第43話 悲しい結果だと分かっていても……

文字数 1,700文字

 ボルドと会話を交わしたその日の夜、ルーシャはなかなか寝つくことができなかった。穏やかな寝息を立てていたハンナを横目にルーシャは天幕の外へと向かった。天幕の入り口近くにあった木箱にルーシャは座ると顔を上げて夜空を見た。

 綺麗な夜空だった。幾多の星々が濃い藍色を背にして白く瞬いている。手を伸ばせば掴めてしまうような気がして、ルーシャは片手を伸ばした。

 もしこの星を掴めることができたのならば、何かが変わるような気がした。そんな何の根拠がない考えが不意にルーシャを突き動かしたのだった。

「眠れないのか?」

 気がつくとラルクが傍に立っていた。夜空で輝く星々に向けて片手を伸ばしていたことに気恥ずかしさを覚えて、ルーシャは慌てて手を下ろす。ラルクは無言でルーシャの隣に腰を下ろした。

「ラルクも眠れないの?」
「……まあな」

 ラルクがぽつりとそう言うと、暫くの沈黙が二人の間に訪れた。やがて、その沈黙をラルクが破った。

「いよいよ決まったみたいだな」
「そうだね……」

 沈黙が再び訪れた。次にその沈黙を破ったのはルーシャの方だった。

「怖い?」
「……そうだな。怖いな。でもルイス、セシリアも頑張ったんだ。俺だけが怖いなんて、言っていられないかな」
「うん……そうだね」

 ルーシャは呟くようにして頷いた。

「なあ、ルーシャ、俺は魔族が嫌いだ」
「うん……」

 ラルクがそうであろうことは、日々の言動からルーシャは何となく感じていた。

「俺がまだ小さかった頃に、出稼ぎに行っていた帝都で俺の父親は殺された。殺した奴は魔族のどうしようもない奴だったらしい。だけども、殺されたのが人族で殺したのが魔族だったから、父親を殺した奴には大したお咎めもなくて無罪放免になったって聞いている……」
「うん……」

 よくある話だった。三等国民の人族にとっては珍しい話ではない。この国にはもっと酷い話だって沢山あるのだろう。

「働き手をなくした俺の家は酷く貧乏だったよ。毎日の食べるものもなくて……弟も俺もいつも腹を空かせていた」
「うん……」

 自分の家も似たようなものだったとルーシャは思う。一番の働き手である父親が病で伏せていたのだから。ルーシャの家だけではない。人族の家なんてどこも似たようなものなのかもしれなかった。

「毎日の食べるものもなくて、それが魔族のせいで……でも、これに志願すれば家族が助かる。だけど、この戦争に勝ったところで、きっと喜ぶのは魔族だけ。俺たち人族には関係がない。それで人族の何かが変わるわけじゃないんだ」
「そうだね……そうかもしれない」
「でも、やっぱりそうするしかなくて……」

 ちくしょう……そう呟いてラルクは両手で頭を抱えて俯いた。

「俺は魔族の連中を喜ばせるために死にたくない」
「うん……でも、ラルクの家族は救われる。それだけを考えるしかないのかもしれない。私だって同じだよ。家族を助けるため。だから……」
「……そうなんだ。そんなことは分かっているんだ。俺だってそう考えて、ここまで来たんだから。ルイスだってセシリアだって、きっとそう考えて死んでいった。本当は嫌だったろうに。本当は死にたくなかっただろうに。でも、それでもやっぱり俺は、魔族のためには死にたくない……」

 ラルクの絞り出すかのような声には微かに嗚咽が混じっている。ラルクの肩が小刻みに震えているのが見て取れた。

「うん……」

 同意をしたルーシャの言葉はどこに届くでもなく、宙で霧散していくようだった。きっとそうなのだ。ラルクは肯定も否定も望んではいない。

 そして、どうすることもできないことはラルクも分かっているのだ。でも今は、今だからこそ、その思いを吐露せざるを得ないのかもしれなかった。

 ラルクの思い、ルーシャ自身の思い。それだけじゃない。ボルドの思い、ハンナの思い……。

 人の数だけ思いはある。でも、全ての人々がその思いを遂げられる未来、望む未来を手にすることなどできはしない。そんな都合のいい世界などありはしない。だから少しでも、望むそれに近づけようと人は進んでいくのかもしれない。そうするための対価が例え悲しい結果の対価だと分かっていたとしても……。
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