(7)10月26日(土)19時
文字数 6,693文字
会場の前方に設置されたスロープ付ステージに大型モニターが設置され、車いすバスケットボール試合のダイジェスト版が映し出されている。テレビ局や新聞社の報道陣も来ているが、地元のイベントとしては珍しい。
車椅子の選手達が壇上にあがると、司会者が登壇してセレモニーが始まった。
厚生衛生大臣の中山篤成がサプライズで登場すると取材陣は色めきだった。中山は東都医科大学創設者一族で、医師から大臣となった民友党の政治家だ。参加者を無視した長い挨拶が終わると、選手を一人ずつ紹介しながら激励した。
「目立ちすぎですよ、あの大臣」
ステージ前に用意された来賓客席に座っていた初音は、大臣のパフォーマンスを眺めながら呟いた。横に座っているピッチリ七三が、人差し指を自分の口に当てて「静かに」のサインを出す。ちょうど、ピュアマーケットが「フェニックスウルトラ」のスポンサーに加わると紹介されたところだった。
初音はスタッフの誘導で壇上にあがると、来月から始まる関東チャンピョンカップへの激励を手短に述べて代表選手と握手を交わした。取材対応が始まったが、質疑応答は広報にまかせて初音は静かに席を立った。選手よりも目立っているのは厚生衛生大臣だった。
※
「フェニックスウルトラ」メンバーとの交流会が始まった。
選手達のサポートをしていた希空は、他の職員よりも一足早く解放されて会場に入ったが、クラノスケはどこかへ行ってしまったようで姿が見えなかった。
目の前に、海老とヒラタケのアヒージョが湯気をたてていた。その隣には、旬のサラダにパエリアやピザ、タンドリーチキン、ローストビーフ、ハロウィンにちなんだ料理などが色彩よく入ったビュッフェサーバーが並んでいる。デザートもガトーショコラを始め、豆腐を使ったチーズケーキやカボチャケーキ、おからを使ったガレットやフルーツゼリーなど、罪悪感なく食べられそうなものが揃っている。
よし、このスキに食べてやる。
希空がビュッフェプレートに手を伸ばしたときだった。
「ノアっち!」
誰かが背中に飛びついた。「連絡もくれないなんて、ホント冷たいな」
声の主が希空の顔を覗き込んだ。
「サエ先輩」
「久しぶり!元気だった?」
大学の先輩だった加藤紗英が、希空の肩を両手で掴んで軽く揺さ振った。
ベージュのカフェエプロンを付けている紗英は四十代を迎え、学生時代の可愛らしさから大人可愛さへレベルアップしている。
「はい、忙しくしてました」希空は咄嗟に出た言葉を返事に変えた。
「あー、天草のジジイにコキつかわれてたのね」
紗英も夫と同じで、聖ガブリエル病院の天草院長のことを「ジジイ」と呼ぶ。当時、天草教授は東都医科大の臨床医学を教えており、医療栄養学を専攻していた紗英も授業を受けていた。
「いえ、充実してました。あ、今もですけど」
気を使いながら希空が答える。
「わかる。顔色いいもん」
「え、そうですか?」と無意識に笑った相手を見て、紗英が頷きながら微笑んだ。
希空は首を傾げたが、紗英は首を横に振ると横にいた選手達に「さあ、どうぞ。体によくておいしいものをご用意してます」と声を掛けた。
ホテル側は車いす用トレイホルダーを用意しており、料理も取りやすい位置に配置されていた。スタッフが随所にいてサービス体制を万全にしている。
「ミッションコンプリート、ダロ?」
紗英の肩をポンと叩いて、加藤が現れた。
「おそーい、1ケ月前から頼んでたのに」仏頂面を作った妻に、夫は「いや、忙しそうだったから。な、マキノア?」と同意を求めるように希空に視線を移した。
「はい。引越しとかでバタバタしてて」
「で、ワインは?」 話を合わせてくれた希空を見ながら、カトダロが紗英に聞く。
「え?ないよ。今日は『スポーツ栄養メニュー』がテーマだもん」
「マジか?!ワイン用意しとく、ってマキノアに言ったのに」
再びカトダロから困った表情を向けられた希空は、「気にしないでください。車で来たし」と言うしかない。
「ノアっち、自信作の甘酒カクテルを試してみて。ノンアルコールだから運転OK!」
紗英は親指と人差し指を合わせたサインを作り、「ワインは今度ウチに来たときにね。いいワイン、仕入れとくから」とウィンクした。
「それ、イイね!」夫が親指を立てて賛成した。
「じゃあ、オレもいいですか?」
三人が振り向くと、プレス腕章をつけたJSBC(ジャパンサテライト放送)の岡田がいた。
「なんだ、オマエか」
加藤が故意に目を細めて軽く息を吐きだした。
「『オマエ』、はひどいなあ。教授」
「でも、『追試王』って呼ばれるのはイヤだった、ダロ?」
「それはそうですけど、国試は一発でしたよ」誇らしげに言う岡田に、カトダロ教授が
「1年余計に通ってたから、ダロ?」と瞬殺した。「追試王」は医師国家試験はストレート合格したものの、1年次に生化学の単位を落として留年している。
「そして前期研修でいなくなった、ダロ?」
反論できない岡田は肩を落とすマネをした。だが、この手のやりとりは研修医時代から慣れている。
「父親の願いを叶えなかった、ワタシと同類のオカダ」
紗英が腕組みして夫に同調した。
希空と永瀬は突っ立ったままだ。恐れ多くて会話に入れない。
「別の才能を活かしたと言ってほしいです。筒井先輩」岡田が苦笑いする。
筒井は紗英の旧姓だ。父は現東都医科大学長の筒井優である。学長ポストは代々創設者一族のものだったが、筒井教授が創設者一族以外で初めてとなる。その一人娘が紗英であり、学生時代、三学年上だった加藤が夫である。
「なんで、オカダが来るの?JSBCは人材不足?」
紗英が見下すように言ったものの、こらえきれずに笑い出した。
「冗談キツイですよ、先輩。予定だった社員が風邪で休んじゃって」
「で、上司が来たのか」
夫も加わって岡田の勝ち目はなくなり、咳払いと苦笑いを同時にした。
「センパイ、キズどうですか?体調は?」
後輩の希空が、何とか話題を変えようと声を掛けた。 先日、自転車で転倒してセンターに運びこまれたJSBCディレクターは、
「優しいのは、ノアっちだけだよ。まだ痛いけど、名医のおかげで支障なく仕事ができてる」と、涙を払うマネをした。
「気をつけろよ、鍛えてないと身体能力も落ちてくるからな」
加藤が言うと、岡田が切り返した。
「それより今度、教授の単独取材お願いしますよ」
カトダロ教授は視線を逸らした。「それは事務局に言えよ」
「だって、断られますもん」
「オレにだって権限ないし。でも、オマエがココで働くなら協力するよ。ポジション、いくらでもあるからさ」
「それはムリです」今度は岡田が視線を外した。
「ちょっと仕事のハナシ、やめてくれる?それがそうとオカダ、サキは元気?」
紗英が遮った。
サエ・サキコンビは大学時代、バンドも組んでいて男子学生達の憧れの存在だった。
「サキちゃんは、カナダの学会に...」
「岡田総合病院はサキでもってるからね。じゃあ、帰ったら連絡するように言っといてよ」
実家の経営に携わっている佐希に、頭があがらない岡田はコクコク頷いた。
希空は、そっと彼等から離れた。残念だが、この局面を打開するのはムリだ。それに、いつまでたっても食事にありつけない。
※
やっと、食べられる。
だが、エビカツバーガーに手を伸ばした希空の背後で声がした。
「やっと、解放されました!」
振り返るとスラレジ永瀬が手を振っていた。彼の後ろでポッチャリ前川が額の汗をタオルハンカチで何度も拭いている。機材の搬出が終わったようだ。
自分だけ先に終わって申し訳ないと希空が謝ると、「とんでもない。さあ、いただきましょうよ」ポッチャリ准教授がニコニコしてプレートを手に取り、ローストビーフとマッシュドポテトを豪快に載せた。
「お、海老カツじゃないですか!」荷物運搬要員で声がかかったシフト明けのスラレジが、希空の横に来て言った。
「眠くない?」
「昨日は仮眠がしっかりできたので」と、スラレジは希空の皿にバーガーを載せた。
「椎名先生も来たがってましたよ。先生はラッキーです」准教授は滑らかなポテトが大盛りにされたスプーンを口に運びながら言い、専攻医は自分の皿に海老カツバーガーを取りながら大きく頷いた。
「俺、シフト代われって言われました。でも、来てよかったです」
「代わってあげたのに」希空が言うと、スラレジは首を横に振った。
「ダメです、教授のご指名ですから。ね、前川先生?」
彼が同意を期待した返事はなかった。ポッチャリ准教授は反対通路側のビュッフェで、マナー違反など気にする様子もなく、料理で山盛りの皿を嬉しそうに持っていた。
「いないと思ったら!」
バーガーを頬張っていた希空と永瀬が振り返ると、紗英が腰に手を当てて立っていた。
「サイコーです、コレ」
気まずさを隠すために希空は、左手に持っていたバーガーに右手人差し指を向けた。
「うん、おいしいでしょ?」
紗英は絶妙な間を置いて、「当然じゃん!」と自分でツッコミを入れた。一人漫才をしているカフェエプロンの女性を、目を丸くして見ていた青年専攻医はハタと気づいた。
「こちら、教授の?」
希空が首を縦に振ると、彼は海老カツを慌てて飲み込んだ。
「は、初めまして。な、な、永瀬です」
むせて咳をしながら挨拶すると、希空がビュッフェテーブルにあるミネラルウォーターを差し出した。
「ヤダ、緊張しないで」紗英は顔の前で手を左右に振ったが、水を飲んで息を深く吐いたスラレジは続けた。
「でも、教授に大変お世話になってますし」
「ワタシは教授じゃないから。食堂のオバチャンみたいな感じでヨロシク!」紗英はエプロンを広げて見せて言った。
「オマエら、オレ達より先に食ってるのか」
紗英の後ろから夫が顔を出した。
「きょ、教授、すみません。ハラ、ペコパだったんで」
「教授、永瀬先生はシフト明けなんですよ」食事くらい、と希空が真顔で言うと、
「おお、悪かった。でも、誰も食べるなとは言ってない、ダロ?」教え子の正論に加藤が謝る。 スラレジが慌てて希空を止めるが、本人は「ホントのことだから」と動じない。紗英が声をあげて笑った。
「さすがのカトダロも、ノアッちには叶わないね」
苦笑した夫の袖を、妻がそっとひっぱって囁いた。
「私達みたいじゃない?学生だった頃の」
ジーンズの希空と永瀬は周りのスーツの職員達から浮いている。
夫婦は顔を見合わせてにっこりしたが、エビカツバーガーを手にしている二人は彼等の会話が理解できずに顔を見合わせた。
「やっと終わったわ」
初音がホッとした様子で現れた。彼女の後ろに控えている一ノ瀬は、額の汗を拭うマネをした。
「会長、お疲れさまでした」加藤が労うと、紗英がエプロンのポケットにソワソワと手を突っ込んで言った。
「叔母さま、今日はパパも会いたがってたんですけど急用で...」
「中山さんと会いたくなかったのね」
ピュアマーケット会長の発言に人差し指を立てた一ノ瀬が付け加えた。
「大臣は終始ご機嫌で帰られました。記者さん達も帰りましたよ」
「オカダも帰った?」紗英が聞く。
「槇原先生、今のうちに食べちゃいましょ」
会話を不思議そうに聞いていた希空の腕をスラレジが引っ張った。
「誠さんの教え子さんかい?」
岡田のアピールを初音は覚えていたようだ。
「これから会議があるからって帰られましたよ」
会長の代わりに、一ノ瀬が顔の高さに上げた人差し指を2回振りながら答えた。
「こんな時間なのに大変ね」
うすっぺらい同情を示した紗英は、岡田が「好きで今の仕事をやっている」のを知っている。
「会長、ご挨拶させてください」
車椅子の選手が爽やかな笑顔を見せて近寄ってきた。チームの人気選手、橘祐良だ。
「スポンサーになってくださって、ありがとうございます」
「応援してます。がんばって下さいね」
初音が笑顔で握手すると、背後で声がした。
「会長、お忙しいのにすみません」
スーツの男性が近づいて、車椅子の手押しハンドルに触れた。
「ワタシも挨拶したかったんですよ。スター選手さんにね」
初音に目を合わされた祐良が、照れながら頭を軽く下げた。男性も会長に感謝の言葉を述べて、「ユラ、探したよ」と車椅子の青年を覗きこんだ。
遠目で見ていた希空が、VIPルームにいた(お団子ヘアの言葉を借りると)「ガミガミばあさん」とは大違いだと思っていると、甘酒カクテルを差し出したスラレジが言った。
「あっちに行きましょうよ。落ち着いて食べれそうだし」
確かにそうだ。向かいのコーナーいるポッチャリ前川はグルメに夢中だ。
「うん、行こう」ジーンズ組が彼等達に背を向けたとき、「おい、ノアっち」と加藤教授が呼び止めた。
わずかに肩を落とした希空の横で、「またか、と思ってるんダロ?」と言うのが聞こえた。さすが、元指導医は元教え子を見透かしている。
「すぐに終わるから。橘先生は初めて、ダロ?」
カトダロ教授はスーツの男性を神経外科の教授だと紹介した。「橘です」と会釈した男性に、希空は見覚えがあった。着任前に呼び出された日、救急搬送された患者の治療参加を拒否した医師だ。ほんの少しわだかまりを覚えたが、「槇原です。よろしくお願いします」と言うにとどめた。
「ガブリエルから来られたんですよね。加藤教授の教え子とか」
感情の伴わない笑みを橘が浮かべた。
「おお、教えがいのあった教え子だ、ダロ?」
加藤からリアクションを求められた希空は、「あ、はい。恐縮です」と無難に答えた。橘は頷いて「これから、よろしくお願いします」と言うと、車椅子の青年に視線を移した。
「ユラ、行こうか。みんな、オマエのこと待ってるから」
祐良選手が微笑んで会釈した。橘は表情を変えず「では」と頭を下げ、車椅子を押して選手達のグループへと向かって行った。
「誠さん、そろそろ失礼するわね」
紗英と話していた初音が加藤に声をかけた。
「叔母様、今日はありがとうございました。そこまでお送りします」
夫が妻の肩を軽く叩いて言った。
「槇原先生、また会いましょう」
初音が希空に挨拶すると、ピッチリ七三が親指を立てた。本当に変わった秘書である。
「はい、会長」
希空が頭を深く下げると、スラレジもつられて頭を下げた。
紗英が夫に目配せした。
「私も一緒に。シェフにも挨拶したいし。さっき、見かけたんだけどなあ」
彼等を見送ったジーンズ組の二人は、深い息を同時に吐くと同時にビュッフェに向き直った。
スラレジがカップケーキを希空に渡しながら言った。
「清水会長、筒井学長のお姉さんらしいですよ」
「学長の?でも、苗字が」
「清水会長が本家を継いで、学長は分家の養子に出されたので違うんですって」
ダイエットは明日からにしようと、希空は渡されたカップケーキに口をつけた。
「じゃあ、知ってます?」と、スラレジは小声になった。
「さっきの車椅子の選手、橘先生の弟さんなんですって」
「身内だってことでしょ」それは、やりとりを見てたらわかることだ。
「祐良選手はプロバスケットチームに所属してたらしいんですけど、交通事故で車いすバスケットに転向したそうです」
スラレジ永瀬は付け加えることを忘れなかった。
「椎名先生の情報ですけどね」
※
「これって、どうやって作るのかな?」
完全アウエイ状態のクラノスケは、出口付近のコーナーにあるハロウィン仕様のカップケーキを眺めていた。
クリームはカボチャを使ってオレンジ色を出しているみたいだ。グルテンフリーとアレルギー表示カードに書いているということは、スポンジは米粉を使っているのか。ノアさん、気に入るかな?最近、体重のことを気にしてるようだけど、もう少し太ったほうがいいと思うな。
「あ、シェフ!」
初音達を見送って会場に戻ってきた紗英が急に声を発した。横にいた夫が「どこに?」と不思議そうな顔をする。サーブスタッフはいるが、あたりにシェフらしき人物はいない。紗英は額をパチンと叩いてハハハと笑った。
「に、挨拶するの忘れてた」
クラノスケは呼ばれた気がして振り返ったが、そんなはずはないと首を振った。
カフェエプロンの女性と目が合ったことを。
(ログインが必要です)