第11話  直方宿の現状はいかに

文字数 753文字

 長崎街道は、現在の直方市「津田町の信号」から「古町通り」がそうだった。両側に商家が立ち並び、途中に「直方宿構口跡」の石碑があり、宿場入り口を表示。宿場の中程に宮原書店が営業。少し先に向野医院跡がある。その角を右に曲がると筑豊本線の線路沿いに進む。新町を過ぎた所に、東蓮寺藩主館跡があり、公園となっており由緒板がある。
昔、直方宿は、三百メートル位、店が並び繁盛した。それが、衰退したシャター街に変貌している。生き残って現在も営業している店も少しはある。前田茶屋の支店がある。店員に話を聞くと、「二十年前に、他からこの場所へ出店しました。二階建ての立派な古民家の前部を、賃借しています」という。家の後部は大きな白壁造りの古い建物と庭が続く。昔、旅館を営んでいたようで、廃業後、前部分を借家にしている。
道の角に、寂しい感じで「長谷川仏壇店」がある。九十年前にこの地で創業し発展。現在では、博多が本社で手広く商売をされ、百店以上の支店を持つ有名な仏壇店である。
私が子供の頃の半世紀前、父母に連れられ筑豊線の蒸気機関車に乗り、直方市新町にあった祖母の家を正月に訪ねるのが習わしだった。駅から続く立派なアーケード街の両サイドは、飲食、食料品、洋品、家具、百貨店、銀行、医院などあらゆる店が建ち並び、買物客で大賑わいだった。「こんな華やかな通りがあるのだ」と子供心に驚いた事を思い出す。炭鉱で栄え、働く大勢の人々が住み生活していた。
炭坑による賑わいも。石油時代になり廃れていった。無用の長物のアーケード撤去には多額の経費がかさむ。国も中途半端な撤去補助金をだすが功を奏さず。建物は老朽化し、時代の流れに翻弄され、運命を弄ばれた街となった。こんな時こそ、地元の政治家が親身になって、何らかの対処をすべきではないだろうか。
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