第46話 日見宿

文字数 977文字

 日見宿から長崎市内までは4キロと近いが、宿として泊まるところはなく馬継署所として、身支度を整え天領長崎へはいる身支度をしたらしい。大昔の戦乱時代峠で敵がかがり火をたいていたのが見え、火が見えたで日見となづけられたという。
 峠は急こう配で箱根の峠越えと同じくらいきつかったらしい。国道34号線を日見に向かうと、信号に日見とあった。。直進すると国道だが、信号を左に曲がると日見峠のほうらしい。車を左に寄せ、降りてみた。信号の傍に石碑があり日宿場跡と刻んであった。近くのバス停に人が居たので、聞いてみた
 老婆に尋ねると、耳が遠いのでという。中声でここは宿場があったのですか」と聞くと「そうです。この信号から坂を上った所が宿場でした。私の家は向かいの三階建ての家です。そこで江戸時代は農業していました。街道も廃れたため飲食店をはじめ最近まで営業していました。」どうりで愛想良く答えてくれる商売人のおばーちゃんである。大きな声で私が宿場のk所とを聞くので、道路向かいにいた、中年の奥さんが、私に向かって手を振りこっちのお出でという、様子だ。左右に車に注意し、向かいの家の傍に行くと石碑を差し、ここから坂を上った両側が日見宿で昔は店が並んでいた。突き当りの家までがそうです。バスが来たのでと停留所へ去っていった。
 日見宿は住宅になり人気はない。坂を上ると川が横切っていた。表示板に三国橋とかかれ昔の峠越えはこの道だと案内。橋を渡るとkじゅるまカラ降りてくる中年の奥さんがいた聞くと。この宿場の裏の方で育ち、、結婚して今は街道僧に住んでいるという。突き当りまでが宿場であれを右に曲がると峠への道があります」という。
 坂は急であるが突き当りに掲示番があり右長崎方面、下は〇〇と方向の看板がある。本陣や旅籠はなかったようだ。ここで身支度を整え、4キロほど先の長崎奉行所のほうへ向かったのだろう。人の足で山を越えるにはかなりきつそうな山の勾配だった。
 車まで引き返し、国道を長崎方面へ走った。日見峠のしたはトンネルが掘られ車で快適に走れた。山を下ると市内になり長崎市内が一望できるようだ。路面電車が緩い坂道を走っているようだ。長崎の町は歴史があり風情をみせていた。ここが小倉宿からの終点になるのだ。
江戸時代の唯一文明の外国と出入りできた所だ。シーボルトの記念館へと向かった
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