1-2:赤い化け物
文字数 4,416文字
砲窓から船内に滑り込むと、待ち構えていた悪党がサーベルナイフを振り下ろした。
はじける金属音。鋼の刃を受け止めたのは、ユケイの両手に握られたニ対の曲刀。そのドス黒い凶器を構える姿に、悪党は目を疑った。
「いっ今、なにも無いところから……!」
言いかけた首が飛び、それを目撃した者はうろたえた。
ユケイは迷うことなく船内を荒らしはじめた。
窓辺に集う撃ち手を散らし、重装備の大男を軽くいなして斬り崩す。数多の武器が行く手を阻むもユケイは少しも怯まない。
船内に割れんばかりの放送が響く。
「竜族だ! こっちも竜族を出せーッ! 魔物の檻も全部開けるんだーッ!」
天井が振動している。甲板に何かが現れたようだ。
ユケイは銃声に追われながら扉の連なる廊下を駆け抜けていった。
洗練された壁掛けランプ、美女が彫られた黄金の柱、踏み心地のよい赤絨毯。通り過ぎる目の端で、悪党の船にしては豪華で優雅な印象を覚えた。
それらを真っ赤な飛沫で染め、ユケイは腰を抜かして怯える者にさえ、まるで草を刈るように刃を振るっていった。
小さな海賊船は黒船から付かず離れずを繰り返し、勝利の合図を待っていた。
ユケイが乗り移ってから間もなくして、銃声は鳴り続けるも弾が飛んでくることはなくなった。怒声や騒ぎ声が次第に悲鳴へと変わってゆく。
物陰で怯えているのはトミーのみ。
海賊達は見物するなり時間を潰して酒を楽しむなりと余裕だ。
「おお、見ろよぅ! でっけぇのが出たぞぅ!」
興奮した男につられて誰もが振り向く。
耳をつんざく咆哮とともに、黒船の甲板に巨大な竜が現れたのだ。船体が傾く程の大きさで、濃紺の鱗は剣山の如く逆立っている。しかも一体ではない。大きさは劣るが大蛇のような竜も現れた。その長い尾には大斧が備わり、振るう度に風が鳴いた。
二体の竜が睨む先には、返り血にまみれた一人の少年がいた。
竜の足元では獣の魔物達が牙を剥いていた。
囲まれているのを見渡して、ユケイは曲刀を握りしめた。
「なんだぁ!? 乗り込んできたのはガキが一匹だけかぁ!?」
弾かれたように見上げると、甲板の高見にひとりの男が立っていた。
豪快なオールバックに顎髭を蓄えた巨漢。ぶ厚い毛皮のロングコートを肩から靡かせ、晒した上半身は筋骨隆々。どっしり構えたその手には鞭が握られている。きっと悪党の親玉だ。
「カーーッ情けねぇなぁお前ら。オレが直々にかたをつけてやる!」
鞭がしなる音を皮切りに、悪党のしもべ達が一斉に襲いかかってきた。
どうやらここが正念場。ユケイの瞳が鋭く光る。
その動きは何者より速く本能的。飛びかかる獣達をかわし際に切り捨て、大斧の舞を翻弄し、隙をついて懐へ。黒い閃光が大蛇を裂いた。
巨大な竜は爪を振るうが動きは単調。ユケイは狙いを撹乱させて、竜に魔物達を薙ぎ払わせた。
「ほお。やたらと戦闘に長けてるようだが……これならどうだ!?」
親玉が指笛を鳴らすと、魔物達の動きが変わった。
巧みな陣形に死角をとられ、ユケイは獣の群れに押し倒されてしまった。四肢と首を押さえつけられ、必死にあがくも身動きがとれない。
一匹投げ飛ばした腕に三匹が喰らいつき、完全にねじ伏せられてしまった。
そこへ得意気な声が降ってきた。
「うはははは! 手こずらせやがって」
悪党の親玉はあごひげを撫でながら、腕を高く振り上げた。
「今だデカブツ! 魔物もろともコイツを海に叩き落とせ!!」
日差しを遮る竜の手がユケイ目掛けて振り降ろされた。
衝撃が海に波紋する。黒船は大きく傾いて物資や人が落下した。
砂煙が去って露になったのは、ユケイと獣達がいた場所に空いた大きな穴だった。
巨大な竜は鼻先を近づけ、中を覗こうとしている。
「この馬鹿たれがァ! 誰が船に穴を開けろと言った!」
仕置きの鞭を振るわれて、竜は何度も悲鳴をあげた。
トミーは開いた口が塞がらず、繰り広げられる惨劇を呑み込むので精一杯だった。
「大変だ! ユケイがやられちまった?!」
「さすがに相手が悪かったかぁ~……?」
「うへぇ~血の臭いがこっちにまで漂ってきやがる」
小さな海賊船では不穏な空気が漂っていた。それぞれが固唾を飲んでユケイの安否を知りたがる。
しかし船長だけは余裕を保っていた。
「ククク……あんなもんじゃ死なねぇよ。さぁて、面白い見世物も終盤だろう。俺達も乗り込むぞ。船を寄せろ!」
うろたえるトミーを差し置いて、海賊達は準備にかかる。
一瞬の気絶から覚め、ユケイは甲板から射す陽に目を逸らした。
瓦礫の下から這いでて、顔面にまとわる砂を拭う。体中に噛み付いていた魔物達は瘴気と化して、跡形もなく消えていた。
ふらつく足取りで曲刀を握り直す。すると右肩に嫌な痛みが走り、手から曲刀がこぼれた。
「痛いよ、シバ……」
苦悶の表情をぐっと吞み込む。
ユケイが再び甲板に出ると、悪党の親玉は目を丸くした。
力では敵わずとも相手の動きは鈍い。マストに張られた帆縄を登り、ユケイは巨大な竜に対して空中戦を仕掛けていった。
死角をとった隙に何度も肉を抉ったが、竜はしぶとく抵抗を続けた。両者の戦いは残酷に長引き、ユケイは息を切らせながらも攻撃の手を緩めなかった。
ついに全身をなめす切りにされ、血を失いすぎた竜はぐらりと態勢を崩した。
そこへ渾身の一振りをかざし、ユケイが迫る。
「うおおい! あれを仕留めたヤツには金をやる! さっさとしろ役立たず共!」
悪党の親玉がどんなに叫ぼうとも、もはや魔物も手下達も逃げ惑うばかり。
銃を抱えた男が親玉の足に縋りついた。男は深手を負いながらも、力の限り訴えた。
「船長っ! アイツ銃がきかねぇんだ! 何度撃っても弾が貫通しねぇんだよ!! ……ありえないっ……あんなの、竜族でも魔族でもねぇ!!」
「うるさい! そんなわけあるか下手くそめ!!」
そしてわなわなと天を仰ぐ。
「ぐぬぬぬ……話が違うじゃねぇか。あの
すがりつくのを蹴りとばし、悪党の親玉は自分の竜に振り返った。しかしそこには光を失った眼球があるのみ。
竜の頭部は血溜まりに浮かんでおり、胴体がない。
巨大な肉塊の頂点に、ユケイは立っていた。
曲刀から滴る鮮血。一帯を睨み、全ての者から戦意を奪う。
悪党の親玉は一歩二歩と後退り、背中で柱にぶつかった拍子に何かを落とした。
敗北を悟ったのか、鞭を手放し両手をあげる。
「……わ、わかった。降参だ。欲しいものはすべて譲る。だから猶予をくれ……!」
「命乞いは聞かない」
黒い刃を翻し、ユケイは強く地面を蹴った。
「待て!!」
振り降ろした曲刀が、親玉の喉に触れる寸前 ――。
シバがやってきてユケイを止めた。
「そいつは俺がやる」
続いてシバの仲間が乗り込んできた。
金、女、酒に食料、大量の武器。なにもしていない奴等が我先にと成果を貪ってゆく。
悪党の親玉は両腕を後ろで縛られながら、ユケイの心境を察して嘲笑。
「へっ。おいしいとこだけ横取りたぁ、お前の
シバはユケイを押し退けて、親玉の顔に蹴りを入れた。
「ククク……まさか本物を拝める日が来るとはな。かの有名な賞金首『魔獣使いのヤグール』がザマァねぇなー!!」
「しょーきんくび?」
きょとんとするユケイをよそに、シバの声が場を沸かす。
悪党の親玉ヤグールは床に鼻血を擦りつけ、薄ら笑いを浮かべている。
「コイツを仕留めれば、俺達は晴れて大金持ちってわけだ! ……見ろ、俺が勝利を収める瞬間を!」
シバは手銃を抜き、味わうように撃鉄を起こした。
―― その瞬間。
ヤグールの笑みが豹変したのをユケイは見逃さなかった。
巨漢は虎の獣人と化し、無防備なシバに襲いかかった。
ユケイはシバを突き飛ばし、鋭い牙を右肩にくらった。痛めた肩に激痛が走り、ユケイはたまらず悲鳴をあげた。
曲刀で腹を貫くも、虎は意地でも離れない。
シバは腰を抜かしたまま、その光景に呆然としている。
ならばと首を切断したが、頭だけになっても噛みつく力は衰えず。
もがいて暴れるその耳元に、青い瞳が問いかける。
『お前はどうしてこいつに従ってるんだ?』
「それは……」
シバが放った銃弾がユケイの答えを遮った。
獣人の死体は他の魔物と同じように、跡形もなく消えてしまった。悪党の親玉をやっつけたというのに、なにやら誰もが落胆している。
暫しの沈黙が漂うなか、ユケイはシバにありがとうと言いかけて、その表情に言葉を呑んだ。
「チッ……恥かかせやがって」
シバは仲間と船内の物色にゆき、ユケイは甲板の片付けを命じられてしまった。
目元に垂れる血を拭い、しょんぼりと肩を落とす。
死体という死体を海に投げ、排水口から大量の血を流した。巨大な竜は解体して、少しずつ海に落としてゆく。なかなかの大仕事だが、誰も手伝ってはくれない。
ユケイは休憩がてら甲板の隅に腰を下ろした。右肩がじんじんと痛むのだ。
涙をこらえた目蓋の裏に、獣の
引っ越し荷物を両腕に抱え、トミーを含めた下っ端達はボロ船と黒船を往復していた。
トミーはユケイの錘を運ぶのに苦労していた。なんと一つで三十キロもあるのだという。ひぃひぃ言いながら手もとの錘を恨めしく見下ろす。子供の竜族に、これを四つも装着する力があるものだろうか。
別の予感を遮って、海賊達の声が飛び交う。
「ハシゴを登るのは無理だ! 危ねぇ!」
「あっち側から縄を降ろすから、それに巻き付けて引っ張ろう」
「ねーねー、手伝おうかー?」
船と船の間で押し問答している頭上に、ユケイの声が降ってきた。その血濡れた顔面にゾクりとして、トミーは錘を足の小指に落としてしまった。
叫びながらけんけんする姿に笑いが起きたが、ユケイは表情を険しくした。
「マヌケだね。オレやるからいいよ」
ユケイはボロ船に飛び移ると、四つの錘を奪って自らに装着した。
「…………弱っちいの」
そしてボソリと言い捨てて、黒船から垂らした縄を伝ってひょいと戻ってゆくのだった。
トミーは唖然とするばかりだったが、周りを見ると不服そうな顔が揃っていた。
「チ、あんな化け物。船長もどうかしてるぜ……」
確かにどうかしていると、トミーも思った。
ユケイが異様に強いのは理解できた。しかし喧嘩を売った相手が悪すぎる。ネヴァサが誇る海賊団は三つあり、三大海賊団と呼ばれている。その一隻を占拠したとなれば、奴らは黙っていないだろう。
恐ろしい報復に巻き込まれる前に、なんとかして逃げださねば。トミーは密かに考えを巡らせ、今は荷物の受け渡しに専念するのだった。
無人となったボロ船は、遠く遠くへ流されて、静かな海の彼方に消えた。
主が変わった黒船は堂々たる航海を再開した。
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