文字数 2,981文字

 秋葉原万世橋署では、引き続きアベヤスオの取調べが続いていた。兄貴分のオオタタカシが死亡したと聞いて、ずっと何かを考え込んでいるようだった。
「刑事さん、全部しゃべったら俺の命守ってくれんの?」
 取調官が頷く。その様子をじっと見ている。
「やっぱあてになんかできねぇ」
 また黙ってしまう。この繰り返しだった。しかしショウが取り調べに立ち会った時、何かを思い出したように他の係官に話しかけた。
「ねぇ、あのお兄さん何ていう人?」
「あれはウチの組対の新米刑事だが、何か?」
「俺、あのお兄さんになら話してもいいよ、あのお兄さんマル暴だったんだ? 前に一度だけ見かけたことある」
「ん? どこでだ?」
「岩本町東交番で。何か顔にイタズラ書きされてる警察官の顔を拭いたり、背中擦ったり、たまたま通りかかっただけだけど、俺も昔よくイジメられてたから、他人事じゃなくて、遠くから見てたんだよね。そしたらあの優しそうなお兄さんが来たの。あのお兄さんなら俺のこと本気で守ってくれそうだから」
 担当係官が溜息をついた。
「タザキ刑事をすぐ呼んでこい」
 付き添いの刑事が慌てて部屋を出て行った。
「結構黙ってるのも疲れるんだよね。しゃべったって、しゃべらなくったって、組にとっては俺は用無しなんだよ。どうせここから出たらすぐに始末されちまう」
 アベヤスオが口元を引き攣らせると、取調官も言葉を失ってしまった。するとショウが入ってきた。
「このお兄さんと二人だけで話がしたい」
 取調官が顔を見合わせた。そしてショウと目を合わせ頷いた。
「よし、いいだろう、俺たちは外に出る。だから話してくれよ、いいな」
 アベヤスオが頷いた。ショウが椅子に腰掛ける。しばらく沈黙が続いた。ショウからは質問をしなかった。アベヤスオは目を逸らせたり、脱色して傷んだ髪を指先で触ったりと落ち着かなかった。数時間が過ぎた時、急にアベヤスオが話し始めた。
「お兄さん、タザキさんっていうの?」
「そうだが」
「お兄さんって、前、交番勤務だったよね、俺、知ってんだ」
 ショウは黙っていた。
「前、岩本町の交番でイジメられてた奴、その後、どうよ」
「彼はもういない」
「ふうん、そうか、やっぱ辞めちまったか」
「いや、辞めてはいない。死んだんだ」
 それを聞いてアベヤスオの顔色が変わった。
「どうしてよ」
「自殺した」
「助けてやれなかったのかよ」
「ああ、済まない。俺の力不足だ」
「お兄さんが俺に謝ったってしゃあないけど、そんなんで俺のこと守ってくれんの? 俺もアイツらに命狙われてんだよ」
「アイツらって誰のことだ?」
 アベヤスオがまた溜息をついた。
「だから俺の命をお兄さんが守ってくれんのか? って聞いてんの」
 ショウが苦笑した。
「バカ言うな。自分の身は自分で守れ。俺は知らん」
「お兄さん、見かけによらず随分とクールだね。でも守れない約束する奴より余程気持ちいいや。お兄さんマル暴なんだろ? 俺はすでにアイツらに命を狙われてる。だからお兄さんもできるだけのことはしてくれるって約束してくれないか? 他の刑事は信用できねぇ」
「いいだろう、できるだけのことはする」
 アベヤスオがショウの目を見て頷いた。
「実はあの日、俺と兄貴は社長に呼び出されて、芝浦埠頭まで行ったんだ。行くと香港からの船が着いていて、俺たちはその船の荷を運ぶように言われた。それがまさかヤクの原料だったなんて全く知らなかったんだ」
「その社長ってのは誰のことだ?」
 アベヤスオが表情を強張らせる。
「や、やっぱ俺の口からは言えねぇ」
「なら質問を変えよう。お前たちはどこに向かっていたんだ?」
「忍野だよ。兄貴が言うには富士吉田の辺りにハダの奴が所有する倉庫があるんだと」
「ハダ? そいつがお前の雇い主か?」
「ああ、もうわかったよ。言うよ、言いますよ」
 ショウが苦笑する。
「ハダケンゴっていうヤクザだよ」
 ショウが目を見開いた。
「何? ハダケンゴだと?」
 ショウは先日、千葉の鵜原海岸にある霊園で出くわした時のことを思い出していた。
「そう、俺たちはハダが代表を務める北華貿易で働いてんだよ」
「北華貿易? その会社は何をしている会社なんだ? 都内か?」
「場所はこのすぐ近くだよ。主にアダルトDVDを海外に発送したり、たまに盗品だと思うが、ブランド物のバッグや時計なんかも扱ってた」
「麻薬も扱ってたのか?」
「いいや、ブツをこの目で見たのは今回が初めてだ。こっちだって驚いたぜ。それまでAV売ったって捕まるわけじゃねぇって軽く考えてやってきたのによ、いきなりヤクの密輸となったらただじゃあ済まねぇことぐらいバカな俺にだってわかる。俺も兄貴も急にビビッちゃって、それに兄貴があんなことになっちまって、兄貴は一体どうして死んじまったんすか?」
「お前の兄貴の死因は、アナフィラキシーショックだそうだ」
 アベヤスオが首を傾げる。
「アナ? 何ですか? それ」
「東南アジアや南米、オーストラリアに生息するヒアリ(火蟻)に刺されたことによるアナフィラキシーショックで死んだんだ」
「毒蟻? 何でそんなもんが日本にいるんだよ」
「お前、確か香港からの船って言ったな、その香港、台湾も生息地だ。荷に紛れ込んだんだろう」
 アベヤスオがチッと口を鳴らす。
「でもよ、普通、蟻に刺されたくらいで大の大人が死にますか?」
「ヒアリの毒性は強い。それに何度も刺すことができる。世界の侵略的外来種にも指定されてる危険な生物だ。アメリカでは年間百人死んでるという報告がある。指された毒で直接死ぬことは稀だが、連続で刺されることで、人体がアナフィラキシーショックという一種のアレルギー反応を示すことで、呼吸困難、意識障害などを引き起こす。そして最悪の場合死に至るケースだってある」
「お兄さん詳しいね」
「まあな、スズメバチでも同様のことが起こるからな、以前、詳しく調べたことがある。それでお前、そのヒアリはちゃんと殺したんだろうな?」
「知らねえよ、そんなこと」
「では、上陸させた可能性があるわけか、マズイな」
「そんなにマズイのかよ」
「そうだ。お前らのやらかした麻薬の原料輸入だが、例え知らなかったとしても、あれだけの物量であれば情状酌量は難しいかもしれないな。十年以下の懲役刑だ。しかもヒアリを持ち込んだとすれば、それに加えて特定外来生物指定第三種(昆虫)の個人持込で三年以下、または三百万円以下の罪になる。法人なら一億だ」
「い、一億! そ、そんな」
 ショウが笑いを堪える。
「ハダに箱の中身はトマトジュースだって言われてたんだろう?」
「ま、まぁ、そうだけど」
「それにお前の兄貴は犠牲者だ。トマトジュースを運搬中に、不慮の事故で命を落としたんだ。捜査にも充分協力してくれている」
 アベヤスオがショウの目を見つめた。
「タ、タザキさん」
「裁判に時間がかかるかもしれないが、執行猶予が付くだろう。釈放されたら、すぐに兄貴の墓を見舞ってやれ。組の奴らには、お前が足を洗えるように俺が話をつけてやる」
 それを聞いてアベヤスオはポカンと口を開けたまま何も言えなかった。緊張が解けたのか、急に目頭が熱くなった。人に情をかけられたのが久しぶりだったせいもあるが、このタザキショウという男に見つめられると、気恥ずかしくて思わず頭を垂れた。目を閉じると微かに肩が震えた。
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