猫の惑星のぴゃーさん 下

文字数 3,842文字

   7
「ところでぼく、地球に…、ぼくのいた十万年前の地球に、戻れるのかな?」
「あなたが十万年前の地球に戻る方法は、きっとあると思うの。それはきっと、新月の日」
「新月?」
「あなたの話によると、あなたがこの世界へ来たのも、きっと新月の日だったのよ」
「そうか。ぼくがここへ来て何日か過ぎて、保健所のおりの窓から三日月が見えたんだった」
「そうよ。だからあなたがこの世界に来たのは、きっとこの前の新月の日」
「でもどうして新月の日?」
「それは私の勘。でも根拠があるの。新月の日、つまり太陽と月とサファイア星…、地球のことね。それが一直線になったとき、この三つの星の間で不思議な力が働くの」
「不思議な力?」
「そうよ。それはこの猫の惑星で、古くから信じられている言い伝えなの」
「言い伝え?」
「そう!」
「じゃ、この次の新月の日に、ぼく、帰れる?」
「きっとそうよ。私、そう信じてる」
「信じてる?」
「そう。そして私が思うに、きっとあなたがたどり着いたあの路地は、十万年前の地球の、あなたのお家の近くの公園と、時空のトンネルで繋がっていると思うの。そして新月の日にその入り口が開くのじゃないかって…」
「そんなことがあり得るの」
「そう。きっとそうよ」
「それじゃぼくは、新月の日にあの路地へ行けばいいの?」
「多分そうね」
「じゃ、次の新月の日に、あのゴミ箱がひっくり返って、類人猿、いや、エイプたちが餌をあさっていた、あの路地に行けばいいんだね」
「きっとそうよ。だからそれまであと一ヶ月近くあるわ」
「一ヶ月かぁ」
「それまで、この猫の惑星を楽しんだらいいわ」

 それからぼくは、ぴゃーさんと一緒にこの猫の惑星の、いろんな所を見学した。
ぴゃーさんは猫車で、ぼくをいろんな所へ連れて行ってくれたんだ。
 ところでぼくはこの惑星では「飼いエイプ」ということになっている。だからぼくが街に出るときは、首輪を付けられ、リードも付けられた。
「コウジ君、ごめんね。こんな変なもの付けさせちゃって」
「いいよいいよ。ぼく『飼いエイプ』だろう?」
そしてこの街のいろんな所を、ぴゃーさんと一緒に見て回った。
「ペット同伴可」という店も多かったので、そこならぼくも一緒に入ることが出来た。
 例のネズミの店にも行った。試食コーナーではネズミの干物もあった。ぴゃーさんは「おいしそうね」と言って食べていたけど、ぼくは遠慮した。
 洋服屋さんにはペットのエイプ用の服もあった。
赤くてかわいい縞模様の、いかにも「えてこう」という感じの服で、ぴゃーさんは何故かそれをいたく気に入り、ぼくに買ってくれ、さっそく店で着替えた。
この服を着れば、みんなぼくのことを「ペットのエイプ」と思うみたいで、ぴゃーさんがぼくを連れて歩くにのは都合がいいみたいだった。
それから魚屋さんに寄り、ぴゃーさんは夕食用に魚を買った。
 そしてぼくらはレストランに入った。
 店の入り口でぴゃーさんがぼくのことを「介助エイプ」だと言って、そしてぴゃーさんは体が不自由なふりをして、それでぼくも、レストランに入れてもらえたんだ。
 だけど、ぴゃーさんは本当に少し体が不自由だった。
 一緒に魚料理を食べながら、(味は猫好みだったけれど、ぼくにもまあまあだった)ぴゃーさんがどうして体が不自由なのかを、ぼくに教えてくれた。

   8
「私が十万年前の人類の地層を調べていたとき、放射性物質のプルトニウムを大量に吸い込んだって言ったでしょう。それは何年も前のことだったのだけど、そのときの影響で、私、肺癌になったの」
「え!」
「だからあまり動くと息が苦しくなるの。だからコウジ君をあちこち、それこそいっぱいいっぱい連れて行ってあげたいけれど、猫の街見学はこのくらいで勘弁してね」
「勘弁だなんて、ぼくはぴゃーさんに感謝しているよ。ぴゃーさんはぼくの命の恩人、じゃなかった、『恩猫』なんだから。もしぴゃーさんが来てくれなかったらぼく、あの保健所で殺処分されていたんだからね。でも、プルトニウムで肺癌?」
「そうよ。だから私、もうあまり長く生きられないの。息切れがするし、体中に転移しているから、あちこち痛いし」
「そうだったんだ。それなのに保健所でぼくを引き取ってくれて…」
「でも大丈夫。あなたはきっと十万年前の地球に戻れるし、万一私の身に何かあったら、私が飼っているエイプたちだって、引き取ってもらえるところも、だいたい決まったの」
「だけどぴゃーさんは、病気で大変なんでしょう?」
「病気のことは仕方がないわ。でもね。私、コウジ君に出会えて、本当に良かった。あの人類の地層を見付けて、この猫の世界では誰も知らない、人類のことを知って、そして人類であるあなたに出逢えて」
「ぼくに?」
「あの地層は放射能で満ちているから、あと数十万年は掘ってはいけないの。だから私はあの地層を埋め戻し、そのことは誰にも教えないことにしたって言ったでしょ。多分私以外のどの猫も、そのことは知らないの。私だけが知っている秘密なの」
「秘密?」
「そうよ。秘密。だけど私が見つけたいろんなことの証があるの」
「証?」
「そう。それがあなたなのよ」
「ぼく?」
「そうよ。あなたよ。だから私の研究は決して無駄ではなかったの。だからコウジ君、あなたに出逢えて、私、本当にうれしいの」

   9
 それから夢のような一ヶ月が過ぎた。
 ぴゃーさんは少しきつそうだったけれど、食事を作り、みんなの世話をしてくれた。
 ぼくはぴゃーさんが大変だろうと思って、料理や皿洗いや掃除なんかも手伝った。
 そしてぼくは、ぴゃーさんが飼っているエイプたちともすっかり仲良しになった。
 この猫の世界で、「害獣」と見なされ、殺処分されている野良エイプたち。
 だけど彼らだって優しい心を持った仔は沢山いる。
 知性を失って、言葉も失ってしまった、ぼくら人類の末裔。
 ぼくに出来ることは、彼ら「エイプ」が、この猫の惑星で幸せに生き延びてくれることを願うだけだ。

 それから次の新月の日、ぼくはぴゃーさんの猫車で、ぼくがこの猫の惑星で最初に着いた、あの路地へと向かった。
 相変わらず、エイプたちがゴミ箱をあさっていた。
(ぼくら人類の末裔。しっかりしろよ!)
 ぼくはそう思った。

 それからしばらくして、ゴミ箱近くの建物の壁に小さな黒い穴が見え始めるのが分かった。そしてそれは少しずつ大きくなっていった。
 ぼくはすぐにそれが時空を繋ぐトンネルの入り口だと分かった。
 あの、お父さんのウォーキングに付き合っていたとき、カシの木の根元に見えた、あの黒い穴にそっくりだったんだ。
 それからぼくはぴゃーさんを見た。

「ぼく、この穴に入らないといけない。ぼく、十万年前の地球に帰るんだ。だから、ぴゃーさん。さよなら。それに、本当に、ありがとう!」
「お礼を言いたいのは私のほうよ。あなたに逢えて良かった」
「ぼくもだよ。それにぼく、ぴゃーさんのこと、一生忘れないよ」
「私も一生忘れない」
「ぴゃーさんはぼくの命の恩人、いや、恩猫だよ」
「コウジ君、あなたは私の研究の生き証人よ」
「ぼくが…、ぴゃーさんの生き証人? それは光栄だね」
「だからコウジ君、ほんとうにありがとう」
「ぼくだって、ぴゃーさんのおかげで生き延びられたし、だから、ほんとうにありがとう」
「それじゃ、コウジ君、元気でね」
「うん。ぴゃーさんもお元気で。体に気をつけて、それに、きっと、きっと、長生きするんだよ。お願いだから、ずっと生きるんだよ!」
「分かったわ。私、頑張って生きてみる!」
「それじゃ…」
「うん」

 それからぼくは、その黒い穴の中に入った。
 そしてぼくは、この猫の惑星に来たときと同じように、真っ暗な宇宙のような空間の中に浮いていた。
 それと同時に、ぼくは物凄い勢いで不思議なトンネルの中を移動しているような感覚にも襲われた。
 
 そのトンネルの中で、ぼくはいろんなことを考えた。
 病気で苦しむぴゃーさんのことを思うと、とても切なかった。
 人類が残した放射能で病気になるなんて…
 だからぴゃーさんには、ずっとずっと生きていてほしかった。
 それからぼくは人類のことを考えた。
 核戦争か何かで絶滅する人類のこと。
 わずかに生き残った人類の末裔…エイプのこと。
 文明を失い、言葉を失い、情けない姿をさらす彼らのことが、とても情けなかった。
 文明を失い、言葉を失っても、それでも争うことはやめない。
 いじめることもやめない。
 そんな人類、そして彼らの末裔のことが情けなかった。

 そしてぼくは大人になったら、人類の滅亡を止めなければいけないと思った。
 だけどもしそうしたら、ぴゃーさんたちの素敵な猫の世界はどうなるのだろう?
 消えてしまうのかな? でも、それはいやだ!
 だったらぼくはどうすればいいの?
 どうすればいいの…
 だけどぼくには分からない。
 ぼくはどうしたらいいのだろう…
 
 そしてしばらくすると、どしゃんと背中からどこかに落ちた感覚があり、気が付くとぼくはカシの木の根元にいた。
 それから、そこにいたクワガタを捕まえると、公園の散歩道を見た。
 すると、ずいぶん遠くにウォーキング中のお父さんが見えた。
 それでぼくは、走ってお父さんを追いかけた。
 追いついたら、ぼくはお父さんに言った。
「お父さん、お父さん、お父さーん。ほら、あそこのカシの木にクワガタがいたよ。それとね。ぼく、たった今まで、十万年後の猫の惑星にいたんだよ。それでね…」

猫の惑星 完
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