第9話 唯物論とは

文字数 800文字

 確かエンゲルスは、弁証法的唯物論について、次のように簡単に説明しています。
「わからないことを分からないと言うのが、弁証法的裕物論だ。。それを神とかで説明しようとしない。」
と。

 また、唯物論の物質感はねかの忘れられた思想家、安藤昌益が、
「活真は、転(テン)を探しつくしても見つけられない、定(チ)を掘り返しても見つけられないが、確固として存在する。」
と記していますが、エンゲルスも同様なことをいっています。

 レーニンは、旧来のニュートン力学、物理学が崩れることが、エーテルの存在否定が物質がカ佳句実に存在することの否定と考えて、マッハらの研究を全否定する主張を、「唯物弁証法と経験論批判」で展開しました。物質(エーテル)が否定され、それに代わる物質や理論がまだでてこないことが、唯物論が否定されると彼は危惧したのではないでしょうか。人間の自然の解明は、相対的に接近していくというのが弁証法的唯物論であるという自己の主張と矛盾することでありましたが、そのことに彼は気が付かなかったと言えましょう。それを、そのまま受け継ぎ、批判をしようとしなかったマルクス・レーニン主義者は、精神論者、徒弟的学者としか言いようがないでしょう。

 例えば現実の格差社会を批判して、資本論で分析してみて、それを現実に解決する手段を提示できているか、一応言っていたとしても、支配階級の強欲さとかにしていないでしょうか、あるいは素晴らしい海外と日本を比較しているような論法になっていないでしょうか。上げている手段に現実性があるでしょうか。このように問題がある社会だから、その社会を改めろ、多分流石に言いにくいでしょう、社会主義、共産主義社会への革命こそが解決策とは、それでも、そう言っているのではと思えるものではないでしょうか?
 結局それでは、今までのマルクス主義者、マルクス主義を装ったノストラダムス大予言商法でしかないのです。
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