髪を切っただけだけど (青・れ)

文字数 1,912文字

 俺はついに扉を開けた。
 この夏休み、ずっと部屋に引きこもっていた俺にとって外の世界は眩しく、そして暑い。
 休みの間部屋にこもって何をしていたかと言うと、寝る間も惜しんでインターネットのオンラインゲームだ。
 その日々は俺にとってかなり素晴らしいものだった。毎日強制労働のように学校へと足を運ばなくても良いし、人間関係に煩わされることもない。まあ、帰宅部で友だちのいない俺はクラスにとって空気のような存在なわけだけれど。
 とにかく、暗い部屋の中煌々と輝く画面と傍らにはポテチと麦茶や炭酸飲料がセットしてある俺の王国。誰にも侵略されない俺の世界が確かにここにあるという感覚は俺にとっては最高だった。
 そんな充実した日々を部屋の中で満喫していた俺だったが、今日は暫く振りに外出をしている。室内の冷房と一人きりの王国に慣れてしまった俺にとっては、真夏の陽光がサンサンと照りつける外の世界は俺を拒絶しているようにも思えた。街へ出ると人混みに居心地の悪ささえも感じてくる。周囲の全ての人影が、ここ数日部屋に籠ってボサボサにくたびれた俺の姿を黒い口をポッカリ開けてケタケタ笑っているように思えてならない。
 そんな妄想に怯えながらも、俺は人と人との間隙を縫うようにすり抜けていく。
 そして辿り着いた目的地は――
 『オーケーカット』という文字が大きく書かれた看板と、赤・白・青の三色がクルクルと回っているポールが目立つ――所謂1000円カットと呼ばれている散髪店だった。
 「美容師にとって負けられない戦いがここにある」……なんて意味のない文章が自動ドアを前にして頭をよぎる。まあそんなことはどうでも良いさ。
 10分という制限時間で作業を行う1000円カットはとにかく無駄がない。極力他者とのコミュニケーションを持ちたくない俺は必要最低限の会話でスピーディーに作業を終えてくれる1000円カットが髪を切るなら居心地がよかった。
 そもそもなんで俺が髪を切ろうと思ったのか。察しの良い奴ならすぐ分かるだろう――
 そう、髪が伸びてきたから……。
 いやいや、そうだけどそうじゃない!
 まあ聞いてくれ、冒頭で言ったように俺はオンラインゲームに夏休み中打ち込んでいた。当然、ネットの世界に知り合いができるわけ。
 そして俺は最近そこで友達が出来たんだ。同い年の『ラッキー』さん。
 ゲーム内のチャットルームで新規プレイヤーの『ラッキー』さんに色々とゲーム内のことを教えてあげたのがきっかけだった。だんだんと他にも色々話すようになって、好きなゲームや漫画、音楽のジャンルだったり芸能人だったり、とにかく趣味が僕と『ラッキー』さんは似ていた。話す中で家が近いことが判明し、今日の15時に世界的に有名な某バーガーショップでオフで会う約束をしたのである。
 現在14時。今日は朝から落ち着かず早めに家を出てきてしまったから、折角だから身なりを整えようと思って髪を切りに来たってわけ。

 ――

 ちょうど10分。さすがプロ。しかし思ったよりも切られすぎた。俺は大分サッパリしてしまった頭を手で確かめながら目的地に向かう。待ち合わせ場所は某バーガーショップの前。
 到着。まだ14時45分。少し早いが店の前で立って待つとしよう。

 ――

 帰宅。僕は急いで部屋に戻ってベッドにダイブする。俺の頭の中は今日1日の出来事が走馬灯のように脳内を駆け巡っている。正確には『ラッキーさん』に会ってからの出来事が。
 とにかくとにかく、大事件だった!『ラッキー』さんはクラスメイトの小倉由紀(オグラユキ)だと判明したのである。
 俺は滅多にクラスメイトと話さない。だから、クラスメイトにとって俺はきっと空気のようなものだと思うし、俺にとってもクラスメイトは空気のような存在だ。しかし、何となく小倉由紀はクラスメイトの中でも印象に残っている存在だった。笑うと笑顔が可愛い女の子。それ以上でも以下でもないが、クラスに振り撒いていたその笑顔は印象的だった。そんな彼女と今日は初めてちゃんと話した。
 色々雑談してから帰り際になって、彼女は俺になんて言ったと思う?
「そういえば髪切ったね! 格好いいじゃん」
 小倉由紀がいちクラスメイトモブA、いやモブDくらいの俺の小さな変化に気づいたことにただただ驚いた。
 嗚呼、今日はなんだか彼女の笑顔がいつもよりも眩しく感じたんだ。

――

 因みに彼女とはまた今度、同じ場所で会う約束をした。
 今までネットの王国で生きてきた俺の人生――どうやらリアルという新たな世界へ通じる扉が開かれたみたいである。
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