第11談 政治的な目的を持った自殺
文字数 3,675文字
作中で「カミカゼする」とか「女カミカゼ」という表現が使われていて、ぎょっとしましたよ。
自爆テロ犯のことを「カミカゼ」と呼んでいましたね。
「捜査を開始してほどなくわかったことですが、奥さんの遺体の損傷は、原理主義者がカミカゼを決行したときの傷と一致しています」(ヤスミナ・カドラ『テロル』36頁)
気になったので、フランス語で"kamikaze"(カミカゼ)という言葉がどう使われているか、調べてみました。
kamikaze(発音はカミカーズ)
[複数形]kamikazes
「自爆攻撃で自発的に自分の命を犠牲にした人」の意味。
9.11同時多発テロ事件以降、『ル・モンド紙』などの大手メディアが「自爆テロ犯」を指す一般名詞として使うようになり、定着した。形容詞的に「命知らずの、向こう見ずな」とも使われる。
それから、本書の原題は"L'attentat"(ラタンタ) です。
フランス語の"terreur"(テルール)は「恐怖」を意味する言葉です。日本語で使う「テロ攻撃」に当たる言葉が、"attentat"(アタンタ)なのだそうです。
terreur(発音はテルール)「恐怖、恐怖政治」の意味。英語のterror(テラー)と同意語。
用例 la Terreur(フランス革命期の恐怖政治)
terroriste(発音はテロリスト)
「フランス革命期の恐怖政治家、テロリスト」の意味。
attentat(発音はアタンタ)
「攻撃、加害、テロ行為、襲撃」の意味。
用例 attentat-suicide(自爆攻撃)
本書の英訳版の題名も”The Attack”となっている。
現在のフランスでは、自爆テロ関連のニュース報道において、"attentat-suicide"(自爆攻撃)よりは"kamikaze"(カミカゼ)と言う表現を使う方が多いそうですよ。
特攻隊員とイスラム原理主義のテロリストを一緒にするのは理解しがたいけど。
第二次世界大戦中、ドイツ軍はフランス国内のレジスタンをテロリスト扱いしていたそうです。
résistance(発音はレジスタンス)
「抵抗、犯行、妨害」の意味。
用例 la Résistance(第二次世界大戦中のドイツ占領軍に対する抵抗運動)
résistant(発音はレジスタン)
「レジスタンス運動参加者、対独抵抗派」の意味。
抵抗運動がテロとみなされるならば、特攻隊員がテロリストと呼ばれても不思議ではないのかもしれません。
戦勝国となった現代のフランスではレジスタンは英雄ですが、日本は敗戦国であるため、特攻隊員は英雄にはなれずテロリスト扱いのままだとも言えます。
医者の先生は戦争のすぐ隣で暮らしながら、戦争の話などは耳にしたくないとおっしゃる。自分の女房もそんなものには関わるべきではないと考えているわけだ。(中略)だがな、これ以上ないというほどはっきりしている。我々は戦争中だ。(226頁、抵抗運動のリーダーの言葉)
パレスチナの抵抗運動組織のリーダーが「限られた手段を用いて祖国と尊厳を取り戻そうと戦う者」(168頁)だと自らを説明しているように、彼らは戦争をしているのですが、戦力が乏しいため、自爆攻撃までしてしまう。
誰だって戦力がじゅうぶんにあったら、自爆攻撃しないわよね。実際、イスラエル軍はドローン攻撃しているわけだし。
弱者が強者に対抗する手段として、テロを実行するのだと思います。
抵抗のための戦いを「テロ行為」と非難できるのは、強者の立場にあるからです。
テロリズムという言葉は、もともとフランス革命期の恐怖政治を指す言葉だった。その後、植民地時代に民族解放運動が起こると、解放運動側にとっては正当性のある抵抗だったが、宗主国側はこれをテロリズムと非難するようになった。
ある攻撃行為が、見る人の立場によって、違法な「テロ攻撃」になるし、正当な武力闘争にもなるということである。
テロリズムは攻撃対象とする社会に恐怖心(テロル)を与えることに重点を置く。そのため、テロ組織は政治的目的のために、一般市民を標的とする無差別で突発的な攻撃を行う。
自爆テロとは政治的な目的を持った自殺だと思います。
たしかに、アミーンの同僚である医師キムが「シヘムは自殺した」(153頁)のだと言い聞かせる場面がありますね。
「彼らは私の妻を殺したんだぞ」「シヘムはみずから命を絶ったのよ、アミーン」キムはそっと言った。(中略)「シヘムは自分が何をしているのかわかっていたわ。自分で自分の運命を選んだのよ。殺されたというのとは別の話だわ」(153頁)
全く関係のない大勢の人々を巻き込む自殺は「拡大自殺」(murder–suicide)と呼ばれていて、日本でも無差別殺傷事件やビル放火事件などが実際に起こっています。「拡大自殺」には自爆テロも含まれるそうです。
murder–suicide(仏語 meurtre-suicide)「拡大自殺」
自殺と殺人の組み合わせ。自爆攻撃、自殺を促す犯罪行為、殺人を犯した後の自己処罰としての自殺、乗客を巻き込んだ自殺(飛行機内など)、自殺協定など。
抵抗運動の司令らしき若い男が、弾の入った銃をアミーンの手に持たせて、「俺を殺せ」(231頁)と繰り返し命じる場面があります。彼は「武器を手に死にたい」(233頁)、「死が最後の救い」(234頁)とも言っているので、たしかに自爆攻撃は自殺の一種だと言えるかもしれません。
自分の無力を意識したときから、人は真に憎むことを知る。(中略)恥辱よりもひどい災厄などあり得ない。これぞまさに比べるものなき不幸だよ。生きる意欲を奪ってしまう。(中略)夢を拒絶されると、死が最後の救いとなる。シヘムはそのことを理解したのだよ、先生。(233-234頁、抵抗運動の司令の言葉)
自殺を題材とした名作文学と言えば、『アンナ・カレーニナ』があります。
『アンナ・カレーニナ』に読者が涙するのは、説得力あるからです。それと比べると、本書でシヘムが自殺した理由は納得がいかなかったですね。
族長の家がイスラエル軍のブルドーザーで破壊された後、ファテンが自爆攻撃に身を投じることが示唆されていましたが、この流れは説得力があったと思います。
ある晩、ファテンは徒歩で台なしにされた果樹園へ戻った。それまでスカーフをはずしたことなどなかったというのに、髪を背中に垂らしたままの姿だった。そして、瓦礫の前に一晩中立ちすくんでいた。足元には、自分の人生そのものが眠っているのだ。私が迎えに行っても、ファテンは戻ろうとしなかった。うつろな目には一滴の涙もなかった。そのガラスのような目つき、まちがえようもないあの目つきだ。その目つきを私は恐れるようになっていた。翌日、ファテンが行方を絶った。(中略)ウマルの曾孫が、私をそっと呼び出し、そして告げた。「俺がファテンをジャニンまで送っていったよ。どうしてもと頼まれてね。いずれにせよ、こうなったら誰もとめられない。いつだって、そうなんだから」(266-267頁)
生活の基盤を全て奪われてしまったファテンと違い、シヘムは「いい暮らしを謳歌」(242頁)していたので、「死が最後の救い」(234頁)と思えるほど人生に絶望したとは考えにくいです。高級住宅街の邸宅での裕福な暮らしを捨ててまで、どうしてシヘムが自爆攻撃を選んだのか、というのが腑に落ちないわけですね。
作者の気持ちは、登場人物の誰かが代弁しているのでしょうか?
作者はもともと、アルジェリア軍の将校だったわけよね。テロリストの側と言うよりは、むしろ「テロとの戦い」をする側の立場でしょ?
作者は軍人時代、武装イスラム集団(GIA)と戦う任務に就いていたそうです。
なので、イスラム原理主義を標榜するテロリストの考え方には、かなり詳しいと思われます。
抵抗運動のリーダーの台詞の中で、「イスラム原理主義者」と「パレスチナの抵抗運動」は目指すものが全く違うということを、作者は丁寧に説明していますね。
イスラム原理主義者とは聖戦(ジハード)を貫徹する者を指す。(中略)原理主義者とは、インドネシアからモロッコまで広がる盤石な一個のイスラム国家(ウンマ)の誕生と、西洋のイスラムへの改宗か従属、あるいは滅ぼすことを夢見るものだ。だが、我々は原理主義者ではない。我々は略奪され翻弄された民の子どもとして、限られた手段を用いて祖国と尊厳を取り戻そうと戦う者にすぎない。(168頁、抵抗運動のリーダーの言葉)
アミーンも事件が起こった当初は、イスラム原理主義者とパレスチナの抵抗運動を混同していました。
自爆テロ=イスラム原理主義者というイメージはやはり根強いので、読者が誤解しないように、作者はここで説明しているのだと思います。
引用:ヤスミナ・カドラ『テロル』(藤本優子訳、早川書房)より参考:クラウン仏和辞典(三省堂)
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