第8話 女性の共有について

文字数 1,509文字

 「共産党宣言」にも、目標の一つとして、女性の共有という言葉があります。これは、プラトンにもある共産社会ユートピアの伝統的言葉、欧州文化における、ではありますが、マルクスは、勿論、女性を縛り付ける結婚制度をなくし、女性解放を目指すものです。
 しかし、重要なことは、それは具体的にはどういうことかということがわかりません。そのことに、マルクス主義者は絶対に触れようとしないからです。

 私は、あるSF小説の男女間の婚姻関係、結婚という制度はなく、男女間の愛情と同意だけで同居する、ある意味同棲に近く、女性は男性の所有物ではなく、女性も嫌になると自分の財産をもって簡単に出てゆくことができるが、男性は止めることはできない、現実にはそのようなことはほとんどない、というのが、マルクスの言う女性の共有の概念に近いと主張したところ、誰も全く反応しなかった。つまり、全く考えようとしていないことに、驚きを感じた経験があります。

 ちなみに上記SF小説とは、あのターザンの原作者、エドガー・ライス・バローズの金星シリーズのヒロインの王国の説明です。彼は、反ボリシェヴィキで、それを描く設定のものを書いていて、このシリーズでも悪役国の一つに登場させています。月世界シリーズは基本的に全編敵側はそれであり、ボリシェヴィキであり(彼の理解する、でにしかすぎませんが)、超人気作家でありながら一流誌に連載を拒否されるほどだったと言います。反ファシズムでもある彼ですが、主人公側の国々の政治体制は米国とは異なって、民主主義国とは言えないんじゃない?というもの
ですが。

 マルクス主義者は、どうも「女性の共有」は文字通り女性を所有すると解して、言及をさけていると言えます。
 さらに、女性への差別というか制限の撤廃から性の区別=差別の撤廃、ジェンダーフリーまで、左翼は、マルクス主義の側は、その推進を支持していますが、それは現体制を攻撃できるから、そのたるの手段として有用だからということではないでしようか。
 かつて旧ソ連、そして現共産党独裁化の中国では、それらの動きは資本主義の腐敗した文化と、徹底的に抑圧されている現状を直視し、厳しく糾弾してからでなければ、その中で資本論を掲げることはできないでしょう。

 女性感についてであるが、小林多喜二の作品では、有名な「蟹工船」と一冊となる「党生活者」の中に明瞭に出ている。特高に追われる主人公は、知り合いの女性の家に転がり込んで、男女2人が同じ屋根の下にいるのだから、セックスしないのは不自然だと言って、性的関係を結ぶ。ここに女性の方の好意はない。そして、主人公のために仕事を失い苦労していることに愚痴を言ったところ、
「君より苦労している人はいっぱいいる。」
とその例を話して、納得させてしまいます。そこには、彼女の苦労、悲哀を理解も、同情もなく、そのくらいのことで文句は言わず自分につくせ、それが当然だ、と主人公は考えているのです。このような男が、人間愛に満ち溢れた存在では全くないということです。そういう人間を、共産主義運動の理想像、模範として、行う人間達は空恐ろしい集団と考える、思えてしまうのは、不当なことでしょうか?

 マルクスが、女性の共有がそういうものだと考えているはずはありませんが、彼の言う女性の共有を深く考える、突き詰める、具体的に示すことなく、女性の解放の立場だと称することで、都合のよい方向を、自分達には許容することとなったといえるのではないかと思います。はっきりしていれば、このような主人公は存在せず、それを模範象とすることはなく、都合のよい使い方をすることに非難がでたことでしょう。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み