第26話 流行り廃りの正義

文字数 1,285文字

 「正義には流行り廃りがある」
旧優生保護法のもと強制不妊を強いられた人は日本全国で2万人を下らないという。恐るべきはそれらが国家の名のもとにおいて為されたことだ。それが当時の常識(正義)だったのだろう。昨年4月にようやく国は誤りを認め、被害者への謝罪と一時金320万円の支給を盛り込んだ救済法が成立した。確かに正義には流行り廃りがあるのだ。
 「正義なんて所詮相対的なものだし、流行り廃りもある。絶対的で、流行り廃りのない正義は存在しないのかな?」と私が問うと、友人は
 「敢えて、言わせてもらうなら、普遍的な正義とは言わないまでも、普遍的な原則がならある。それは弱肉強食だよ。生物界の普遍原則だもの。その意味では旧優生保護法はある意味では間違っていないよ。ある意味ではね。」
 「すごいこと言うなぁ。それって障害のある俺にとっては生きる資格無いって言われているのと同じだよ。参ったなぁ・・・。」
 「これは反論の為の反論だからそう思って聞いて欲しいけど、その意味では相模原の障がい者殺害の植松被告の話もある意味肯けることなんだよ。弱肉強食こそがこの世界の普遍法則だよ。それはシビアなことだけど間違っていない。」
と友人。私はいたたまれなくなって
 「でもさ、ネアンデルタール人の遺跡からも彼らが障がい者を社会の一員として助けながら暮らしていたってわかる例があるんだよ。それが出来る事こそが人間の人間たる所以なんじゃないの?それを端的にあらわしているのがマンガ(『寄生獣』岩明均)のラストシーンだよ。『心にヒマ(余裕)がある生物、何と素晴らしい』になるわけでさ。」
と反論すると
 「まあそりゃそうだ。でもまた敢えてのアンチテーゼだけど、それって人間様を特別扱いしている事に他ならないよね。人間は牛食っても豚食ってもいいんでしょ?それでいて心に余裕があるって、それこそ人間にとって都合の良い正義なのでは?」と畳みかける友人。
 「まあねぇ・・・。」と言葉を濁す私。それに対し友人は
 「そこまで話がいくと昔のネイティブアメリカンやアイヌの人たちは獲った動物や魚を骨まで余すことなく使ったって言いうものね。それに必要以上には殺さなかった。文字通り自然を敬い、自然と共生していたんだろね。彼らの生き方に学ばなくては・・・。」それを聞いた私は
 「と言っても現代の高度資本主義社会に生きる我々は知恵もついたし、手足も伸びた。今更揺りかごに戻れって言われてもねぇ・・・。」と答えた。
と、そこまで話して目的のラーメン屋が見えてきたので会話は中断された。さて我々は物理的にはラーメン屋に向かってきたことに間違いないのだが、精神的には果たして何処へ向かってきたのか?ラーメンを食べ終わった頃にはこの会話も忘れてしまうだろうと思ってここに書き留めた。もう一度問います。果たして我々は何処へ向かっているのでしょう?絶対的な正義、普遍的な正義は解らなくても、その都度「よりましな正義」を選択していくしかないのでしょうか?我々は何処から来てどこへ行くのか?もしご存知の方がいらっしゃったら教えてください。それでは!

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