1-11:ここにいる理由
文字数 5,564文字
壁掛け時計は深夜を回っていた。
溜まっている仕事に集中できず、イブキは研究室をでて休憩所へと向かった。消灯された休憩室には自販機の明かりだけが点いていた。照明はそのままに、イブキは缶コーヒーを買うと背もたれのある長椅子に全身を預けた。
「(あの
ヒエイ博士が権力を悪用しているのは明らかだ。それらしい事は今までにもあったが、いよいよリオが犠牲となって今更ながらに反感を抱く。
イブキは眉間をつまみ、自分が何故この場にいるのか思い出してみた。
―― 本の虫だった学生時代。
ガリ勉で成績だけは優秀だったが、何にも心惹かれないまま空虚な日々を送っていた。
そんなある日。祖父母の家の裏山で、負傷した竜族と出くわした。それがリオだった。
警察が到着するまでの間、必死に応急処置をして、そのとき交わしたやりとりが、寝ても覚めても忘れられない。
イブキはリオに恋をしたのだ。
しかし法的に竜族とは危険
動物
の類であり、必ず人間の管理下に置かねばならない存在である。叶うことのない恋だが、想いは日に日に膨れる一方。ならばと熱意を燃やしたのが竜族に関わるこの仕事。業務という立場から、叶わぬ恋に人生を捧げると誓ったのだ。
捕獲された竜族は例外なく
リオのゆく先を追い、常に管理者でありたかったのだ。
だがここにきて、竜族に対する扱いは嘘ばかりだと知ってしまった。
そんな区画は存在しないし、管理できる数も多くはない。野生として存在することを許さず、首輪をつけて自由を奪い、働かせるだけ働かせ、都合のつかない殆どは処分するのが現実だ。本当にただの動物のように。
ヒエイ博士があるかぎり、この事実を外部に漏らせば家族に危険が及ぶだろう。だから誰も逆らわないし、逆らう理由もないのだろう。ここは科学者の集う場所。誰もが竜族に対して抱くのは、愛情ではなく好奇心。博士が一言やれと言ったら倫理に背いた実験でさえ
博士にとってリオは《頃合い》なのかもしれない。だからイブキの同意なく、使い捨ての戦闘兵として駆り出された。
リオを失うくらいなら逃がしてやりたいとも思うが、一度管理下に置かれた時点で体内には位置情報を示すマイクロチップが埋め込まれている。リオはもう、自由に生きることは出来ないのだ。
この研究所には嫌気がさすが、リオを守ることが出来るのもまたこの研究所である。それを左右する者の一人であるという自覚を、今一度、イブキは胸に抱くのだった。
赤い竜族の世話係の件。さて、どうしたものか ――。
大きな溜め息とともに、自販機から缶が落ちる音。
ローテーブルの向かい側に一人の男性職員が座った。缶コーヒーを差し出して、子供のように笑んでいる。
一目見るなり、イブキは内心うんざりしてしまった。
「いやぁ、随分とお疲れみたいだねぃ。これ、飲んでいいよ?」
その男はヒロといい、分析課に所属する職員だ。
キノコみたいな髪型に、白衣のあちこちにカラフルなピンをつけた、少し変わった人。ここはイブキが属する研究課の持ち場だというのに、何故かこうしてよく現れる。イブキはいろんな意味でこのヒロが苦手だった。不本意ながら関わり自体は長いのだが、同期という間柄のみで全てが一方的なのだ。
「結構です。お気遣いありがとう御座います」
「おっと失礼、同じ物だったか。相変わらずボクらは気が合うねぃ」
ヒロは気持ち悪いウィンクをしてコーヒーをすすった。
イブキは苦笑いをしながら視線を逸らす。
「ボク達は同い年なんだし、そんな畏まらないでさ。もっと気楽に話していいんだよ?」
「……これが私の気さくです。さてと仕事に戻らなきゃ。ではまた」
イブキはスタスタと休憩所を後にした。
それに続く足音。振り返るとヒロが追いかけてくるではないか。
「あの……ヒロさんもこちらに用が?」
「いや特に用はないんだけど、今日は仕事が早めに終わっちゃってね。明日は公休だし、寮にいても暇だからブラブラしてる感じ」
「そうですか。私は忙しいので、失礼します」
「なーになになに、そんなに仕事溜まってるの? でも夜更かしはお肌に悪いんじゃない? 女性は肌が命ってね! あはは!」
逃げるように早歩きすると、ヒロも速度を合わせてくる。なにやら次第に怖くなり、戻るべき研究室をうっかり通り過ぎてしまった。
恥ずかしながらUターンすると、何故かヒロはこんなことを言う。
「イブキさんは本当に恥ずかしがり屋だよね。素直じゃないというか、なんというか……。でも大丈夫、ボクは全然気にしないタイプだからさ!」
研究室に戻るなり、イブキは扉をピシャリと閉めた。
これは窓口に相談した方がいいのだろうか。毎回思うも、山積みの書類がそれを忘れさせてしまうのだった。
次の日。
朝礼の後、ヒエイ博士はAクラス職員を呼び止めては、午後の勤務前に管理棟の五階に一人で来るようにと声をかけて回っていた。召集ならば放送や内線を使えばいいはず。あえて口頭で行うのは、痕跡を残したくない用事だからに違いない。
あの赤い少年に関する事だろうと、イブキは嫌々な気持ちで廊下を歩いていた。
大きな渡り廊下をゆき、収容所や研究室がある研究棟から管理棟へと向かってゆく。
管理棟には研究中の竜族達を住まわせている個室がある。外界と繋がる全ての場所には鉄格子が備わっており、緊急時には棟ごと完封することもできる。
管理棟の最上階、エレベーターの五階ボタンはAクラスのカードキーが無ければ押すことができない。博士の意向を汲み、イブキは一般職員との相乗りを避けてエレベーターに乗り込んだ。
五階に着くと、くぐもった騒音が聞こえてきた。
五階にある唯一の個室、特別観察室の前には既に二人の研究員が到着していた。一人は部屋から視線を外さず、イブキは目が合ったもう一人と会釈を交わした。
「どうですか? こっちに移したという事は、少しは落ち着いた?」
「いいや。午前中からずっとこんな調子だよ。……あと、彼もね」
視線を投げられたのにも気付かず、観察に集中している研究員は険しい表情を崩さない。
その隣に立ち、イブキも窓を覗いてみた。
赤い少年は丸太のような首輪によって鎖で壁に繋がれていた。
首輪型の爆弾が、両手首と両足首にも装着されている。ここまでの対応をした竜族をイブキは知らなかった。しかも左手首のものは既に起爆した形跡がある。小規模ながら首に致命傷を与える威力があるにも関わらず、少年の手首は赤く腫れているだけだ。
記録によれば捕えてから水も食料も与えていない。解放を要求する声は酷く掠れていて、鋭い眼孔は消耗しきっていた。
イブキは可哀想と感じながらも、リオを脅かす存在だと思うと目を反らしてしまった。
「落ち着いたからというよりは、大分弱ってきたから移せたってところだ」
「子供なのに凄い体力ね……何だか恐ろしくなってきたわ」
ずっと部屋を覗いていた研究員がボソリと呟いた。
「……これ、竜族じゃないんじゃないか?」
その言葉は複数の足音にかき消された。
エレベーターの方からヒエイ博士と残りのAクラス職員がやってきて、昨日と同じ
部屋に通じるマイクを取り、博士が窓をノックする。
「ほらほら、いい加減にしなさい。あまり無理をすると死んでしまうよ」
『なら……ここから出せ! くそったれ……!!』
「いいかい、キミは完全に負けてしまったんだ。今は手加減してあげているが、我々はキミをどうする事だってできるんだよ。……でもキミの態度と協力次第では、生かしてあげてもいいと思ってるんだ」
『命乞いは……きかないっ……! お前ら、みんなっ……ブッ殺してやる!』
少年がまた暴れだすと、博士は考える素振りを見せた。
「……ふーん。では、こんな目に遭いたいのかな?」
博士は懐からタブレットを取り出して、再生ボタンをぽちりと押した。そして画面を窓にはりつけ、何かを見せている様だった。
なにやら効果があらわれて、赤い少年は怯えはじめた。
そこへ博士が最後の一押し。
「これが最後の忠告だ。さ、キミの命乞いを聞かせてごらん?」
『…………………………たすけて……くださぃ…………』
したり顔でふり返る博士に、イブキは何を見せたのか聞いてみた。
他の研究員も知りたがるなか、タブレットにあったのは過去に行われた殺処分の映像記録だった。その竜族は生命力に優れていたようで、あの手この手でも絶命できず、処理班も途中から面白がりはじめるという。なんとも惨い映像だった。
イブキは最後まで見ていられず、窓の外の風景に意識を逃がした。
「丁度いいや。イブキ君のところの負傷したやつも、次の選別で処理課にだそうよ」
博士の言葉が背中に刺さり、イブキはあたふたと。
「あ、いえ! もう歩けるようにはなったんです! この調子なら世話係はきっと任せられます。一度やらせてみて下さい!」
「そうかぁ。優秀な君が言うのなら、そうしてみよう」
ヒエイ博士は満面の笑みで、一行とともに去ってしまった。
残されたイブキは歯を食いしばり、誰もいなくなったところで少年の部屋の窓を殴った。
なんとも重たい足取りで、個室に挟まれた廊下をゆく。
イブキが担当する竜族達は管理棟の三階で暮らしていた。部屋の扉は電子ロック式で、担当者のカードキーでのみ解錠ができる。壁や床は防爆仕様。窓に遮るものはなく、監視の為に廊下側にある。内装は全て同じ。天井に埋め込まれた照明と監視カメラ。ベッドと椅子とテーブル。小さなシンクが一つ。丸見えの水洗トイレがある。
そのうちの一室に、リオの部屋があった。
リオは治療室から個室に戻されていた。
窓から覗くと、いまだ点滴を必要として寝たきりでいる。もう立てる様にはなった、世話係は任せられるは、現実とは程遠かった。しかしこのままでは処分の催促がきてしまう。
イブキは眼鏡をかけ直し、決意を固めて部屋に入った。
点滴を交換していると、深緑の瞳が薄らと開いた。
「ごめんなさい、起こしちゃったわね……」
「いや、起きてた。イブキさん、あいつはどうなった? ずっと気になって眠れやしないよ」
「あいつ?」
「二本の武器を振り回す、赤い髪の子供だよ……」
イブキは少し目を伏して、ベッドの脇に腰をおとした。
「その事なんだけどね……。あの子は特異な能力を持ってる。ここで調べる事が決まったわ」
「んー……やっぱり近くにいたか。どうりで神経が騒ぐわけだ」
冷笑しているリオに、イブキは平静を装って続けた。
「そこで施設として、貴方には世話係をしてもらいます」
リオは飛び起きて目を丸くした。
「何でオレが!? 勘弁してくれ、そんなの無理だ!」
胸が痛むがイブキは引けなかった。
「理不尽なのは分かってる。でも貴方の功績を見込んでどうしてもお願いしたいの。ちょっとお話ししたり、ご飯をあげたり、簡単なお世話だけでいいから、ね?」
「嫌だ。絶対に引き受けない」
「それが出来なければ、その……貴方を生かしておく事が、難しくて……」
「おい何故なんだ! オレが何をしたっていうんだ!」
「いいえ! リオは何も悪くないわ。全てこっちの勝手な都合よ」
リオの包帯に血が滲みだす。
イブキはリオを落ち着かせようとしたが、憎しみのこもった瞳孔に自分が映っているのを見つけてしまった。
「もうオレには調べるところがないから用済みだってか!? なら今すぐ自由にしてくれ! 研究に協力したら解放するって話だったはずだ!! それなのに、あんな目に遭わされるなんて聞いてない!」
そんな約束が交わされていたとは知らず、言葉を返すこともできない。
ひたすら黙っていると、リオがしぶるように語りだした。
「……それなら面白い情報をくれてやる。竜族の世界の話だ。他の奴らはこの世界で生まれたみたいだけど、オレは別の世界から来たんだ」
「竜族の世界? 別の世界??」
今まで竜族に関わる広い知識に触れてきたが、そんなものの存在は聞いたことがない。イブキには世話係になりたくない為の作り話だとしか思えなかった。その必死さをどうにもしてあげられないのが、また悲しくて堪らない。
「聞いてくれ。あれはロゴドランデス族といって、あっちの世界では最も力の強い種族なんだ。特徴は赤い眼、赤い髪、頬の模様と、決して裂けない皮膚を持ってる。体は馬鹿げて頑丈で火を吐くことができるし、化身した姿も巨大だ。性格は凶暴で好戦的な奴が多い。残酷で、嘘つきで、他者の苦しみを美徳としている……。あっちの常識ではロゴドランデスを見かけたら関わらず逃げるべきー……って、イブキさん?」
「リオ……ごめんなさい。……本当にごめんなさい……。こんな事がしたいわけじゃないのに……なんで……ううっ。絶対に、貴方に危険が及ばないよう、努力するから……」
イブキの心情はそれどころではなかった。今はなんの言葉も頭に入ってこない。ただ胸に渦巻く罪悪感とリオを想う気持ちに押し潰されて、涙が溢れて止まらなかった。
リオはポカンとして、いつもの優しい顔に戻ってくれた。
「んー……オレも大きな声出してごめん。まぁ様子を見るくらいなら、やってみようかな……」
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