第2話 ルーシャ

文字数 1,970文字

 「さあ、たくさんお食べ」

 母親がそう言いながら鍋の蓋を開ける。弟と妹が傍らで唾を飲み込むのが分かる。それも無理はなかった。一日一回の貴重な食事なのだ。

 湯気が立ち昇る鍋の中は、申し訳ない程度に小さなじゃがいもが数個だけ入れられた汁物だった。こんな小さなじゃがいもだけではお腹も膨れないだろうと、裏山から妹が採ってきた辛うじて食べられる山菜とは呼べないような野草も入れられている。

 それでも弟と妹は笑顔で食べている。三十数年の間、終わることもなく続いている戦争で、食料事情は極めて悪かった。特に住民が人族だけで構成されているこの村で、まともな食事にありつけている家は皆無だろう。

「どうしたんだい、ルーシャ?」

 いつまでたっても箸を伸ばそうとしないルーシャに母親が心配気に言う。父親が病身で伏せているルーシャの家ではそんな村の中でも特に食料事情が酷かった。

 まだ五つになったばかりの弟はいつもお腹を空かせて、常にぐずっていた。八歳になる妹はもう家の事情が分かるのか泣きごとを言うことはないものの、かなりの我慢をしていることは明らかだった。

「ルーシャ、お食べ」

 母親が優しく言う。ルーシャは小さく頷いた。ルーシャとてまだ育ち盛りの十五歳なのだ。お腹はいつも空いていた。ただそれ以上にいつもお腹を空かせてぐずっている五歳の弟や、まだ八歳なのに必死に我慢をしている妹たちに少しでも食べさせたいとの思いが強かった。

「ルーシャ……」

 促しても箸を伸ばそうとしない長女を前にして、母親が申し訳なさそうな顔をする。ルーシャは母親にそんな顔をさせてはいけないと思い、少しだけと心に決めて箸を伸ばした。

「お父さんの具合はどう?」

 あえて具をあまり入れなかった器の中にある汁物を冷ましながら、ルーシャは母親に尋ねた。

「今日は幾分か調子もいいみたい。でも、もう長いこと薬も飲んでないからね……」

 父親の薬も買えなくなってからどれぐらいが経ったのだろうかとルーシャは考える。二年か、三年か。いずれにしてもこの長い戦争が終わらなければ、この家の状況が好転しないことは十五歳のルーシャにも分かることだった。

「戦争はいつまで続くのかな?」

 箸を止めて妹が訊いてくる。

「戦争が終われば私もお姉ちゃんも帝都に行って働けるだろうし、そうすればお父さんに薬も買ってあげられるのにね」

 健気にそう言う妹の自分と同じ明るい茶色の頭をルーシャは優しく撫でた。

「ありがとう、アナリナ」

 自分が生まれる前から続くこの戦争が、いつになれば終わるのかなどルーシャには想像もつかなかった。果たして戦争が終わることなどあるのだろうかとさえ思ってしまう。

 そもそも自分たちの国、ガジール帝国がこの戦争に勝てるのかも分からない。この困窮に喘ぐ人族の村に入ってくる情報はあまりにも少なかった。

 戦争が始まる前まではルーシャが住むこの人族の村も、ここまで困窮することはなかったという。戦争で男手を取られ、失い、税も上がり……。
 全ては戦争のせいだった。

 一等国民と言われる魔族が勝手に始めた戦争で、三等国民の人族が何故こんなに苦労を強いられるのかとルーシャは思っていた。

「そうね。早く戦争が終わるといいわね。さあ、熱いうちに食べちゃいなさい」

 母親が再び子供たちを優しく促すのだった。





 その夜、ルーシャは中々寝つくことができなかった。今日は調子がよさそうだと慰めるように母親が言っていたものの、実際は薬も買えない状態で父親の容体は悪くなる一方だった。

 自分も含めて妹や弟たちはいつもお腹を空かせていて、母親も疲れ切っているのは明らかだった。このままでは家族全員が共倒れとなってしまう。

 病で苦しむ父親に薬を買い、我慢を続ける妹や弟たちにお腹いっぱい食べてもらい、疲れ切った母親の負担を少しでも減らしてあげたい。願いはたったそれだけのことなのだ。なのにそれができない。そう考えると悔しくて涙が滲む。ルーシャは嗚咽が漏れないよう歯を食いしばった。

 帝都に行けば働き口にありつけるかもしれないとルーシャは思う。体を売ることも厭わない。だが戦時下の今、三等国民である人族の移動は法で厳しく禁じられていた。お金を稼ぐために帝都に行って、もし自分が不法滞在で捕まった時に家族がどんな目に合うのかを考えると、そんなことはできやしないと思うルーシャだった。

 八方塞がりの状況だった。ルーシャの家族だけではない。人族全体が先の見えない困窮に喘いでいるのだ。人族を生み出したと言われている母神クロネルは、人族が緩やかに滅びるのを望んでいるのだろうか。

 現世で幸せを享受できずに強い思いを残した人族は、母神クロネルによって来世は風の精霊に生まれ変わるという。母神クロネルは人族すべてを風の精霊にしてしまうつもりなのだろうか……。
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