美鈴(ベル)の完璧な世界⑳

文字数 3,869文字

休み時間が終わり教室に戻ったら、山田みどりが血まみれになっていたので驚いた。

皆でバスケをしていたとき「誰かに見られている」ような気がして教室を見上げたら、山田みどりの姿が見えた。目が合ったかも、と思ったら山田みどりが窓から離れた。その時は何ともなさそうだったのに、戻ってみたらこのありさま。

「やだ! みどりさん!」とアサヒちゃんが悲鳴を上げて駆け寄ったので、わたしも続いた。山田みどりは鼻血を出していた。手の甲、顔の下半分、服、机、あちこちに血のあとを着けていた。鼻を押さえているけれど止血できないみたいだった。一体何をやっているんだろう、この子は? と呆れたけれど、そういう表情はせずに「大丈夫?」と寄り添った。

わたしとアサヒちゃんは山田みどりの鼻をつまんだり、手や顔を拭いたり。サラちゃんを中心に、エリ(エリカ)ちゃん、メイちゃん、周りの子たちも手伝ってくれた。ティッシュを追加してくれたり、床に落ちた血を掃除してくれたり。鼻を触られて「痛い」と文句を言う山田みどりに「ごめんね」とアサヒちゃんが謝るのを見て腹が立った。でもそういう素振りは見せずに「山田さん、保健室に行こう。養護の先生にみてもらおう」と声をかける。山田みどりは返事をしない。ホント、一体何だろうこの子は。イライラする気持ちをどうにか抑えて、わたしはアサヒちゃんと一緒に山田みどりを保健室に連れて行った。その間、山田みどりはずっと不機嫌な顔をしていた。

山田みどりを養護の先生に預け、教室に戻りながら、アサヒちゃんはぽつりとこう言ったの。

「ベルさん、面倒なことに巻き込んじゃってごめんね……。手伝ってくれてありがとう……」

わたしがアサヒちゃんのことを手伝うのは当たり前のこと。わたしだけじゃない。皆も助けてくれたよね。みどりさんに何かあったときは、一人で抱え込まないでどんどん頼って。先生もそんなことを言っていたでしょう? って返したらアサヒちゃんの目が潤んだ。なんてまっすぐで、頑張りやで、やさしい子なんだろう、アサヒちゃんは、って思う。本当に思う。こんな素敵な子に山田みどりはあの態度。ひどくない?

アサヒちゃんは素敵な子。心のなかに、誰よりきれいなものを持っている子。ホンモノ。仲良くなって初めてそれに気づいた。それを知っている子がわたしの他にいるかな? サラちゃんは知っているかも。アサヒちゃんとずっと仲良しだし、何かとアサヒちゃんのことをかばうし……。あと今年の担任の先生もちゃんと見ているっぽい。でも他にはきっといないよね。だってみんな、人の表面しか見ないもの。そういう子はきっと、アサヒちゃんのことを「山田みどりのおまけ」くらいにしか思ってない。実はわたしもそう思っていたからわかる。でもちがうよ。アサヒちゃんはアサヒちゃんっていう一人の人間。誰かのおまけなんかじゃない。

最初は「山田みどりを本当に一人にしてやりたい」と思ってアサヒちゃんに声をかけた。山田みどりの受験の話が皆に知られたタイミングだ。そのせいで、皆の中で山田みどりへの複雑な気持ちがふくらみはじめたころ。アサヒちゃんと山田みどりの関係を揺さぶるのには抜群のタイミングだったよね。「アサヒちゃんもバスケに誘ってみたいな」って言ったらサラちゃんが食いついた。「アサたんきっとよろこぶよ~、仲間に入れてあげてよ~」って。皆も「そうしよう」って言ってくれて。

それで一緒に帰ったり遊んだりしているうちに、「この子、ほんとうにいい子だな」って思うようになった。すっごく素直だし、やさしいし、嫌なことは一つも言わないし、楽しく遊んでいる時でも山田みどりのことを心配している。距離をおいても根っこのところで山田みどりのことを忘れていない、見捨てていないの。この前、エリちゃんメイちゃんと山田みどりが言い合いになりかけたとき、わたしはアサヒちゃんに「関わらないほうがいいよ」って合図を送った。「知らんぷりで大丈夫だよ」って。でもアサヒちゃんは山田みどりのことをかばったよね。あんなことができる子、そんな勇気がある子、他にいる?

わたしのまわりにいる子たち、みんなどこか「かわいそう」だ。かわいそうな子たちに囲まれて、毎日その子達をヨシヨシしているわたしもかなり「かわいそう」なのかもしれないけれど。

たとえばエリちゃん。表向きは気が強くて面倒見がいい、かっこいいお姉さんみたいな子だけれど、寂しがり屋で怖がり。しかも「乱暴な言葉」でしか周りと関われないの。最初にエリちゃんと会った時はびっくりした。何かにつけて意地悪なことばっかり言うんだもの。わたしの「ベル」っていうニックネームについても、結構キツいことを言われたな。でもそれ、全部「仲良くなりたい」って意味だった。「仲良くなりたい相手にこそ意地悪を言うべき」って考えなの、エリちゃんって。「仲がいいひとほど意地悪や乱暴な言葉を受け入れてくれる」って価値観なの。
どうやらおうちがそうみたい。キツい言葉や態度で接するのは当たり前、それでも仲が良いのも当たり前、だって家族だから、っていう考え方。でもね、ここからがエリちゃんのかわいそうなところ。エリちゃんは「相手が意地悪で乱暴な言葉を使ってくるのは本当は嫌」なの。おうちのひとからそういう風に扱われるのも、本当は嫌なの。嫌なのに、自分から乱暴な言葉を使い続けている。多分怖くて不安で仕方がないの。自分がちゃんと受け入れてもらえているかどうかが。それを乱暴な言葉で確認しつづけているのだと思う。だからわたしはそんなエリちゃんに「わかっているよ」ってメッセージを送り続けている。大丈夫だよ、わかっているよ、エリちゃんとわたしは仲良しだよって。そうしなきゃ多分、エリちゃんはどうにかなっちゃう。最近のエリちゃんは山田みどりの陰口に夢中。山田みどりの陰口を堂々と言える環境になったから。それでエリちゃんは、相手が陰口に乗って来るかどうかでその子が友だちかどうかを測ってる。……うん、エリちゃんはそうするような気はしていたよ、何となく。

メイちゃんもそう。勉強ができて、難しい中学を受けようとしているメイちゃん。あの子は「失敗できない子」なの。「失敗しちゃ駄目って言われている子」。わたしもちょっとそうだけど、メイちゃんはもっと。わたしは今のところそんなに難しいことをしていないから、あまり失敗をせずに済んでいると思う。でもメイちゃんは、難関中学の受験っていうすごく難しいことをやらされて、それに失敗しちゃ駄目ってなってる。サラちゃんっぽく言うなら無理ゲー? しかもメイちゃん自身がこの厳しいゲームに勝てるんだって思い込もうとしている。

かなり前のことだけれど、メイちゃんが社会のカラーテストで微妙な点を取ったことがあった。あのときわたしは満点だったはず。――そういうことってたまにあるの。塾に通って難しい勉強をして、いろいろなことを知っている子が学校のテストで満点を取れないこと。不思議。それは多分学校のテストが「教科書の内容そのまま」なせいだと思う。でも間違いなく学校のテストはカンタンだから、メイちゃんみたいな子は満点を取らないとおうちのひとから色々言われる。あのときのメイちゃんは本当にかわいそうだった。返ってきたテストをちらっと見て、さっと隠してわたしのを覗いて(覗くのはいつものこと。だってメイちゃんはいつも満点なのだから覗かせても大丈夫、メイちゃんのプライドを傷つけない)引きつった顔になった。あっ、と思ってわたし、「学校のテストって、たまに問題が変よね」「メイちゃんのほうがわたしよりも知識があるのにね」「メイちゃんが塾で解いている問題、わたしには絶対に無理」って言った。そうしたらメイちゃん、うん、うん、って目をこすっていた……。ちょっと泣いてた。
そんなメイちゃんは、山田みどりがXX女子を受けると聞いてから、ずっとピリピリしている。山田みどりの受験については出し抜かれた、負けたような気がして、わたしもすごくモヤモヤしている。とてもみじめな、嫌な気分になっている。けれどわたしよりメイちゃんのほうが、ものすごく意識している。「あの子がXX女子に行ったってうまくいかない、落ちこぼれるのが目に見えてる」「あんなに自信満々な顔をして……受ける学校、全部落ちちゃえばおもしろいのに」なんて呪いみたいなことも言う。そう言いたい気持ちはすごく、すごくわかる。だから、わたしは黙ってそれを聞いている。「そんなこと言っちゃダメ」なんて言わない。それくらい言わせてあげないと、メイちゃんもどうにかなっちゃうと思う。

エリちゃんやメイちゃんみたいにかわいそうな子がいたら「かわいそう」ってちゃんとわかってあげればいいの。できれば「かわいそう」って態度はなしでね。相手が自分をどう見てほしいか、どうしてほしいか、何を言ってほしいかがわかって、それをできれば、その子と友だちになれる。
わたしはすごく小さい頃からそれを知っていた。本当に小さい頃から。小さいわたしにそのことを教えたのは誰だろう? それは多分ママだ。わたしに「ベルちゃん」「プリンセスのような子になって」「理想の子になって」とわたしに願い続けたママ。それにわたしが応えると嬉しそうだったママ……。

誰かの期待に応えるのは大変だけれどカンタン。でもやっぱり難しい。
わたしはママの期待どおりに自慢の子になって、でも山田みどりに出し抜かれて、ママのことをがっかりさせたわけだし。

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