発作2
文字数 2,803文字
救急外来で彼は「心停止」「呼吸停止」の状態だったが、やはり血色が良かった。
そこで担当医は彼の人差指に血中酸素飽和度測定器を付け、飽和度が正常であることを確認すると、点滴のルートを取ってブドウ糖をゆっくりと流しながら外来のベッドに休ませた。
ブドウ糖を投与するのは彼が前回の発作後、低血糖になっていたからで、その予防のためだ。
ところが彼は五時間を過ぎても元には戻らなかった。
心配になった担当医は彼の心臓の動きを見るため、再び超音波装置で彼の心臓の動きを観察することにした。
ところが今回、彼の心臓は本当に完全に止まっていたかに思えた。しかし担当医が腕時計を見ながら忍耐強く、それこそ根性で忍耐強く、そして注意深く注意深く観察ていると、物凄く、それはもう物凄くゆっくりではあったけれど、彼の心臓は確かに少しずつ動いていた。
ただしその周期は16分、つまり960秒だった。
(つまり彼の体の中では、時の流れが960分の一の速さになっているのではないか…)
例によって担当医は荒唐無稽に考えた。
(そして多分、今度も彼にとっては発作の持続が3分だとしたら…3分×960=28800分=48時間=二日だ!)
担当医の荒唐無稽な考えは正しかった。確かに彼はそれから二日後、元に戻った。
それからまた一年後の2015年の9月。
彼が二十七歳のとき、またしても発作が起こった。今度の発作は、持続時間が周囲の者にとって約20日間だった。
そのまた一年後の2016年の10月。彼が二十八歳のとき、また発作が起こった。今度の発作は、持続時間が何と、約200だった。
だから彼の発作が治まったのは翌年2017年の5月だった。彼は暦の上では一歳年を取り二十九歳になっていた。
いずれにしても30分、5時間、2日、20日、200日…というように、彼の発作はおおむね十倍ずつ長くなっていったということになる。
しかしそれからちょうど一年後の2018年の五月。暦の上で彼が三十歳のとき、彼の発作は起こらなかった。
それからも彼は定期的に担当医の病院を訪れていたのだが、数か月様子を見ても、やはり発作は起こらなかった。
それで彼も彼の妻も、もちろん担当医も安堵した。そしてこのままずっと発作が起こらなければと願った。
それにもしその次の発作が起こると、その持続時間はさらに十倍の2000日。つまり5年余りになるということが予測されたからだ。
だからこのまま発作が起こらないに越したことはないと、皆は願っていた。
しかし前回の発作が治まって3年後の2020年5月。彼が三十二歳のとき、またしても発作が起こってしまった。
もちろん彼は再び救急車で入院した。
「何とか彼の病気の原因を見つけてください。お願いします。このままでは彼は、浦島太郎になってしまいます」
彼の妻の悲痛な叫びを聞くまでもなく、担当医は必死で彼の病気の原因を調べていた。
しかし今回も「動かなくなった」彼は、どの検査でも全く「正常」だった。
ただ彼の中で時間だけが途方もなくゆっくりと過ぎているだけだった。もちろん担当医はゆっくりと時を過ごすことなく、それからも必死で彼の発作の原因を調べ続けた。
そんなある日、担当医が彼の病歴を見返しているとき、手掛かりとなりそうな、あることを見付けた。
それは九年前の2011年の九月。彼が二十三歳のときのことだ。
彼は頭痛めまいなどを訴え、担当医のいる病院を受診していたのだ。
そして検査の結果、脳の中の松果体という部分に発生した「松果体腫瘍」と診断されていた。
幸いこれは小さな腫瘍だった上に放射線治療が大変有効な性質のものだったので、その放射線治療が良く効き腫瘍は完治し、彼は二ヵ月程で退院し、その後再発もなく経過は順調だった。
そしてその病歴を見た担当医は、これが彼の発作の原因究明の手掛かりになるかも知れないと考え始めていた。
そこで担当医は入院中の彼の脳の松果体について調べることにし、CTやMRI検査を行った。しかし腫瘍再発の所見は全くなく、松果体腫瘍は「完治」しているようだった。
それから四年後の二〇二四年。担当医の病院には最新のMRI装置が導入された。
これは「MR顕微鏡」という最新の機能を備えていた。
生体の内部を、生きたままの状態で観察できる「顕微鏡」だったのだ。
そしてその倍率は最高で三〇〇〇倍に達した。
そこで担当医は五年間の「昏睡状態」の彼を、早速このMR顕微鏡で調べることにした。
もちろん調べるといっても全身をくまなく調べていては、途方もない時間がかかってしまう。 だから担当医は彼の松果体にこだわった。
理由は二つ。まず彼が以前、松果体腫瘍を患っていたこと。もう一つは、脳内のこの松果体という臓器は、人間の「体内時計」に関係すると考えられていたことだ。
担
担当医は彼の松果体に何か異変が起こり、彼の体内時計に異常をきたしていることが病気の原因ではないかと考えていたのである。
数日後、彼の松果体は3000倍に拡大され、MRIのモニターに写し出されていた。
そのモニターの画面を見た担当医は驚いた。
彼の松果体には多数の「束鞭毛菌」と思われる構造物が認められたのだ。
束鞭毛菌とは細菌の一種で、形は薬のカプセルのようで、モニターに写されたその菌体の大きさは、長さ3ミクロン、幅1ミクロン程度だった。(1ミクロンは1000分の一ミリ)
そして「鞭毛」というのは細い紐のような構造物で、細菌の運動器官と考えられている。
これが菌体の一方の端に数本生えていたのだ。そして担当医は、これこそが彼の病気の原因だろうと確信した。
それから担当医は「ステレオタクティックバイオプシー」という技術で、彼の松果体から極少量のサンプルを採取し、細菌の検査に提出した。同時に、この菌に感受性の有りそうな数種類の抗生物質も投与した。
しかし薬の効果は全くなかった。依然として彼は「眠った」ままだったのだ。
細菌の検査を行った検査部の人の説明でも、
「この細菌の培養を試みたのですが、どの培地でも菌は全く増殖しませんでした。また顕微鏡で見ると束鞭毛菌の形はしてはいるのですが、ただ黒い影のように見えるだけなんです」
その後、もちろんそのサンプルは電子顕微鏡でも調べられた。しかし病院の電子顕微鏡室の人の話でも、
「確かに束鞭毛菌のような形はしてはいるのですが、どちらかというと数本のコードがついた『カプセル状の機械』のように見えるんですよ。何というか人工的な…」
(なんじゃそれは!)
担当医は困惑した。そして彼の病気の原因究明は、暗礁に乗り上げてしまったのだ。
そこで担当医は彼の人差指に血中酸素飽和度測定器を付け、飽和度が正常であることを確認すると、点滴のルートを取ってブドウ糖をゆっくりと流しながら外来のベッドに休ませた。
ブドウ糖を投与するのは彼が前回の発作後、低血糖になっていたからで、その予防のためだ。
ところが彼は五時間を過ぎても元には戻らなかった。
心配になった担当医は彼の心臓の動きを見るため、再び超音波装置で彼の心臓の動きを観察することにした。
ところが今回、彼の心臓は本当に完全に止まっていたかに思えた。しかし担当医が腕時計を見ながら忍耐強く、それこそ根性で忍耐強く、そして注意深く注意深く観察ていると、物凄く、それはもう物凄くゆっくりではあったけれど、彼の心臓は確かに少しずつ動いていた。
ただしその周期は16分、つまり960秒だった。
(つまり彼の体の中では、時の流れが960分の一の速さになっているのではないか…)
例によって担当医は荒唐無稽に考えた。
(そして多分、今度も彼にとっては発作の持続が3分だとしたら…3分×960=28800分=48時間=二日だ!)
担当医の荒唐無稽な考えは正しかった。確かに彼はそれから二日後、元に戻った。
それからまた一年後の2015年の9月。
彼が二十七歳のとき、またしても発作が起こった。今度の発作は、持続時間が周囲の者にとって約20日間だった。
そのまた一年後の2016年の10月。彼が二十八歳のとき、また発作が起こった。今度の発作は、持続時間が何と、約200だった。
だから彼の発作が治まったのは翌年2017年の5月だった。彼は暦の上では一歳年を取り二十九歳になっていた。
いずれにしても30分、5時間、2日、20日、200日…というように、彼の発作はおおむね十倍ずつ長くなっていったということになる。
しかしそれからちょうど一年後の2018年の五月。暦の上で彼が三十歳のとき、彼の発作は起こらなかった。
それからも彼は定期的に担当医の病院を訪れていたのだが、数か月様子を見ても、やはり発作は起こらなかった。
それで彼も彼の妻も、もちろん担当医も安堵した。そしてこのままずっと発作が起こらなければと願った。
それにもしその次の発作が起こると、その持続時間はさらに十倍の2000日。つまり5年余りになるということが予測されたからだ。
だからこのまま発作が起こらないに越したことはないと、皆は願っていた。
しかし前回の発作が治まって3年後の2020年5月。彼が三十二歳のとき、またしても発作が起こってしまった。
もちろん彼は再び救急車で入院した。
「何とか彼の病気の原因を見つけてください。お願いします。このままでは彼は、浦島太郎になってしまいます」
彼の妻の悲痛な叫びを聞くまでもなく、担当医は必死で彼の病気の原因を調べていた。
しかし今回も「動かなくなった」彼は、どの検査でも全く「正常」だった。
ただ彼の中で時間だけが途方もなくゆっくりと過ぎているだけだった。もちろん担当医はゆっくりと時を過ごすことなく、それからも必死で彼の発作の原因を調べ続けた。
そんなある日、担当医が彼の病歴を見返しているとき、手掛かりとなりそうな、あることを見付けた。
それは九年前の2011年の九月。彼が二十三歳のときのことだ。
彼は頭痛めまいなどを訴え、担当医のいる病院を受診していたのだ。
そして検査の結果、脳の中の松果体という部分に発生した「松果体腫瘍」と診断されていた。
幸いこれは小さな腫瘍だった上に放射線治療が大変有効な性質のものだったので、その放射線治療が良く効き腫瘍は完治し、彼は二ヵ月程で退院し、その後再発もなく経過は順調だった。
そしてその病歴を見た担当医は、これが彼の発作の原因究明の手掛かりになるかも知れないと考え始めていた。
そこで担当医は入院中の彼の脳の松果体について調べることにし、CTやMRI検査を行った。しかし腫瘍再発の所見は全くなく、松果体腫瘍は「完治」しているようだった。
それから四年後の二〇二四年。担当医の病院には最新のMRI装置が導入された。
これは「MR顕微鏡」という最新の機能を備えていた。
生体の内部を、生きたままの状態で観察できる「顕微鏡」だったのだ。
そしてその倍率は最高で三〇〇〇倍に達した。
そこで担当医は五年間の「昏睡状態」の彼を、早速このMR顕微鏡で調べることにした。
もちろん調べるといっても全身をくまなく調べていては、途方もない時間がかかってしまう。 だから担当医は彼の松果体にこだわった。
理由は二つ。まず彼が以前、松果体腫瘍を患っていたこと。もう一つは、脳内のこの松果体という臓器は、人間の「体内時計」に関係すると考えられていたことだ。
担
担当医は彼の松果体に何か異変が起こり、彼の体内時計に異常をきたしていることが病気の原因ではないかと考えていたのである。
数日後、彼の松果体は3000倍に拡大され、MRIのモニターに写し出されていた。
そのモニターの画面を見た担当医は驚いた。
彼の松果体には多数の「束鞭毛菌」と思われる構造物が認められたのだ。
束鞭毛菌とは細菌の一種で、形は薬のカプセルのようで、モニターに写されたその菌体の大きさは、長さ3ミクロン、幅1ミクロン程度だった。(1ミクロンは1000分の一ミリ)
そして「鞭毛」というのは細い紐のような構造物で、細菌の運動器官と考えられている。
これが菌体の一方の端に数本生えていたのだ。そして担当医は、これこそが彼の病気の原因だろうと確信した。
それから担当医は「ステレオタクティックバイオプシー」という技術で、彼の松果体から極少量のサンプルを採取し、細菌の検査に提出した。同時に、この菌に感受性の有りそうな数種類の抗生物質も投与した。
しかし薬の効果は全くなかった。依然として彼は「眠った」ままだったのだ。
細菌の検査を行った検査部の人の説明でも、
「この細菌の培養を試みたのですが、どの培地でも菌は全く増殖しませんでした。また顕微鏡で見ると束鞭毛菌の形はしてはいるのですが、ただ黒い影のように見えるだけなんです」
その後、もちろんそのサンプルは電子顕微鏡でも調べられた。しかし病院の電子顕微鏡室の人の話でも、
「確かに束鞭毛菌のような形はしてはいるのですが、どちらかというと数本のコードがついた『カプセル状の機械』のように見えるんですよ。何というか人工的な…」
(なんじゃそれは!)
担当医は困惑した。そして彼の病気の原因究明は、暗礁に乗り上げてしまったのだ。