だ。
人間とは、どうしてこうも、強い情熱を抱き続けることができるのだろうか。
一生をかけて成し遂げられた、一大事業。
私はいつもコウの粘り強さに感心させられていた。
幻想のような夢物語だったものを、現実におこした彼の情熱を、私は忘れない。
忘れることなどできない。
そして、彼の計画どおりに人々が幸せになれたことが――とても尊いと思う。
いま、私の傍らには、当代の蒼神官であるルミレラ蒼神官がたっている。
「浄水の方は問題ないみたいですね」
「ああ、そうだね」
「それにしても、この展望台は見晴らしが良いですね。きれいにキリブが見渡せます」
ルミレラ蒼神官も、ここから見るキリブの町並みを見て、感嘆の声をあげた。
「キリブはいい街だね」
「ええ」
「むかしのことを思い出してしまうよ。冷房装置や
そう言うと、ルミレラ蒼神官は興味深く私に聞いた。
「コウ・サトー博士ですね。聞いて差し支えなければ、聞きたいです。彼は偉大な博士ですから」
「そう。じゃあ、話そうか」
ルミレラ蒼神官が隣に来て、私と肩を並べた。
浄水場の展望台からは、キリブの人々の営みが見える。
今日も、人間たちは力強く生きている。
コウの思い描いた、未来のように。
夏島の空は高く、海は青く、光はさんさんと降り注いでいて。
水はめぐって、生活を潤す。
人々の営みを包みながら。
眼下のそれを見ながら、私はルミレラ蒼神官にコウの話を語ることにした。
夏編 終わり
※明日の更新で完結します
コウ・サトー博士 イラスト